ボロは着れども心は錦。

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2007年 10月 08日

永く忘れられない名選手。

広島球場での佐々岡投手の引退登板に続き、古田選手の引退試合。名選手が引退して寂しいですね…。
元日本代表バッテリーの同期・佐々岡投手の志願登板にブラウン監督の温情、高々と胴上げ、夫婦の抱擁…。コテコテの演出でしたが、まぁいっか。堅いこと抜きで良かったなぁ~と思います。

それにしても選手兼任監督は、古田選手ほどの人でも残念な結果に終わってしまいました。

師匠と言われる野村監督への挑戦だったのでしょうか?
現役選手と管理者の間で、現役への未練や管理者の立場に葛藤があったのでしょうか?
古田選手が、誰よりも現場(選手)とファンを大切にする人であることは、労組プロ野球選手会会長のリーダーシップを通じて明らかでした。

真意は本人のみぞ知る事で、私のごとき「にわか野次馬ファン」が立ち入られる話ではありません。ただ、今季が全く評価できない成績に終わっても、マスコミを含めて古田選手の健闘を称える雰囲気こそあれ、強く非難する気配が無かったのが、古田選手の築いてきた実績と本人のお人柄を裏づけていると思います。

私が今さら指摘するまでもなく、選手兼任監督は人の能力の問題ではなくて、管理者・監督が選手の立場で判断すると、勝てない場面があるでしょうし、第一級の選手としてのパフォーマンスを維持するのが片手間では出来ない現実もあることから、兼任そのものが矛盾していたのかも知れません。誰もが思い浮かぶ懸念を全て承知の上での挑戦でした。
それだけに、今回の退き際が鮮やかなのは、本人のけじめだったのかも知れません。

それでも、次は名監督・古田の登場を待っています。


<ヤクルト>古田選手兼任監督が引退試合 ファンに別れ
[ 10月07日 22時47分 ]

 ヤクルトの古田敦也選手兼任監督(42)の引退試合が7日、神宮球場でのホーム最終戦、広島24回戦で行われた。「5番・捕手」で4月19日以来の先発となった古田監督はフル出場し、4打数無安打だった。
 試合後のセレモニーで、古田監督は時折言葉に詰まりながらあいさつ。本塁付近で胴上げされたあと、サインボールをスタンドに投げ入れながら、場内を一周し、今季最多の3万3027人を集めた本拠地でファンに別れを告げた。
 ヤクルトは8、9日の横浜戦(横浜)で全日程を終えるが、古田監督は「今日でひと区切りと思っていた」と話し、この日の広島戦が選手としての最終戦となりそうだ。
 ◆古田監督のあいさつ◆
 朝起きたとき、いよいよこの日が来たなと思った。あっという間に終わってしまった。両親には本当に感謝しています。チームメートとコーチ、スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。いい仲間とめぐり合えて、ここまでやれたと思っています。
 そしてスワローズファンのみなさん、何度も心が折れそうになったり、弱気になったり、いろんなことがあったんですけど、みなさんの声に支えられました。18年間、本当にありがとうございました。また、また会いましょう。
 ▽妻・美穂さんのコメント 妻の目から見ても過酷な毎日でしたが、気負いなく過ごしていたように見える一方、本人の中ではさまざまな苦労や葛藤もあったと思います。支えてくださったのは、ファンの皆様の存在だったと強く感じています。野球に関してのさまざまな経験は、私にもたくさんの幸せをもたらしてくれました。ファンの皆様、本当にありがとうございました。
 ▽母・康子さん 18年間は長かったけど、もう終わりか……という気持ちです。いろいろと喜ばせてもらいました。一番うれしかったのは、優勝して一緒に海外旅行に連れて行ってもらったことです。18年間、お疲れ様でした。
 ▽ヤクルト・青木 4年間一緒にやれて良かった。技術的な面だけでなく、一打席を大事にして、集中して打席に立つことなど、さまざまなことを勉強させてもらいました。
 ▽ヤクルト・鈴木球団社長 スワローズの名捕手として18年間活躍し続けた雄姿を神宮で見ることができなくなるのは残念。多くのファンに惜しまれ引退することは、選手冥利に尽きるのではないか。それも古田監督の偉業によるものだと思う。
 ◇番号「27」のボード、大きく揺れる…神宮球場
 ヤクルト・ファンも、広島ファンも、関係ない。神宮球場は、この日のために約4万枚用意された背番号「27」のボードがスタンド中で大きく揺れた。
 八回2死一塁。広島のブラウン監督が動いた。マウンドに上がったのは、前日、広島で引退試合を行ったばかりのプロ同期生、佐々岡だ。「自分から投げたいと伝えた」。社会人時代には全日本でバッテリーを組んだこともある佐々岡の心意気に、古田監督はフルスイングで応えた。
 「毎日考えて、精いっぱいやってきて、後悔はないつもり」。全力を積み重ねてきた18年間。本拠地での最終打席は遊ゴロに終わったが、表情に悔いはない。

 球場周辺には、前日から席取り用シートが張られ、開門時には約8000人が行列を作った。Tシャツなど監督関連グッズもこの3日間で約5万個が完売した。
 18年間、全力プレーでファンをひきつけつけてきた神宮球場のマウンド付近での引退セレモニー。いつまでも、退団を惜しむファンに向かって、こんなメッセージを古田監督は贈った。
 「また、また会いましょう」
【村田隆和】
 ○…ヤクルトの九回のマウンドに立ったのは、守護神として古田とともに長くチームを支えてきた高津だった。「古田さんと抱き合ったり、握手した回数は僕が一番多いはず」と話すだけに、思い出も多く、2アウト後は「グッとくるものがあった」という。最後の打者・緒方を空振り三振にとり、きれいにフィニッシュ。「気持ちよくユニホームが脱げる環境を作りたかった」と、少し潤んだ目で話した。
 ○…古田の幅広い交友を示すように、クラブハウスには広告代理店やテレビ局、ロッテ・小宮山や米大リーグ・デビルレイズの岩村ら、多くの関係者から花が届いた。昨年まで同僚だった岩村は「多くのことを教えていただき、それが自分のもとになっています。ただただお疲れ様でした」とコメントを寄せた。
 ○…労組プロ野球選手会の事務局スタッフが、試合前のクラブハウスを訪れ、前会長・古田の労をねぎらった。
 会長職を最長の7年間も務め、04年の再編騒動で強力な指導力を発揮した古田は、選手会にとって「特別な人」(松原徹事務局長)。04年の選手会ストライキが解決した際の新聞号外に寄せ書きしたものが、記念品として贈られた。
 松原事務局長は「アマとの関係改善に尽力したのが思い出深い。『行動すれば状況は変えられる』ことを教えてくれた」と功績をたたえた。


ありがとう古田敦也…燕の背番号「27」が現役生活に終止符
[ 10月08日 08時05分 ] サンケイスポーツ

c0019485_15312884.jpg (セ・リーグ、ヤクルト3-6広島、最終戦、広島13勝11敗、7日、神宮)ありがとう。さらば不世出の名捕手-。今季限りで現役引退、退団するヤクルト・古田敦也兼任監督(42)が7日、今季本拠地最終戦となる広島戦(神宮)に「5番・捕手」で先発出場。チームは3-6で敗れ、自身も4打数無安打に終わったものの、18年間つけた背番号「27」の雄姿をファンの目に焼き付けた。
 最後の最後までファンのそばにいたい。ロッカールームに引き揚げる途中、右翼フェンスによじ上った古田兼任監督に、3万3027人からの「古田コール」が滝のように注がれた。
 「あっという間でした。今の気持ちは感謝でいっぱいです。支えてくれてありがとう」。笑顔を見せようとしたが、熱いものをこらえきれない。瞳にはうっすらと涙が浮かんだ…。
 4月19日以来、今季3度目の先発で5番。4打席の結果は右飛、遊飛、中飛、遊ゴロ。快音は響かなかったが「いい思い出になりました」とラストゲームを満喫し、ホームベース上で5度、宙を舞った。
 「メガネの捕手は大成しない」と指名されなかった立命館大時代のドラフトから始まった「負けず嫌い」(本人談)の野球人生。ヤクルト入団後は野村監督(現楽天)からマンツーマンで指導を受け、あっという間に球界随一の捕手になった。「ID(データ重視)野球」を打撃にも取り入れ91年には首位打者。05年には大学生・社会人経験者初となる通算2000安打も達成した。
 だが、選手としての限界が突如やってきた。昨季は代打も含め36試合に出場しただけ。痛めた右肩の状態が深刻だった。今春のキャンプでは、キャッチボールでも少しずつ距離を伸ばし、気温が上がるまでシートノックもパス。最善を尽くしたが、思ったほど良くならない。
 シーズンが始まってからも、肩の筋肉を補うため他の選手が帰ってからウエートトレ。前半戦、自らを出場選手登録し続けたことで「なぜ試合に出ないのか」と批判を浴びたが、黙々とフリー打撃を続けたのも、ファンの期待に応えるためだった。出場する機会をうかがっていたが、だんだん「後進に道を譲るべきだ」との思いに勝てなくなった。
 そして、ついに“その日”が来た。「長いことプロやってるからこれでも感覚は取り戻せるよ」。引退表明(9月19日)の2日前にバッティングマシン相手の孤独なキャッチング練習を開始。プロとして、最後の舞台を締めくくる、静かな作業を始めた。
 前日6日の試合後に、全コーチのロッカーにサイン入りバットを1本ずつ置いた。「みんな記念に欲しいけど、こっちからは言い出せない。監督の気配りだった」と杉村打撃コーチ。2年間、兼任監督を支えたコーチ陣へのささやかな感謝の証。もう使うことのないバットを置き土産にした。
 9日の横浜戦(横浜)でシーズンを終えると、長年の夢だった世界旅行に出かける。労組・選手会の会長として球界再編のカジを切り、「理想の上司」のトップに挙げられる42歳は、またひと回り大きくなる旅に出る。セレモニーを「また会いましょう」と締めくくった古田兼任監督。記録も記憶も残した男は、いつの日か再び無限の可能性を秘めて球界に戻ってくる。
〔写真:最後までファンと一緒に。古田兼任監督が詰めかけた大観衆に別れを告げた〕


古田涙の神宮舞い「また会いましょう」
[ 10月08日 06時12分 ]

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胴上げされる古田監督

 【ヤクルト3-6広島】さようなら、そしてお疲れさま。ヤクルトの古田敦也選手兼任監督(42)が7日、本拠地最終戦となった広島戦(神宮)で先発出場し、18年間の現役生活に幕を下ろした。“引退試合”には超満員3万人の観衆が詰め掛け、神宮の杜には「古田コール」が鳴り響いた。眼鏡をかけた捕手、闘う選手会長、そして兼任監督…。球界に数々の新風を吹き込んだ希代の名捕手は、最後までファンに愛され、グラウンドに別れを告げた。
 18年間、守り続けたホームベースの上で27番は5度宙に舞った。「これで終わりなんだな…」。寂しさはあっても悔いはない。だから笑顔だった。「やめないで…」「また戻って来いよ」。ファンの大歓声に包まれて古田監督は「何度も心が折れそうになりましたが、皆さんの声に支えられました。また会いましょう」と言った。9月19日の退任&引退会見とは違う。目に光るものがあっても表情は穏やかだった。
 サインボールを投げ入れての場内一周。クラブハウスに戻ろうとすると高津とラミレスに右翼スタンドへ促された。お尻を押されてフェンスを登ると目の前には誰よりも愛したファンが待っていた。「18年間で一番の思い出は01年の優勝。最後は捕飛で終わったし(左ひざの)じん帯が切れたりもしたので…」。本拠地で近鉄を撃破してつかんだ日本一。その時と同じパフォーマンスで最後の別れを告げた。
 「勝てなかったのが残念だけど…。でも、これだけ声を掛けられて幸せと思う」。171日ぶりの先発マスクは存分に楽しんだ。8回は石井一、9回は高津。黄金期を一緒に支えた戦友とバッテリーを組んだ。バットから快音はなかったが、8回2死一塁の最終打席では、同じく今季限りで引退する佐々岡と対戦し「最後にいい相手とできた」。遊ゴロのフィナーレでも充実感がこみあげた。
 巧みなインサイドワークで「ID野球の申し子」と称賛され、大学、社会人経由では史上初の2000安打も達成。日本一も4度経験するなど、常に日の当たる道を歩んできた。しかし、兼任監督の2年間はジレンマとの闘いだった。昨年右肩痛が悪化すると、今季も状態が上向くことはなかった。就任時に球団から約束された補強面も大きな協力を得られなかった。自身の出場と後継者の育成。シーズン中は2つの難題の間で苦悩した。
 それでも兼任監督だからこその喜びもあった。06年5月2日・広島戦(神宮)でサヨナラ打を放つと、石井一、宮本らが「監督賞」ならぬ「選手賞」を贈ってくれた。普段は出すばかりの金一封。「今でも飾っていますよ」。クラブハウスの監督室に今でも宝物としてご祝儀袋が大切に保管されている。
 球史を塗り替えた名捕手にヤクルト本社は功労金を贈ることも検討。それだけの功績は残した。これで引退セレモニーは終わった。それでも8日、9日の横浜戦(横浜)が残っている。「これで一区切り。でも、含みは残しませんよ」。あと2試合。最後は指揮官としての任務をまっとうする。


夫人、両親も「過酷な18年」ねぎらう [ 10月08日 06時12分 ]

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<ヤ・広>美穂夫人からねぎらわれる古田

 【ヤクルト3-6広島】ヤクルト・古田兼任監督の美穂夫人(フリーアナウンサー)はスタンドで古田監督の雄姿を見届け「お疲れさまです。18年間の野球人生は妻の目から見ても過酷な毎日でした」と振り返った。セレモニーではマウンド上で涙を浮かべて夫と抱擁し、苦労をねぎらった。父・英夫さんと母・康子さんもスタンド、貴賓室で観戦。康子さんは「18年間は長かったけれどもう終わりかという気持ち。いろいろと喜ばせてもらった」と感無量の面持ちだった。


同期・佐々岡 古田との対戦に志願登板
[ 10月08日 06時12分 ]

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<ヤ・広>同じく今年限りで引退する佐々岡に花束を渡す古田

 【広島6-3ヤクルト】ヤクルトの古田と同じ89年ドラフト組で今季限りで引退する広島の佐々岡が、引退試合での最後の打席で対戦相手を務めた。アマ時代に日本代表でバッテリーを組んだ経験があり、前日6日に地元で自らの引退試合を終えたばかりの佐々岡が志願登板。予想していなかった展開に球場全体が大歓声に包まれた。「最後のわがままをブラウン監督にも聞いてもらった」として佐々岡は古田を遊ゴロに仕留め「全部真っすぐを真ん中に投げるつもりだったけど、球が遅すぎた。凄くいい思い出になりました」と感慨に浸っていた。


佐々岡「らしい」?ラスト登板 [ 10月07日 06時12分 ]

<広・横>引退セレモニーを終えナインに胴上げされる佐々岡

c0019485_15574398.jpg 【広島10-1横浜】9回2死から「投手・佐々岡」がコールされると、広島球場の2万9776人のファンは総立ちになった。地元最終戦でのラスト登板。大歓声の中、村田に137キロを左中間席に運ばれたが「真剣勝負にいって打たれた結果。悔いはない」。続く鈴木尚は空振り三振に仕留め「ホームランの後に三振で終わる。僕らしくていいかな」と笑った。
 女手一つで育ててくれた母・江美子さん(78)に、食事面でのサポートを惜しまなかった優子夫人(38)、1年先に広島に入団した西武・江藤も応援に駆けつけた。「夢だったカープのユニホームをきょうまで着られて本当に幸せな男。お立ち台のファンの声援は今となっては宝物です」。91年の最多勝とMVP、史上2人目の先発100勝&100セーブ…。ナインに胴上げされた40歳は涙は見せず、18年間の現役生活に別れを告げた。
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by azatsu0422 | 2007-10-08 15:11 | スポーツ


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