2006年 08月 22日

青いハンカチ。

最後までクールな表情を崩さず、青いタオル地のハンカチで額の汗をぬぐう早実・斎藤投手は女性ファンの心をキュンとさせていたようです。
一方、駒大苫小牧・田中投手がジョークを兼ねて?黄色いハンカチを持ち込み、額の汗を拭くシーンをTVで観ました。

ささいなジョークとはいえ、両校・両者のキャラの違いを垣間見た気がします。

斎藤投手が途中で精魂尽きていたら、小学校から名門早大までの一貫校に連想されるイメージと重なり、ハンカチと共に「線の細い都会的なオボッチャン」と思われてしまったかも知れません。実際、彼のプロフィールや甲子園出場までの経緯を知らずに、そのような先入観を抱いて観ていた人が多かったのではないでしょうか?
(追記:今や様々な媒体で斎藤投手の道のりが報道されて周知のことですが、群馬から上京して兄弟の自炊生活で通学しながら精神的なタフさを身につけたようですし、最後までクールな表情を崩さなかったのは、昨年、感情がキレて日大三にコールド負けした時の反省によるものだそうです。)

一方、駒大苫小牧は、これまでの戦績に対する自負、周囲の期待を踏まえて、早稲田ブランドと都会派チームの線の細さを心のどこかでナメていたのかも知れません。そんな心の隙が先のジョークに現れてしまったように思えました。

ところが、いざとなったら先入観を大いに裏切られたわけで、むしろ代わりの投手もなく一人で投げる斎藤投手の方が投球数が多いのに、最後まで球威とキレが衰えず、球速も速かった。斎藤投手は全てが終わった時に感極まったようですが、それだけ「ひたむき」に張り詰めていたのでしょう。

駒大苫小牧は、全国各地からスカウトした選手を集めて、強豪校に集って来た部員のモチベーションの維持にワキの甘い所があったからこそ不祥事が起きたのでしょうが、あるとこ「エリートの線の細さ」は、駒大苫小牧の方にあったのかも知れません。


早実・斎藤、家族の支えでつかんだV!最高の恩返し
[ 08月23日 08時05分 ] サンケイスポーツ

 全国高校野球選手権大会で早実(西東京)初優勝の原動力となったエース、斎藤佑樹投手(18)。その“快腕”を支えたのは家族の力だった。小学校時代、父親とのキャッチボールで投手としての土台を築き、早実に進学してからは同居する兄が炊事や洗濯などをサポート。そして、母は息子たちの2人暮らしを気遣って毎週末に上京し激励し続けた。斎藤は家族の思いに、全国制覇という最高の親孝行で応えた。
 球史に残る熱投を演じた高校生右腕が育ったのは、ごく平凡なサラリーマン家庭だった。斎藤は1988年6月6日、群馬県太田市で、会社員の父、寿孝(としたか)さん(57)と母、しづ子さん(46)の二男として誕生。生誕時の体重は2950グラムだった。
 寿孝さんが元高校球児だったこともあり、3つ違いの兄、聡仁(あきひと)さん(21)と一緒に、3歳からボール遊びをし始めた。「当時から活発な子でしたが、小さい犬を見て泣いてしまうなど、優しい普通の子でした」としづ子さん。
 斎藤は太田市立生品小1年の時、地元の少年野球チーム「生品リトルチャンピオンズ」で野球を本格的に始めた。小学4年以上しか入れない規則だったが、聡仁さんがすでに所属。斎藤は「兄と野球がしたいから」と母に“懇願”。しづ子さんがチームと交渉し、特例での入団となった。
 寿孝さんは野球を始めた息子2人と、球が見えなくなる夕方まで裏の畑でキャッチボール。当時から投手だった斎藤は、小学校の卒業文集で将来の夢について「メジャー選手(ニューヨーク・ヤンキース)」と記した。
 中学卒業に際し、斎藤は地元の野球強豪校からの誘いを断り、「勉強もして人間的にも成長したい」と、超難関校の早実に推薦入学を果たした。しかし、県立桐生高の野球部員として群馬大会準決勝まで進出した聡仁さんは、大学受験に失敗。早大進学を夢見て上京し都内の予備校で浪人生活を送ることになった。
 早実には野球部寮がないため、2人は東京都小平市の2LDKの部屋で共同生活をスタート。高校球児の斎藤を気遣い、家事や炊事は聡仁さんが担当。試合前などには元球児の経験を生かし、「豚キムチ丼」などのスタミナ料理でバックアップした。
 両親も都会で生活する息子を気遣い毎週上京、家族の会話を心がけた。斎藤のトレードマークになった“青いハンカチ”について、しづ子さんは「柄が気に入ったので、上京したときに持っていった」と明かす。
 斎藤は普段から両親とのメール交換を頻繁にする。21日の決勝再試合前、斎藤は前日に延長15回を投げ抜いたにもかかわらず、炎天下のスタンドで応援するしづ子さんに「お母さんの体調は大丈夫? 早く(試合を)決めるからね」と気遣うメールを打った。
 そして早実初優勝。中学の卒業文集で、将来の夢について「荒木大輔2世」とつづった斎藤の夢は現実となった。聡仁さんも今春、私大に合格し大学生に。支え続けてくれた家族に、斎藤は最高の形で恩返しをした。
c0019485_1903492.jpg 〔写真:早実のある東京都国分寺市に戻り、最高の笑顔を浮かべる斎藤(中央)。右は主将の後藤〕





早実佑ちゃんの青いハンカチを探せ! [ 08月23日 10時29分 ] 日刊スポーツ

 佑ちゃんの「青いハンカチ」を探せ-。早実斎藤佑樹投手が使ったタオル風ハンカチが話題を集めているが、全国のデパートなどには「どこのブランドか教えて」と問い合わせが相次いでいる。デパート側もメーカーなどに聞いているが、いまだに斎藤のハンカチは特定されていない。テレビ局のワイドショーもチームを結成して探している。デパートでは、似た模様の青いハンカチをまとめ買いする人も現れているとか。
 東京・西武百貨店池袋本店によると、決勝戦が引き分けに終わった20日ごろから、同店に「斎藤投手が使っているハンカチはどのブランドですか」「あの青いハンカチはありますか」などの問い合わせが入り始めた。優勝が決まった21日や、一夜明けた22日も同様の問い合わせは続き、1日平均で十数件にのぼったという。
 22日は、開店と同時に青いハンカチをまとめ買いする客や、1人で複数枚買う女性客がいたという。同店では「まだ、あのハンカチのブランドなどは特定できていないのですが、縁起がいい『幸せの青いハンカチ』ということで、同じ青色のハンカチを買う人が増えたようです」と話した。斎藤が使うタオル地のハンカチはもともと、実用性が高いことから今年は売れていたが、ここ数日はさらに売り上げが伸びたという。
 このハンカチは、斎藤が初戦から使用。タオル地で、薄い青色に白い英語や模様がうっすら入っている。尻のポケットから取り出して、マウンド上で顔の汗を丁寧にぬぐう姿が話題になった。斎藤は22日、「あれほど騒がれるとは思いませんでした。験を担いだ部分はあります」と明かし、母親のしづ子さん(46)は「群馬から上京したとき持たせた、普通のハンカチなんですけどね」と話した。しづ子さんが群馬県太田市の自宅近くの店で買ったものだという。
 デパートや各メディア、ファンがハンカチを特定しようと全力で探しているが、大手ハンカチメーカーでも分からない。川辺(東京都)では「全国の百貨店や量販店から『斎藤投手のハンカチは川辺さんのではないのか』という問い合わせが何件も寄せられています。しかし、正確な柄も分からず、特定できていません」と話した。


最後の球は決めていた 斎藤佑樹投手
2006年 8月22日 (火) 11:13

 マウンドで、早実のエース斎藤佑樹君は右足で10回ほど土を固めた。次の1球で終わりにする。感謝の意味を込めた。
 打者に向かい、左手のグラブを胸の前に持っていく。その中で右手でボールを握る。サインにうなずき、左足を半歩ひく。体を右後ろにひねりながら左足を大きく上げると、踏み出した。
 144キロの直球がミットに収まった。本当に最後の1球になった。
 小学1年で兄と野球を始めた。夕飯後、父に「トレーニングしないとうまくならないぞ」とはっぱをかけられ、泣きながら腕立て伏せをした。負けん気が強かった。
 中学軟式野球部の3年間、遠投を肩が疲れるまで毎日続けた。肩やひじを故障したことはこれまで一度もない。球速を決める右脇の後ろの広背筋は、張り出すほどだ。
 何度も変化を遂げ、挑んだ大会だった。
 昨年の西東京大会、準決勝で日大三にコールド負けした。以来、マウンドで感情を封印した。投手の生命線と言われる内角の直球に磨きをかけた。今春の選抜大会では、3連投となる横浜(神奈川)戦で大敗した。スタミナをつけるため、走り込みを繰り返した。
 この夏が始まる前、捕手の白川英聖君と決め球を決めていた。これまでの試合で、打者を抑えた最後の1球と打たれた球を書き出すと、抑えた球のほとんどが直球だった。その「一番最後に投げる得意の球」で、夏を締めくくった。
 69回登り、948球を投じた甲子園のマウンド。試合後、ひとり駆け出すと土を袋に入れた。(五十嵐聖士郎)
     ◇
◆「部員・スタンド、全員主役」
 試合後のグラウンドで、斎藤佑樹君は取材陣の質問に答えた。
 ――優勝を決めた瞬間、何を思った。
 和泉監督を優勝監督にできたのが一番うれしいです。やっぱり自分をここまで成長させてくれたのも和泉監督だと思うので感謝しています。
 ――疲れはあったでしょう。
 はい。でも最後なんで気持ちで絶対負けないようにしようと思ってました。今まで戦ってきた仲間が土壇場で逆転してくれたり、ほんとに仲間を信じることが余裕につながったんだと思います。
 ――お母さんにはどんな報告を。
 こんなに連投しても大丈夫な体に生んでくれてありがとうと言いたいです。
 ――9回に本塁打を打たれた。
 打たれた瞬間はやばいなと思ったんですが、どっちにしろスリーアウトとるのは一緒なんで、ここから3人で抑えればいいという感じで投げました。
 ――最後まで勝ち残ることがこの夏の主役、と言っていたが。
 自分が主役と言うよりは、早稲田実業野球部、アルプススタンドのみんなも含めて全員が主役だと思います。
 ――高校野球が終わってまず何を。(群馬の)実家に帰りたい?
 それが一番です。
(2006年08月22日11時13分 朝日新聞社)


思わぬ注目「斎藤投手と同じハンドタオルが欲しい」
2006年 8月21日 (月) 21:07

 早実のエース、斎藤佑樹投手が時折、マウンド上でポケットからハンドタオルを取り出して汗をぬぐったことから、“脇役”に思わぬ注目が集まっている。
 百貨店やスーパーには「同じものが欲しい」などの問い合わせも相次ぎ、業界は突然の商機に期待を寄せている。
 大手ハンカチ卸の「ブルーミング中西」(東京都中央区)によると、斎藤投手が使っていたものは青っぽいタオル地だが、「ブランドまでは特定できない」という。
 東京・池袋の西武百貨店池袋本店には、20日の試合後から「どこのブランドか」という問い合わせが10件以上あった。
 販売促進部によると、「影響は不明だが、両日の女性のハンカチ売り場の売り上げは通常の2割増し」という。同部では「好感度の高いスポーツ選手が使っていたということで、若い男性への波及効果もあるかもしれない」と話している。


初優勝の早実、母校に凱旋 斉藤投手、メジャーにも意欲
2006年 8月22日 (火) 20:21

 第88回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)で初優勝した早稲田実(西東京)の凱旋(がいせん)に、地元・東京都国分寺市が沸いた。22日、力投が光った斎藤佑樹君らを一目見ようと、校門周辺には幾重にも人垣ができ、選手らも「いやもう、生まれて初めて見たって感じ」(後藤貴司主将)と度肝を抜かれていた。
 和泉実監督や選手は午後4時過ぎ、東京駅からバスで同校に到着。警視庁小金井署によると、集まった市民の数は約3000人に上った。携帯カメラのフラッシュが飛び交う、あわただしい祝賀会の後、選手はマスコミのインタビューやテレビの生出演に追われた。
 灼熱(しゃくねつ)のマウンドで、丁寧に折り畳んだハンドタオルで汗をぬぐう姿が話題になった斎藤君。「あれほど騒がれるとは。だんだん験担ぎになり、結局、決勝まで使っちゃった、みたいな」と苦笑した。卒業後は進学が有力視されるが、メジャーへの意欲を問われると「あります」と即答。大先輩のソフトバンク・王監督に対しては「優勝することが一番の薬だとずっと思っていた」と話した。
 選手たちは、前夜の午前2時ごろまで宿舎の部屋に集まり、思い出を語り合ったという。斎藤君は「甲子園は自分を成長させてくれた大きな舞台。帰ってきたことが少し寂しい」。後藤君も「もう(部活動は)引退ですけど、まだ高校野球をやりたい」と、最後の夏を惜しんだ。
(2006年08月22日20時21分 朝日新聞社)


早実、駒苫が朝日新聞社訪問 ハンカチ「親にもらった」
2006年 8月22日 (火) 13:06

 第88回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)で、37年ぶりの決勝再試合を制し、初優勝した早稲田実(西東京)と準優勝の駒大苫小牧(南北海道)の選手らが22日午前、大阪市北区の朝日新聞大阪本社を訪れた。
 早稲田実の選手らに秋山耿太郎・朝日新聞社長は「厳しい壁を打ち破って頂点に立ったというのは、大変すばらしい」。脇村春夫・日本高野連会長は「2日間の決勝を見させて頂き、光栄に感じています」とたたえた。
 和泉実監督は「優勝は先輩たちの悔し涙の後押しがあってできた」と語り、選手らを紹介。斎藤佑樹投手については「群馬から上京して兄と自炊し、生活の中で精神的スタミナが生まれた」と述べた。有名になった青いハンカチについて斎藤投手は「親にもらいました」と話した。
 続いて訪れた駒大苫小牧の選手らに対し、秋山社長は「堂々たる戦いぶりだった」とねぎらった。田中将大投手は「最後の打席は空振りだったが、悔いはありません」と笑顔を見せた。この後、両校は帰途についた。
(2006年08月22日13時06分 朝日新聞社)


<高校野球>選手としての高い理解度 早実の強さの秘密 [ 08月21日 22時16分 ]

 夏の甲子園初優勝を飾った早稲田実。1915年の第1回大会から出場する古豪だが、荒木大輔投手(現・西武コーチ)を擁して3年連続出場を果たした80~82年の後は、甲子園に出ることさえ難しい時代が続いた。
 「(荒木投手のいた)あのころ早大に進学できたのが30%ぐらい。その後、入学試験も難しくなり、野球で優秀な選手が早大入学するハードルが高くなった」と佐々木慎一野球部長は振り返る。しかし、02年から男女共学となり、その後早大に100%の生徒が進学できるようになると、全国から勉強も野球もできる中学生が早稲田実を受験するようになってきた。
 特に推薦入試の狭き門から入ってきた選手が、優勝の原動力となったことは間違いない。スポーツ、文化分野を合わせて推薦枠は50人。このうち、野球部の枠は明確には規定されていないが、毎年9人が通例だ。
 優勝の立役者となった斎藤佑樹投手は群馬県の出身。中学時代は軟式の経験しかないが、和泉実監督は初めて見たとき、「この選手を必ず甲子園のマウンドに立たさなければと思った」というほどの逸材だった。
 推薦組だけではない。3番を打つ檜垣皓次朗一塁手や7番の内藤浩嵩二塁手は難しい一般入試のハードルを越えてきた選手。佐々木部長は「一を聞いて十を知る選手が多い」と話し、和泉監督も「野球の本質を突き詰めて考えるように指導している」と強調する。野球選手としての理解度は高く、その一端が、斎藤投手の理詰めの投球にも表れているようだ。
 04年夏には東京都八王子市に専用の「王貞治記念グラウンド」が完成。それまでは練習場所を転々とする苦労もあったが、練習環境が整備されたことも「早実復活」の大きな要因だ。


田中V3夢散…次の舞台はプロ [ 08月22日 06時12分 ]

c0019485_8145418.jpg<早実・駒大苫小牧>帽子を飛ばし力投する田中






 【駒大苫小牧3-4早実】73年ぶりの3連覇まであと一歩だった。初回途中から登板した駒大苫小牧のエース田中将大(3年)は右肩の張りを押して力投したが3失点。9回には空振り三振を喫して最後の打者となる象徴的な幕切れとなった。駒大苫小牧の公式戦連勝も48(1分け含む)でストップしたが、田中は今秋ドラフトで1位入札競合必至の逸材。次なる挑戦はプロの舞台だ。
 思いを込めた。9回2死、カウント2―0からファウル3球とボールで粘った7球目。田中は144キロ直球に迷いなくバットを出した。空振り三振。明暗が分かれた瞬間、これまで見せたことのない柔らかい視線を斎藤に向けた。「やりきった気持ちがあります。だから悔いはないです」。涙はなかった。
 疲労との闘いだった。夜の通常の40分のマッサージに、この日朝、さらに20分追加。張りのある右肩から後背筋にテーピングを施し、初回途中でマウンドに立った。「最後の力を振り絞ったが、力が残っていなかった」という。2、6回は130キロ台後半の直球を、7回は120キロ台後半のスライダーを運ばれた。南北海道大会から計13試合通算101回2/3。1407球を投げ、126三振を奪って田中の夏が終わった。
 相次ぐ不祥事で今春のセンバツを出場辞退。香田誉士史監督(35)も一時、部を離れた。春の悔しさをぶつける場、それがこの夏だった。監督不在の空白を埋めるように練習に取り組んだ。夕闇が迫るグラウンドには、黙々と投球練習を続ける田中の姿があった。そうしてつかんだ聖地。だが大阪入り直前に38・5分の発熱。その後も胃腸炎と下痢に苦しんだ。
 誰もが口にした。「将大を助けたい」。3回戦青森山田戦の6点差を皮切りに準決勝まで3試合連続逆転勝利。この日も6回に三谷が中越えソロ、9回も中沢の中越え2ランで1点差と底力を見せつけた。香田監督は「お互い金メダルだと思う」と振り返った。
 観客もまばらになった球場での胴上げ。田中は仲間の腕で3度、宙を舞った。悔いはない。「最後は優勝したかった」も本音だ。複雑な思いを抱える怪腕だが、次の世界が待っている。夏の終わり。それは始まりでもある。
 ≪香田監督「100点だ」≫再試合の末、73年ぶりの3連覇を逃した香田監督は「負けた」と敗戦を認めながら「粘り強さがあったからこそ、ここまで来られた。選手を称えてあげたい。最高のチーム。100点だ」と話した。なお準優勝校の監督が務めることになっていた日米親善高校野球の全日本選抜チームのコーチは体調不良のため辞退。胃かいようの疑いがあり、北海道に戻った後、検査入院する予定。


和泉監督 悲願に「88回待った」 [ 08月22日 06時12分 ]

c0019485_8171225.jpg<早実・駒大苫小牧>ナインに歓喜の胴上げをされる早実・和泉監督






 【早実4-3駒大苫小牧】斎藤が駒大苫小牧・田中を空振り三振に打ち取った瞬間、和泉監督は両拳を天に突き上げた。就任15年目での悲願成就。1915年(大4)の第1回大会から出場していた古豪が第88回大会で初の頂点に立った。
 「88回待ちました。その歴史で勝てました。選手の力は私の想像以上。甲子園で1日ごとにたくましくなってくれた」。お立ち台であふれてくる涙をこらえた。
 最速150キロの怪物右腕・田中を攻略した。指揮官のナインへの指示は技術より気持ち。「とにかくしがみつけ!最後は気力だ」。初回2死三塁から船橋の中前打で先制し、先発・菊地をKOした。田中を引きずり出すと、2回2死二塁から川西が左翼線へ適時二塁打。6回白川の左翼線二塁打、7回後藤の左前打とすべて2死からの適時打。主将で4番の後藤は「技術より気持ちで相手に勝てた」と胸を張った。
 学校、OBの全面バックアップもあった。「皆さんの思いが選手を後押ししてくれた」と指揮官。04年、八王子市に室内練習場、クラブハウスを備えた「王貞治記念グラウンド」が完成。校舎移転に伴って99年に専用グラウンドが閉鎖され、主に企業のグラウンドを借りて練習してきたナインに最高の環境が整えられた。“新グラウンド1期生”が今の3年生だった。学校側も数年前から推薦資格を緩和。野球部は毎年9人まで獲得できるようになり、エース斎藤もその1人だった。
 昨年11月の神宮大会準決勝で3-5と敗れた相手に最高の舞台でリベンジを果たした。和泉監督は言う。「一番強いチームに勝つために頑張ってきた。ウチは駒大苫小牧さんに強くしてもらったんです」。復活した古豪は、連覇というさらなる高みを目指す。


「スタミナこれほどとは」西東京大会で対戦した球児ら
2006年 8月22日 (火) 10:59

 西東京大会で早実と対戦した球児たち。祝福と悔しさの入り交じった心境で、早実の快挙を見つめた。
 決勝で延長11回の熱戦を繰り広げた日大三。引退した3年生の多くが、夏休み中も後輩たちの練習を手伝っているという。主将だった池永周平君も練習の合間にテレビで早実の全国制覇を見守った。「やっぱり悔しかったなー、って真っ先に思った。来年は後輩にがんばってほしい」
 大舞台で戦う早実を見るたびに悔しさがぶり返したが、早実のねばり強さには改めて舌を巻く。「すきがなく、全然崩れない。こんなにスタミナがすごいとは」
 準決勝でサヨナラ負けを喫した日大鶴ケ丘の牧山智嗣(さとし)君は「いい試合をした相手なので応援していました。自分たちの代表が優勝してくれてうれしい」と語った。外出先でふとテレビに目をやると、マウンドに早実の選手たちが駆け寄って抱き合う様子が目に入った。 主戦だった仁平昌人君は自宅で家族と観戦、「全国制覇の瞬間、西東京大会で打たれた最後の1球を思い出しました」。「よかったな」と思う一方、「今度こそ」の気持ちが高まる。「大学野球で斎藤佑樹君に投げ勝ちたい」と新しい目標を語った。
(2006年08月22日10時59分 朝日新聞社)
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by azatsu0422 | 2006-08-22 08:55 | スポーツ


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