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2010年 07月 02日
サッカーW杯、日本に対するオシムの言葉が全てだと思います。 協会をはじめ次の大会を目指すサッカー選手だけでなく、メディアや熱心なサポーター、にわかファンに至る全ての日本人が真摯に受け止めて、それぞれ何をすべきか考え、やるべき事を実行しないと、今大会の結果以上どころか予選で落胆する結果に終わるだろうと思いました。 More 2010年 05月 02日
ツアー最少スコアの58で逆転優勝とは、すごいです。最終日に1R12バーディー・ノーボギー(前半7バーディー・ノーボギー、後半5バーディー・ノーボギー)で回るとは、何て派手な選手でしょう。今シーズン、ようやく世間の期待通りの活躍を始めた感じです。 願わくば、世間に「ジャンボ尾崎のような内弁慶」と印象づけることなく、海外のメジャー大会でもこういう派手なゴルフで優勝しますように! 石川遼、大逆転で今季初V 58のツアー最少スコア 2010年5月2日 12時01分 ( 2010年5月2日 16時07分更新 ) 男子プロゴルフツアーの中日クラウンズ最終日は2日、愛知県東郷町の名古屋GC和合コースで行われ、昨季の賞金王、石川遼が18ホールのツアー最少スコアとなる58の快記録をマーク。6打差18位からの一気の逆転で、通算-13、267で優勝した。今季初優勝、アマ時代を含めツアー通算7勝目。18ホールの最少スコアは米ツアーが59、欧州ツアーが60で、世界の主要ツアーでの最少記録。 <男子ゴルフ>石川遼が逆転V…ツアー最少新記録「58」 2010年5月2日 15時05分 ( 2010年5月2日 15時23分更新 ) プロゴルフの男子ツアー、中日クラウンズ(6545ヤード、パー70)最終日は2日、愛知県東郷町の名古屋GC和合コースであり、前日まで1アンダーで18位タイスタートの石川遼が、73年の現行ツアー制度以降最少スコアの58で回り、通算13アンダー。前日トップ・丸山茂樹との6打差を逆転して今季初優勝した。通算では昨年10月のコカ・コーラ東海クラシック以来7勝目。従来の18ホール最少スコアのツアー記録は、03年アコムインターナショナル第1ラウンド(R)で倉本昌弘がマークした59。 石川は前半だけで7バーディー、ノーボギー。ツアータイ記録のハーフ28で回る快進撃を見せ、後半も5バーディー、ノーボギーで勢いが衰えなかった。1R12バーディーは、01年ミズノオープン2RのZ・モウ、03年アコム1Rの倉本昌弘に並ぶツアー記録。 2010年 01月 12日
昭和40年代、私の憧れの原体験はクルマでした。 小3になるまで家にクルマは無かったけれど、親戚のクルマに乗せてもらうと御機嫌でした。今にして思えば非効率で不健康の極みですが、車内に漂う生ガスの匂い、排気ガスの匂いが好きでした。 日本GPでポルシェ904と生沢スカイライン2000GT-Bの対決、プリンスのR38シリーズ、TNT対決、トヨタ200GT、ベレG、コスモスポーツ、エスハチ、ヨタハチ・・・。田舎暮らしで実際に見る機会は無かったけれど、本や雑誌、プラモデルで見かけて妄想を膨らませ胸を躍らせていました。それでも、子供のころ遠い親戚の人にヨタハチに乗せてもらった事がありました。タイトでスポーティな運転席、短いシフトレバーが何ともカッコ良く思えました。 小学校の高学年になった頃、週刊少年ジャンプで「サーキットの狼」の連載が始まるのと共に、スーパーカー・ブームに。私はカネとヒマと根性が乏しくてカメラ小僧にはなりませんでしたが、毎週ジャンプでサーキットの狼を読んでは胸を躍らせ、最高出力や最高速のスペックを見ては、スーパーカーのパフォーマンスを妄想しました。 中学・高校と、図書室にあるCGやモーターファンを見ては、外車の洗練された雰囲気と高性能にため息をつき、BMWのアルピナ・チューニング車には、写真と仕様を見ただけで衝撃を受けました。自動車ジャーナリストを率直に羨ましく思いました。そんな中、スカイライン・ジャパンと呼ばれた5代目(C210)から6代目(R30)になり、櫻井眞一郎氏のメディア露出や関連書籍に影響されて、漠然と自動車メーカーで開発に携わりたいと考えるようになりました。 一方では、ベストカーガイド(現・ベストカー)を愛読するようになり、徳大寺有恒氏の「間違いだれけのクルマ選び」に少なからぬ影響を受けました。 高校を卒業した春休みに免許を取り、家のクルマでヨタヨタと運転するようになりました。ATだったのでヒール&トウは出来ませんが、本を通じて妄想を重ねていた色々な運転を試していました。大学4年間で10万キロ走りました。櫻井氏が何か雑誌のインタビューで「10万キロ走れば、ドライバーとして一通りの経験をすると思います。」という趣旨のコメントをしていたのが頭の片隅にあったからでした。大事故や赤キップの御用もなく無事に済んだのは本当に奇跡でした。今にして思えばいつ死んでもおかしくないような、赤面というより青くなってしまう、ゾッとするような酷い運転でした。 大学時代、NAVIが創刊されました。創刊当時の内容が硬派だったこともあり、正直なところ学生の私にとってNAVIは高尚で理屈っぽくて意味不明でした。進路を考え始めた頃、ベストカー誌へ出した手紙に徳大寺氏が誌上で応えるコーナーがあり、どのような書き方をしたのか忘れてしまいましたが投稿が掲載されて、徳大寺氏が私の背中を押してくれるコメントをして下さいました。私の中では、あの出来事で気持ちが固まりました。 その後、夢が叶って私は自動車技術者の端くれになり、ボディ・シャシーの開発育成に携わりました。近年、徳大寺巨匠が回顧録的な書籍で「あの頃、日本車は瞬間最大風速を迎えた」と仰っていた頃、すなわちセルシオ、NSX、ロードスターが登場し、ホンダエンジンのF1が黄金期の頃でした。 私にしてみれば、恩返しを兼ねて徳大寺氏から「いいクルマ創ったね!」と微笑んでいただきたい一心で修行を始めましたが、自動車メーカーで開発の立場になってみると、自動車ジャーナリストやNAVIの毒舌に心が痛み、葛藤して、苦しむようになりました。悔しいと思いながらも、駆け出しの私にはどうにもならない状況でした。毎号「NAVI TALK」を読む度に、先々の課題が次々と積み上がり、足元の実務の困難さとのギャップで暗澹たる気持ちになりました。時にNAVIトークが軟派になり、次々とリリースされるクルマに梯子を外すような論評をする事にも疲れました。蜃気楼を追うような徒労感に絶望して何もかもイヤになる事もありました。 その後、私は紆余曲折を経て自動車業界を去り、ただの素人に戻りました。クルマに対する強い思いも薄れ、今は白物家電のように多種多様なクルマの形も名前も覚えられず、今どきのヒット曲を何を聴いても同じように聴こえてしまうのと同じような状況になりました。 クルマの仕事を辞める前、抱えていた仕事で技術的に気になる事があり、会社を休み自費で渡米してデトロイトと近郊をクルマで走りました。技術的な話はさておき、デトロイトの自動車産業の巨大さ、歴史の重みに圧倒されました。あの頃から傍目に観てビッグ3の技術的な怠慢や慢心を感じてはいましたが、まさか今のように凋落するなど、とても想像できませんでした。 それから、クルマの開発でボディ・シャシーの育成を志望したのは、将来、内燃機関がモーターに変わる可能性を漠然と感じていたからですが、まさか現実的になるとは思いませんでした。 そして、私だけでなく、恐らくバブル絶頂期の日本の自動車開発に多大な影響を与えたNAVI誌が休刊するなんて・・・。 ひとつの時代が終わり、明らかに時代が変わるんだな・・・と思いました。 巨大な組織や社会の空気を、最下層で目前の実務にあくせく追われていた私が一人の力で変える事は出来ませんが、磐石で普遍的存在と思えた組織や強力な影響力を与えたメディアでさえも、環境変化に対応できないと恐竜のように滅んでしまう事実を目の当たりにして、呆然とするばかりです。 それでも、人は、今日も人それぞれ生きています。 NAVIの編集に携わった「社会派」の知的でハイセンスな人達にとって、「現実の生活、現実のビジネス」とは相反していたのでしょうか。NAVIを存続させるために「NAVIらしさ」を曲げて社会の現実に迎合するなら、潔く終えてしまうべきでしょう。NAVIが無くなっても、関係した人達は生きて行けるから、センチメンタルな気持ち以上の切実な現実を考えなくても済むからです。編集者やライターは他のステージでそれぞれ生きて行くのでしょうし、NAVIに関係したフリーライターだって、誰もが高名で実力もあるから食いっぱぐれないと思います。 結果論で言えば、NAVIの論点と現実の自動車ビジネスは、「良い時代」にしか共存が許されないものでした。でも、NAVIに創刊以来の志があったとすれば、両者共存の模索が欲しいものでした。片や自動車業界は内燃機関を捨ててでも生き残ろうとするでしょう。 それにしても、NAVI誌は最後の最期まで私にとって「本当に悔しい存在」でした。 自ら業界を去った立場とはいえ、言いたい放題言った相手に一矢報いる機会さえ、これで永遠に失ったのですから。 自動車雑誌「NAVI」、4月号で休刊へ 2010年1月6日 16時57分 ( 2010年1月6日 16時57分更新 ) 月間の自動車雑誌「NAVI(ナビ)」(二玄社)が2010年2月26日発売の4 月号を最後に休刊することが10年1月6日、明らかになった。同誌は1984年2月創刊。作家の田中康夫さん、テレビプロデューサーのテリー伊藤さんなど多彩な執筆陣で話題を呼んだが、部数・広告ともに低迷が続いていたという。 自動車誌「NAVI」休刊 月刊自動車誌「NAVI」が2月26日発売の4月号を最後に休刊することが6日分かった。発行元の二玄社は「売り上げと広告収入の減少で発行が立ちゆかなくなった」としている。同誌は1984年2月創刊。発行部数は公表していない。 隔月刊のバイク誌「MOTO NAVI」と自転車誌「BICYCLE NAVI」もそれぞれ2月26日発売号と3月26日発売号で休刊する。(2010/01/06-11:24) 車雑誌「NAVI」休刊へ 2010年1月5日22時6分 車雑誌「NAVI(ナビ)」を2月26日発売の4月号で休刊すると、発行元の二玄社が5日発表した。同誌は1984年2月創刊。作家田中康夫さん、矢作俊彦さんの連載など車雑誌の枠を超えた多彩な企画・執筆陣で人気を呼んだが、最近は部数、広告ともに低迷、採算が合わなくなったため休刊を決めたという。発行部数は公表していない。 More 2009年 12月 16日
辛辣なNYファンとメディアから、これほどまでに惜しまれてチームを去る選手が松井秀喜選手であることを、心の中でずっと応援して来た者として誇りに思います。 ビジネスとして、人の生き様として考えても、私は最善の対応をしたと受け止めています。 松井秀喜選手の交渉には、いかにしたたかでも「がめつい」印象が無く、「守りに行った」消極的な姿勢もなく、常にフェアで挑戦的な印象を受けます。だからこそ、NYファンから素直に惜しまれるのだと思います。 そして、代理人のテレム氏の対応も松井秀喜選手を良く理解し、本人の意向にそったもので、テレム氏自身の目先のビジネスで「がめつく、がっつく」事なくフェアで合理的に対応したのではないでしょうか。そうであれば、私はテレム氏に感謝したい気持ちです。 本人が取材で語っている通り、DH専門の選手として定着するほど選手としての価値が低下して、将来の選択肢がどんどん限定されて行くでしょうから、とにかく来季は守備も打撃も高い価値のある選手としてアピールすることが最優先だと思います。 たとえ契約金額がヤンキース時代の半分になり、巨人時代より低くなっても、そして1年契約というリスクを背負ってでも、来季に打撃と守備で結果を出して、選手成績としてもトップに名を連ね、何と言ってもチームの優勝に貢献して、ワールド・シリーズで二年連続MVP・・・という結果になれば、もはや「マツイ」の価値と地位は不動になると思います。 そんな結果と実績を引っさげてヤンキースと再び契約し、再来年にファンに熱狂されながらNYへ凱旋して来る・・・といったシナリオだって、期待できると思います。DHとして買い叩かれてヤンキースにしがみつくよりも、ずっと建設的でチャレンジングな生き様と受け止めました。しかも、妙に欲張ってズルズルと交渉を長引かせずに、あらかじめ定めた骨太な考え方にそって素早く決着させたことに、来季を見据えて集中力を高める意図さえ感じます。 本人は、マツイならではの打撃の勘所を磨き上げて、それと共に、身体の衰えと怪我に負けない対応に集中し、徹底しているのではないでしょうか。 ということであれば、リスクを恐れず前向きで挑戦的な生き様が魅力的ですし、改めて尊敬できるのです。 「松井は赤い運命」テレム氏が激白した“決断の裏側” 2009年12月18日 17時00分 ( 2009年12月18日 19時29分更新 ) 最後はレッドソックスかエンゼルスだった-。エンゼルスに移籍した松井秀喜外野手(35)の代理人、アーン・テレム氏が16日、米ニュースサイト「ハフィントン・ポスト」に手記を発表し、松井の苦渋の決断について生々しく語っている。16日に入団発表した松井がエンゼルス入りを決めたのは13日の夜。決断の裏には、こんな出来事があった。 テレム氏が発表したのは、「ゴジラが南カリフォルニアを揺るがせる」と題する手記。ヤンキースに残留を強く希望しながらも、厳しいFA情勢と自分の野球観を慎重にすり合わせて決断を下した松井の心情が詳しく説明されている。 「ピンストライプを着たまま、現役を終えることを希望していたヒデキにとって、(ヤンキースタジアムのある)ブロンクスを去る決断は難しいものだった。ジーター、ポサダ、リベラ、ペティットら前の仲間を敬愛し、ニューヨークを自分の街として愛していたからだ」 自らとの契約がヤンキースにとって優先事項でないことが分かった松井。重視したのは、勝つことと、勝てる良質のチームでプレーすることだった。 「ヒデキはヤンキースでなければ、エンゼルスかレッドソックスを希望していた。レッドソックスはDHがいるので選択肢としては難しかった。エンゼルスはゲレロがFAだったので魅力的な選択となった。打って守るという完璧な選手でいたいという特別なプライドも持ち続けていた」 13日の昼、松井とエンゼルスのソーシア監督(51)がテレム氏の自宅で会食したことが決定打となった。希望する外野守備のチャンスがあることを伝えられたことで、松井の気持ちは固まったという。 「最終的にヒデキは、ヤンキースからの残留条件の提示を待つよりも、エンゼルスの提示した条件を受諾することを選択した。早く決めないとエンゼルスがオファーを引っ込めてしまう可能性もあり、結果的にもっと弱いチームに行く危険性もあった。そうなると、ワールドシリーズには出ることができない。ヒデキは13日の夜は寝ないで熟考し、FA市場というイス獲りゲームの中で、最後の結論を出した」 第一条件とした「守備機会」とともに、ワールドシリーズMVPまで登り詰めた松井のプライドが、エンゼルス移籍へと突き動かした。 電撃移籍!!松井エンゼルスへ即断 2009年12月16日 08時00分 ( 2009年12月16日 08時21分更新 ) 【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)14日(日本時間15日)】米大リーグのヤンキースからフリーエージェント(FA)になっていた松井秀喜外野手(35)が、イチロー外野手(36)が所属するマリナーズと同じア・リーグ西地区のエンゼルスへ移籍することになった。年俸650万ドル(約5億8000万円)の1年契約で電撃合意した。年俸は半減して巨人時代を下回るが、希望していたDH兼任での外野復帰を最優先。前夜、ヤ軍のブライアン・キャッシュマンGM(42)と最終交渉して決別を決意した。 即断だった。前夜まで候補を3球団に絞っていた松井秀が、エンゼルス移籍を決意した。 1年契約で年俸は650万ドル(約5億8000万円)。今季の1300万ドル(約11億5700万円)から半減するばかりか、巨人時代の年俸さえ下回る額で合意したのは、外野復帰の希望を最優先させたからだ。 一昨年は右、昨年は左と両ひざにメスを入れたのも守備復帰のためだった。 「守備をやるんだ、という気持ちは一時も薄れたことはない。今はできないけど、ひざがよくなれば必ずやる。その気持ちは常にあったし、今も薄れていません」とMVPを受賞したワールドシリーズ直後のインタビューでも外野への思いを吐露。1週間前にニューヨークからロサンゼルスに入り、自主トレを開始していた。 そんな松井秀の要求に応えたのがエ軍だった。外野にはゴールドグラブ賞を9年連続で受賞しているトリー・ハンター(34)を筆頭に、元ヤンキースのボビー・アブレイユ(35)、フアン・リベラ(31)にゲリー・マシューズ(35)とベテラン4人が在籍。それでもトニー・リーギンスGM(42)はFAとなったウラジーミル・ゲレロ外野手(34)に代わるDH兼任ながら、左翼でも積極的に起用することを前夜までに確約した。 ただ、今オフの補強で出遅れているエ軍は、松井秀に対して返答期限を設けた。今週中にもヤ軍が条件提示をしてマネーゲームになれば不利という読みもあった。 ニューヨークに愛着がある松井秀は、代理人のアーン・テレム氏に対して、ヤ軍のブライアン・キャッシュマンGM(42)との最終交渉を要請。同氏は「(ウインターミーティング後の)週末はのんびりする」と日曜日の夕食中だったキャッシュマンGMに電話を入れて、残留オファーの有無を尋ねた。それだけ急いでいた。長期戦を想定していた同GMのDH固定の方針は変わらず、オファーには至らなかった。 「自分たちが条件提示の準備をする前に、エ軍が積極的にアプローチして、厳しい決断を迫ったようだ。松井は素晴らしい人間だし、移籍したら寂しくなるだろう」。7年前に巨人からゴジラを獲得した同GMは、サンケイスポーツの取材に決別を認めた。 日付が月曜日に代わり“ダークホース”だった球団からも返答が届いた。ジェーソン・ベイ外野手(31)がFA移籍すれば左翼が空くレッドソックス。最終候補の3球団に残っていたが、レ軍はブルワーズからFAのマイク・キャメロン外野手(36)と2年契約。同地区の宿敵に移籍してヤ軍と戦うプランは消えた。 このままヤ軍からの残留オファーを待ち続けても起用法はDH専任。外野復帰を最優先するならエ軍しかなかった。今回のFA権を取得したときの初心を貫くため、ゴジラはピンストライプを脱ぐ決断を下した。 前夜の「テレム-キャッシュマン会談」からおよそ24時間後、米メディアが『合意』の一報を流した。舞台裏はまさしく“電撃移籍”だった。 NY各紙「サヨナラ、ヒデキ」 惜別の記事掲載 2009年12月16日 09時40分 ( 2009年12月16日 09時41分更新 ) ヤンキースからフリーエージェントとなり、エンゼルスとの契約に基本合意した松井秀喜外野手を取りあげたニューヨーク各紙(共同) 【ニューヨーク共同】ニューヨークの新聞各紙は15日、ヤンキースからFAとなり、エンゼルスとの契約に基本合意した米大リーグの松井秀喜外野手を取りあげた。「サヨナラ、ヒデキ」(ニューヨーク・デーリーニューズ)、「ゴジラはディズニーランドへ」(ニューヨーク・ポスト)などの見出しを掲げた。ニューヨーク・タイムズはヤンキースでの7年間を記録や出来事で振り返る表を添えた記事を掲載した。 More 2009年 11月 26日
軽い青春モノから、シリアスなテーマの映画やドラマにシフトさせる事務所の方針なのだろうと思います。派手なトレンディドラマや重厚な大河ドラマには、ビジュアル面や演技力のインパクトで起用しにくい事情があるのかも知れません。今の彼女は使いにくいポジションだと思いますが、たとえビジネス面でスベろうとも今の彼女に習作というか修行になるようなドラマを9時代という枠でプロデュースさせてしまったのであれば、事務所の気合の入り方は凄いなと思います。 正直なところ、今度のドラマは最初から観たくありません。不条理に虐められるドン底シーンばかり執拗に見せられても気が滅入るばかりです。一方、被害者・加害者にかかわらずリアルでイジメを経験した人にしてみれば、共感よりも「現実はもっと酷い」と不満に思うことでしょう。 という訳で、「ドン底シーン」はそこそこにして欲しいものです。 それよりも、いかに建設的に這い上がるか、観る側に「ありえねー」と哂わせながら、観る者の心の底で一縷の望みとなるようなリアリティを期待させる・・・といった、そんな救いのあるドラマであって欲しいです。 榮倉奈々は、あと2~3年でゴクセンみたいな教師モノがハマり役になると期待しています。彼女は運チということになっていますが、本来は相当なアスリートだと思っています。嫌味がなくてフレンドリーでスキだらけ、アツい気持ちを秘めながら根はクールなプロ気質の指導者。そんな未来的な体育会系の先生像を演じて欲しいと願っています。 榮倉奈々、いじめられ新人OLに挑戦! 2009年11月26日 08時00分 ( 2009年11月26日 10時26分更新 ) 女優、榮倉奈々(21)が1月スタートのフジテレビ系主演ドラマ「泣かないと決めた日」(火曜後9・0)で、初のOL役に挑戦することが25日、分かった。一流商社に就職した新人OLが、壮絶な社内いじめに遭う物語。榮倉は、「OLの制服を着るのは初めてなので新鮮でした」と劇中衣装を初披露。トレードマークの笑顔を封印し、耐えてはい上がる女で勝負する。 OLドラマといえば、職場に渦巻く悪を成敗する同局系「ショムニ」が有名。ショムニでは笑いもたっぷり描かれていたが、「泣かない-」はリアルな社内いじめを真正面から描く。 今年1月放送の同局系「メイちゃんの執事」などに代表されるように、明るいヒロインがハマリ役の榮倉が、今回は“笑顔なし”のいじめられ役だ。 榮倉扮する主人公は、二流大学を卒業後、運良く超一流の総合商社に入社。あこがれの会社で働く日々に胸をときめかせていたが、そこは閉ざされた世界だった。 コピーの取り違えという小さなミスをきっかけに、ストレスを抱えた上司や先輩社員からいじめの標的にされ、心身ともに追いつめられていく。 無視や仕事上の嫌がらせ、虚偽ブログを立ち上げられてしまう“ネットいじめ”など、ゾッとするような行為の連続だ。 橋本芙美プロデューサーは「テーマは『はい上がる女』。決してスーパーヒロインではない、等身大の新入社員が、必死にもがきながら『働くこと』『生きること』の意味を問えたら…」と重厚なテーマをアピール。「優しさ、強さ、明るさを併せ持つ榮倉さんの負けない姿が、見る人に勇気と元気を与えられる作品になると確信しています」と意気込んだ。 1年ぶりの連ドラで初のOL役に挑む榮倉は、「OLの制服を着るのは初めてなので、ちょっと恥ずかしさもありましたが新鮮です」。続けて「今回、いじめられる役で緊張しますが、追いつめられていく中で成長していく姿を演じていけたら」と気合の表情で“健闘”を誓った。 |
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「色即是空。空即是色。」には程遠い、零細製造業者であくせく生きる所帯持ちのスクラップブック。
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