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2008年 11月 13日

「セックスレス」は問題か?男女の絆はセックスか?

1/3以上というより、4割弱がセックスレスのようです。私も10年以上そうです。
そこで、「セックスレス」をテーマとして真面目に考えると、物凄く根深いと思いますが、そもそもセックスレスは問題なのでしょうか?

憲法が保証する個人の自由?

日本の民法が定める法的な夫婦の価値観には、「夫婦は同居して夫婦間だけのセックスに励み、夫婦のDNAを継ぐ子を産むものだ。」という前提があると思われます。だから、例えば「性の不一致」は離婚の理由になるようです。

そのような法の前提であれば、セックスレスは法の前提に反しますが、夫婦合意であれば「性の不一致」ではないので、憲法上の個人の自由が優先されるでしょうから、要は法的に問題ないと思います。

行政的に問題か?

セックスレスは少子化に直結します。少子化は高齢化に直結し、人口減少につながります。人口が少なくなれば、国内市場が縮小し、しかも若い働き手が少なくなるので、自ずと多くの産業が縮小し、暮らしの活力が無くなるでしょう。何と言っても現役で働く人が少なくなるので、現役の税負担を「うなぎ昇り」に上昇させて、しかも引退した人からもカネを取らないと、国家財政が成り立ちません。

国家財政の破綻は、行政サービスの縮小と破綻を意味するので、「安心と安全」を護る後ろ盾が無くなり、当たり前だった事が何ひとつ出来なくなります。日本が事実上の無法地帯になるでしょう。

生まれて来た子供の多くは大事に甘やかされて育てられ、でも絶望的な将来像がバカバカしくなるでしょう。それでも、数々の幸運と才能に恵まれて育った子供は、活躍の場を海外に求めて日本を脱出すると思いますが、一方で平凡に生まれ育った大多数の子供は、極端に甘やかされるか、逆にネグレクトや虐待を受けて育つので、何をやっても辛抱できず、些細なストレスでさえ受け止め切れずに直ぐ逆ギレして、自暴自棄な行動に走りやすくなるでしょう。

今でも親に怒られたりすると、すぐムシャクシャして、無差別殺人をする者がいますが、今後は日常的な出来事になるでしょう。

行政は責任を問われるので、このような状況を問題視すると思います。

しかし、大多数の国民は、このような世の中を「個人の自由の結果」として他人事のように受け容れたから、結果的にセックスレスになったのでしょう。

そりゃ、そうですよね。

「ウチが生活水準を下げて無理して子供を何人も作ったところで、日本の人口が増えるワケじゃないし、子供が金持ちになって面倒見てくれるハズないし、そんな先の事より今なるべくオイシク暮らす方が良い。」と考えていませんか?

我が子の悲惨な社会環境を思うと、「生まれて来てありがとう。」と言うよりも、「作っちゃってゴメンなさい。」と言いたくなります。そもそも、悲惨な将来が見えているのに、わざわざ子作りするのは無責任かも?


男女の絆はセックスか?

男女が出会って、お互いに生涯を共にしたいと願うほど相思相愛となり、愛情を確かめ合うスキンシップの一環としてセックスに至り、心だけでなく、快楽のオーガズムと余韻といった大波、小波をを何度も何度も繰り返し共にすることで、かけがえの無い感覚がお互いの確信になり、愛情を更に高め、絆を深める・・・。

そんなセックスのパートナーと、人生のビジョンが一致して、お互いの役割分担が相互補完でストレス無く、幾多の障害も相互の信頼で乗り越えられて、それが信頼を更に深める・・・。

そんな夫婦がいるならば、セックスはかけがえの無いコミュニケーションのひと時だと思いますし、お互い歳を取っても、歳相応に、その時々で最高のセックスを生涯続けて行くことでしょう。

一方、プレイとしてのセックスは、どうしても刺激に飽きてしまうので、更に強い刺激を求めてキリが無くなるものです。実際は、人それぞれに培って来た常識や節操に抑圧されて、セックス以外にも楽しみや仕事があって時間とカネが割けませんから、多くの人は一定のレベルで止まってしまうと思います。夫婦のセックスに「倦怠期」があるならば、その夫婦にとってのセックスが「プレイ」に過ぎなかった証拠なのかも知れません。

大多数の夫婦は、心身の相性や人生のビジョン、生活の役割における相互補完関係まで十分に確信が持てぬまま結婚したと思いますし、そもそも全てが完全に一致する関係は奇跡で、どこかを妥協したり、大なり小なり身勝手な打算や世間体を優先したりするものです。そのような大多数の夫婦にとって、セックスとは、いずれ飽きてしまう娯楽であり、あるいは世間体や打算、あるいは「我が子」を求める「自己愛」にもとづく「子作りの手段」に過ぎないと思います。

以上の仮説が正しければ、「飽きて」「子作り終了」となれば、夫婦の間でセックスをする動機が無いので、セックスレスになるのは当然だと思うのです。


これからの日本のセックスは?

今の延長線で考えれば、高齢化も相まって、夫婦のセックスレスは今後ますます増えると思います。

そして、そもそも「夫婦」になる人が減ると思います。既に、積極的に結婚を考えるカップルは少なくなっていて、同棲や事実婚といった「自由度」のあるスタイルが主流になると思います。
このようなカップルにとって子供は自由度を狭める「障害物」でしょうから、ますます出生率が減ると思います。

今どき結婚の動機の半数前後が「出来婚」のようですが、多くは子作りの強い覚悟もなく、娯楽やレジャーの一環で出来てしまった子供であり、所詮はレジャー仲間程度の夫婦の絆ですから、現実の生活に直面すれば離婚率が高まるのは当然と思います。
悲惨な被害者は生まれて来る子供で、さしたる愛情もなく遊びたい親の「障害物」として生まれて来てしまったのですから、ネグレクトや虐待を受けるのは自然な流れです。

一方、伝統的で保守的な結婚をするカップルは少数派になっても一定数が残ると思いますが、僅かなセレブ層に限られて来るでしょう。インテリ度の高い保守的な中産階級の夫婦は少数派になり、子作りと子育てに要する負担と分娩のリスクを恐れ、しかも自分自身の生活に疲れてしまい、大多数が第一子が産まれた時点でセックスレス化するでしょう。

そして、夫婦の愛情に恵まれた子供の出生率が激減する一方、遊び仲間の「障害物」として生まれて来て、親のネグレクトや虐待を受けて育つ子供が続々と増えるのですから、日本の将来は悲惨です。

政策提言するならば、

1.身勝手な男女による覚悟の乏しいセックスで生まれて来る子供を減らす。
  未婚者や不倫関係など、婚外子を妊娠した女、妊娠させた男を傷害罪
  並みの刑事罰とする。但し、レイプされた女性を除く。

2.幼児・児童に対するネグレクトや虐待を、従来の傷害や殺人よりも重罪に
  する。児童相談所の職員に捜査、摘発権を与えて、Gメン化する。
  ネグレクトや虐待を目撃し告発した者に報奨金を与える。

3.貧困な母子家庭向け子育て支援
  高齢化した公団住宅のような地域に既存の建物を流用して低所得の
  母子家庭向けに施設を作り、母子家庭同士のコミュニティを形成させる。
  職業訓練所、学校や習い事の塾、託児施設、ハローワーク、介護施設も
  併設を併設し、託児施設をはじめ各施設でボランティアや正規職員に、
  施設内の母子を採用する。
  近隣の都市や企業・工場等への出勤用、通学用の路線バスなど交通
  手段を確保して、定期代を全額助成する。
  但し、自立を促し新たな入居希望者の場を確保すため、子供が定職に
  正規採用されるか、成人するまでに退去することにする。

4.低所得者・中産階級向け子育て支援
  素人考えでは、産科の充実について現実的で即効的な策は無い。
  正常分娩なら助産師に低コストでお願いし、妊娠中の定期検診も
  助産師に任せられるようにして欲しい。その上で、異常分娩や救急時に
  納得できる医療を受けられる仕組みが欲しい。
  産科医が受け持って来た診察まで出来る助産師を認めて資格と訓練を
  高度化した育成システムを作り、看護師と医師の中間レベルの報酬が
  得られるような仕組みにすべきです。
  助成金は有難いが、小額をダラダラとバラまかれても予算規模が大きい
  割に、結局は子作りの動機につながりません。
  医療事故など不測の事態に対して、刑事責任の追及と補償に終始
  するから建設的な議論が出来ぬまま医療側が萎縮して医師不足に陥り、
  多くの有志の産科医が挫折し、逃げてしまうのではないでしょうか。
  航空や鉄道の事故と同様の第三者調査機関を設け、医療側や警察と
  異なる、第三者調査機関による真因と再発防止を目的とする調査結果を、
  全ての判断のベースにすべきと思います。

5.里親制度の拡充
  榮倉奈々が演じた「瞳」一家のような里親を増やして普通に定着する
  仕組み作りが出来れば良いな、と思います。

6.セクシャリティ、性科学の啓蒙と教育。
  個人の自由と多様な価値観が前提なので、セックスのあるべき姿を
  描いて押し付ける事などナンセンスです。基準(あるべき姿)が無いのに
  啓蒙教育も何もあったものじゃありませんが、先ずは幅広い参加者と
  多くのメディアが様々な視点からオープンな議論を盛り立てて、続けて
  行くことが、結果的に啓蒙へつながると思います。




日本の夫婦、3分の1以上がセックスレス=調査
2008年11月13日

 [東京 12日 ロイター] 日本では夫婦の3分の1以上が、性交渉を持たない「セックスレス」の状態となっていることが明らかになった。その多くは、疲れ過ぎや面倒くさいことが理由という。社団法人日本家族計画協会の北村邦夫氏が12日に明らかにした。
 それによると、性交渉を少なくとも1カ月持っていないという夫婦の割合は、今年の調査では約37%。この数字は2004年には32%だった。
 同氏がロイターの電話取材で語ったところでは、男性の4分の1が仕事での疲れ過ぎを理由に挙げている一方、女性の19%はセックスを面倒だとしている。
 調査は49歳までの結婚している男性647人・女性821人を対象に実施。北村氏は、ワークライフバランスの問題だと指摘しており、個人的にすべて解決できることではないため、会社経営者がなんらかの対策を打つ必要があるとの考えを示した。
 今回の調査結果は、来年に厚生労働省へ報告される予定になっている。


嫌いじゃないのにやる気がしない…
愛する二人のあいだにセックスレスはなぜ起こる?

(掲載日 2008.02.21)

出会ったころはやる気マンマンだったのに、近ごろはとんとご無沙汰。彼女に対する愛情を失ったわけじゃない。なのに、なぜだ。俺のリビドーはどこへいってしまったんだ!
いや、リビドーはある。むしろ一人では積極的に慰めている方だ。
セックスレスという言葉は、かなり定着している。日本性科学会の定義では、「特殊な事情が認められないのにも拘わらず、カップルの合意した性交あるいはセクシャル・コンタクトが1カ月以上もなく、その後も長期にわたることが予想される場合」を指すという。たった1カ月でセックスレスなのか。セックスレスは増えているのか。日本性科学会の針間克己氏に話を聞いた。
「統計的に、性的な交渉が1カ月以上ないと、その後も長期にわたる場合が多い。それで、こういう定義になったわけです。今の日本人の年平均セックス回数は45回というデータがあります。戦後まもなくの調査では週1という答えがもっとも多いので、年間でいうと約50回ぐらい。そもそも日本人はセックスに対して淡白なんですよ。セックスレスが増えているかは、日本人の性意識の変化もあり問題化しただけかもしれません。一概に断言はできませんね」
それにしても、パートナーに愛情はあるのに拘わらず、セックスから遠ざかっていく人は少なくないですよね。なぜですか?
「家族的な愛情に変化するというのは、ありえますね。それに、倫理道徳は別として、性的に飽きるのは自然なんです。動物実験でも、同じラットをつがいで飼っていると、だんだんしなくなる。新しいラットを入れると、またしはじめる(笑)」(同)
現実はシビアだ…。対処法はありますか。
「とりあえず、ボディタッチなど形の愛情表現から徐々に入っていき、心と体を近づけていく方法が有効ですね。もちろん合意が前提ですが、行動あるのみです」(同)
パートナーとの関係は人それぞれ。だが、たまにはセックスもしなきゃ…という方は、早めに手を打つべし!
(ホドロフ鈴木)
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<殺人>「誰でもいいから」19歳、車で通行人はねる 千葉

2008年11月11日 11時06分

 面識のない通行人を軽トラックで故意にはねたとして千葉県警香取署は11日、自首してきた香取市の会社員の少年(19)を殺人未遂容疑で逮捕した。その後、被害者は死亡したため殺人容疑に切り替えて調べている。「仕事のことで父親に怒られ、直前にけんかをしてイライラしていた。誰でもいいから人をひいて殺そうと思った」と供述している。【中川聡子、駒木智一、斎川瞳】
 調べによると、少年は10日午後7時50分ごろ、千葉県香取市小見川の県道を歩いていた成田市七沢の千葉銀行員、澤田智章さん(24)を後方から軽トラックではね重傷を負わせた疑い。澤田さんは、頭などを強く打って11日午前6時25分ごろ死亡した。
 現場は片側1車線の直線道路。澤田さんは同僚と2人で帰宅する途中で路側帯を歩いていた。近くの住民が目撃し、通りかかった警察官に通報した。少年はいったん現場から逃走したが、直後に近くの交番に自首した。調べに対し「見ず知らずの人だった」と供述しているという。
 少年は父親が経営する建設会社で働いており、運転していたのは会社の軽トラックだった。
 千葉銀行によると、澤田さんは入行3年目で現場近くの同行小見川支店で渉外を担当していた。安井卓支店長(46)は「澤田君は常々『お客さんから信頼されたい』と話しており、お客さんにも先輩行員にもかわいがられていた。非常に残念としか言いようがない」と話した。
 澤田さんが仕事帰りによく立ち寄ったという現場近くの飲食店の女性経営者(51)は「外で大きな音がしたので出てみると澤田君が倒れていた。『澤田君、澤田君』と呼んでも返事がなかった。物腰が柔らかく、いつもニコニコしていてよく気がつく人だった」と無念そうに語った。
 現場はJR成田線小見川駅から数百メートル離れた商店や住宅が建ち並ぶ一角。
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by azatsu0422 | 2008-11-13 23:53 | 社会
2007年 12月 11日

「怖い」と思うことが安全確保の第一歩。

社会が物やサービスを提供する側に「絶対安全」を保証させて、提供する側が最善を尽くすのは当然ですが、その前に「絶対安全」という言葉が蜃気楼のような存在である、というのが世の前提と考えています。

私は「自己責任・絶対論者」ではありませんが、サービスを提供される側、あるいは物を扱うユーザー側としての「目利き」は必要だと思うのです。

そのために必要なことは、「怖さを知る」ということに尽きると思います。人は、恐れを抱くから自分事として注意を払うはずです。そして、怖さを知るためには、若干の失敗を経験する「試行錯誤」と「勇気」、それから「一を知って十を知る」だけの「想像力」と「知性」が必要だと思います。

それから、「怖さ」とは与えられる知識や情報だけでは不十分で、自ら最悪のケースを考えて情報を集め、知識を深めて判断する「感性」だと思います。今や基礎教育の意義を、そのような感性を研ぎ澄ませることに求めても良いのではないかと思うほどです。

ところが、今は絶対安全の名の下に、失敗を許さない雰囲気があります。一度もコケずにスキーやスノーボードが上達した人がいるでしょうか?一度も失敗や敗退を経験しないで達人になれと願う方がおかしいと思うのです。

それから、世の中には不安や恐怖に対する過剰反応が却って混乱を招くという考えがありますし、あるいは商売の妨げになるという考えもあります。身の周りの人間関係では、明るく振る舞う空騒ぎ好きな楽観論者から「杞憂」を「ネクラな心配性」とバカにされ、イジられてしまう社会生活の現実もあります。悲観論・楽観論の両極端にイジって喜ぶ人の存在は、今も昔も変わらないでしょうが、ネット社会になって速く広く大きく伝わるようになりました。

イジる人の存在は決してなくならないので非難しても現実は変わりませんが、自分自身が右往左往しないようにするだけの、独自の視点と主体性が今後ますます重要になるだろうと思います。


それにしても、「日本人は水と安全がタダと思っている。」と揶揄されて久しくなりましたが、近年は水も安全もタダでなくなりました。

治安や交通、医療をはじめ、食品、住宅、IT、玩具…と、今は世のなか何でも「安心・安全」がキーワード。多くの人がカネを払って水を飲み(水に付加価値をつけたお茶やドリンク並みの価格)、高いカネを払って防犯サービスを受け、高い無農薬の食材を買うのが普通になりました。
売る側も付加価値をつけて高く売る方が商売になるので、不安を煽っては安全性の高いモノやサービスを高く売っています。

世の中が便利になるほど、豊かになるほど、安全に払うカネが膨らんで、豊かな気持ちよりも不安感がつのり、誰もがお互い疑心暗鬼になっているようで、何とも皮肉な結果です。

どれもこれも、戦後から昭和40年代までの方が、今よりずーっとレベルが低くて危なかったのに、どうして「あの頃」はのんびりしてたのでしょうか。今はこんなに技術が向上してるのに、どうしてこんなに不安感を煽られるのでしょうか。

「無い」→「有る」の期待感は「ボロは着れども心は錦」かも知れませんが、
「有る」→「無い」という不安感や恐怖感に幸福感は生じないでしょう。

「無い」のに希望に満ちた幸福感を持つ人と、「有る」のに不安や恐怖の感情に苛まれて醜く争う不幸な人。「幸せって何だろう?」と考えさせられます。きっと、「有る」ことを「当たり前」と思わずに、「有難い」と感謝できるだけで、幸せな気持ちになれるのでしょうね。でも、それが出来ないのが平和ボケした私のごとき凡人の悲しさです。

「生きてるだけで、丸儲け」という台詞や、生死の境を乗り越えた人が生きてる事の有難味を思い知らされた、という話はありがちですが、極限の状況を経験していない平々凡々に生きて来た人には興味が湧かないでしょうし、たとえ頭で解っても実感が沸かないのが実情かも知れません。少なくとも極限を経験した当事者と同じ実感を持つのは不可能ですし、解ったような言い方をするのは当事者に対して失礼です。

敢えて好んで極限の状況に身を投じる勇気は持てませんが、少なくとも快適でラクな生き方ばかり選んで行くほど、後で大きなツケを払うことになるのだろうと感じる今日この頃です。。。


「ネット怖い」が8割 インターネットコム調べ [ 12月10日 12時54分 ]
J-CASTニュース

インターネットコムとクロス・マーケティングは、「ネットの怖さに関する調査」の結果を2007年12月6日に発表した。それによると、「現在、インターネットは怖いものだと思いますか」という質問について、「とても怖い」とした人は8.0%で、「ある程度怖い」の69.3%と合わせると8割に近い回答者が、インターネットに怖さを感じているとの結果が得られた。このうち、「ウイルスやハッキングなどの攻撃」と「情報流出」を挙げる人がそれぞれ81.0%に上り、「誹謗中傷」51.3%、「中毒性」19.0%と続いた。調査は、20代~50代のインターネットユーザー300人を対象に行った。
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by azatsu0422 | 2007-12-11 11:32 | 社会
2007年 09月 08日

社長って案外大変。

何事も、その立場になってみないと解らない事ってあるでしょう。社長という立場は、誰もがなろうと思ってなれるものじゃありません。大多数のサラリーマンにしてみれば、遠くて相容れない立場にいる、「偉い人」って感じです。当事者は、さぞ孤独でしょう。普通のイイ人なら、真面目に考えるほどプレッシャーを感じて、勤まらないでしょうね。

逆に言えば、普通じゃなくて、クセが強くて、神経がズ太くて、平気で嘘がつけて、裏で悪い事していて、そのクセ自分は凄いヤツだと聖人君子面して自慢話ばかりして、偉そうにふんぞり返って威張ってる、脂ギッシュで自己主張の強いクソオヤジ…というのが、社長に対する漠然としたイメージです。

自殺した社長さん、きっと辞める事も考えられないほど、追い込まれていたのでしょうね。

   「ママへ パパはこんな弱い男でした。申し訳ないです」などと書かれ、
   「こんな会社になって申し訳ない」といった趣旨の内容もあった。


創業者を継いだ2代目で、43歳の男が配偶者を「ママ」と呼び、自分を「パパ」と呼ぶのだから、さぞ大事に育てられて、経済的に不自由なく、自分のスイートホームを築いていたのでしょう。

創業者が立ち上げた事業を継ぐのは、先代が一代で派手に盛り立てた事業であるほど、だいたい先代のビジネスモデルが陳腐化して崩れた頃にバトンタッチされるから、後継者はゼロスタートの創業というよりマイナスからのスタートになりがち。あるとこ創業者以上にクールな能力と胆力が要ると思います。
そのクセ、2代目って世間から色眼鏡で見られるし、やる事が地味になるから内外のウケも悪くて…、デカい会社ほど業績を一々ゴチャゴチャ言われるし。普通なら自分を見失ってしまうでしょうね。

だから、2代目経営者みたいな人達って、業種を超えて交流して愚痴を言い合ったりして息抜きするのかも?抜くは抜くでも「息抜き」は、配偶者や外の異性を相手に出来ません。この社長さん、そういう健全な?息抜きの相手がいなかったのかな…。

それにしても、首を吊って死んでる人の姿は色々見たことあるけど、かっこ悪いですよ…。


「松本引越」の社長自殺 大阪、社長室に遺書 [ 09月07日 21時07分 ] 共同通信

 7日午後3時半ごろ、大阪府四条畷市江瀬美町の松本引越センター大阪本社の7階階段踊り場で、松本修治社長(43)が首をつっているのを従業員が発見した。病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。4階の社長室に松本社長が書いたとみられる遺書があり、四条畷署は自殺とみている。遺書には「こんな弱い男でした。申し訳ありません」などと書いてあったという。


<自殺>松本引越センター社長、本社内で首つる 大阪 [ 09月07日 20時50分 ]

 7日午後3時25分ごろ、大阪府四條畷市江瀬美町、運送会社「松本引越センター」本社7階の非常階段で、同社の松本修治社長(43)=同府茨木市西駅前町=が首をつっているのを社員が見つけた。約1時間後、死亡が確認された。4階社長室の机の上に遺書があった。府警四條畷署は自殺とみて調べている。松本社長は創業者である父親(現会長)の後を継ぎ、昨年9月に社長に就任したばかり。同社は「経営の重みに耐えられなくなったのではないか」としている。
 調べでは、遺書は家族あて。B5用紙に手書きで「ママへ パパはこんな弱い男でした。申し訳ないです」などと書かれ、「こんな会社になって申し訳ない」といった趣旨の内容もあった。階段上部にある鉄製のはりにカーテンを束ねるロープ(長さ約1・5メートル)を掛けて首をつっていたという。
 同社では7日午後9時半から、岡田邦夫専務らが本社で会見。岡田専務は「社長は先代が約50年かかって築きあげた会社を42歳で引き継いで頑張ってきたが、経営の重みに耐えられなかったのではないか」と話した。業界関係者らによると、同社は業界では草分け的存在だが、現在の規模は中堅クラスに位置。業績を伸ばす大手に押され、厳しい経営を迫られていたという。
 また、岡田専務は松本社長の健康状態について「持病のぜんそくで、最近、会社を急に休むことがあった」などと話し、健康面の不安を抱えていたことを示唆した。
 民間の信用調査会社などによると、同社は61年設立。「ぞうのマーク」のテレビCMで知られる。資本金は5000万円で従業員は約200人。06年6月期の売上高は63億6900万円。【花牟礼紀仁、田辺一城】
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by azatsu0422 | 2007-09-08 17:13 | 社会
2007年 08月 03日

「昭和時代」って終わってしまえば良かったよね?

阿久悠さんの訃報を知り、数々の歌謡曲を思い出しながら、「歌は世につれ 世は歌につれ」を実感しています。

明治・大正・昭和ヒトけた生まれの人から「今どきの若い者」と呼ばれる私にとって、昭和と言えば昭和初期(金融恐慌・軍国主義化・満州事変・日中戦争・太平洋戦争)よりも、敗戦後から復興~高度成長期~バブル前までの印象が強いのですが、今や平成も19年目。
「昭和時代」という「過去」の表現をすることに違和感が少なくなっている自分に気づいて、寂しさを感じています。

私にとっての阿久悠さんのイメージは「瀬戸内少年野球団」です。
敗戦直後、スカっとした青い空、野球、夏目雅子さんが扮する美しく優しい先生、キラキラした子供たち、イン・ザ・ムード…。阿久悠さんの原点なんだろうな…と思いました。

昭和時代って、グチャグチャした事をウダウダ考えずに、漠然と明るい未来を信じて、無我夢中で、ひたむきに頑張っていて、家族や隣人・友人と励まし合って助け合い、日々の前進を皆で喜ぶ・・・そんな感じの人が多い時代だった気がします。

敗戦後にイン・ザ・ムードを聴いて多感な時期を過ごした少年が阿久悠さんになったのなら、バブル後の「失われた10年」を経た頃に、阿久悠さんの数々のヒット曲を聴きながら、ひたむきに生きてみるのも悪くないかも…?

とりあえず、昭和時代に生まれ育って良かったな、と思うことにします。


阿久悠さん尿管がんで死去、70歳 [ 08月02日 10時29分 ] 日刊スポーツ

 「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」など、数多くのヒット曲を手掛けた作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。ジャンルを問わず5000曲以上を作詞し、70~80年代に昭和歌謡の黄金期を築いた。葬儀は近親者のみで行い、後日「送る会」を開く。喪主は妻深田雄子(ゆうこ)さん。
 ポップスから歌謡曲まで、ジャンルを問わない活動でヒットを飛ばし続けた阿久さんが、作詞家40周年の節目の年に旅立った。都内の病院でみとったのは妻雄子さんと1人息子の太郎さんで、眠るようにして逝ったという。
 関係者によると、阿久さんは01年9月に腎臓がんを患い、都内の病院で摘出手術を受けた。退院後は創作活動を行いながら、自宅のある伊豆や事務所のある東京を行き来し、通院治療や短期の検査入院などを繰り返していた。ある時期にぼうこうにがんが見つかったが体調は安定。容体が急変したのは先月10日ごろで、緊急入院してそのまま帰らぬ人となった。
 最期の仕事は、今月22日発売の渚ようこのアルバム「ノヴェラ ダモーレ」に「KABUKU」「どうせ天国へ行ったって」の2曲の詞を書き下ろした。「どうせ-」では、死後のことを「どうせ天国なんて 誰もいないから イヤよ」とつづっている。当時、歌手の岩崎宏美(48)が車いすに乗った恩師に「どこか痛いところはあるんですか」とたずねると「痛くないところがないんだよ」と、寂しそうにつぶやいたという。常々「自分には見えっぱりな部分や、強がるところがある」と話し、教え子の和田アキ子(57)が見舞いを申し出ても「元気な姿しか見せたくない」と断っていた阿久さんも、最近は体調不良を訴えることも多かったという。
 阿久さんが作詞家を志す原点は結核を発病した14歳のころ。医者から「激情を抱くと、胸が破れて死ぬ」と宣告され「文書を書くか絵を描くかしかなさそうだ」と心に決めたという。
 作詞家デビューは67年にザ・モップスが歌った「朝まで待てない」だった。その後は、山本リンダ「どうにもとまらない」、森昌子「せんせい」、都はるみ「北の宿から」など、アイドルから演歌までジャンルを問わないヒットメーカーとなった。70年代からは沢田研二と組み「勝手にしやがれ」などをヒットさせたほか、日本テレビの歌手オーディション番組「スター誕生!」の審査員として、ピンク・レディーや山口百恵、桜田淳子を発掘、歌謡曲の黄金期を築いた。
 誰もが口ずさめる名曲の数々は5000曲にのぼる。ペンネームに込められた「悪友」どころか、多くの人々の親友だった。


阿久悠さん、記録と記憶に言葉残し…病床でも気力 [ 08月02日 17時05分 ] 夕刊フジ

 尿管がんのため死去した作詞家で作家の阿久悠さん(享年70)。2001年5月、腎臓にがんが見つかって以来、闘病生活を送る傍ら、最後まで作詞やラジオの仕事を精力的にこなし続けていた。
 阿久さんは1日朝、都内の病院で息を引き取ると、そのまま静岡県伊東市の自宅へ無言の帰宅をした。兵庫県明石市から駆けつけた阿久さんの実姉は「今朝の電話で知りました」とショックで言葉少な。夜には歌手、石川さゆり(49)、作曲家、三木たかし(62)が弔問に訪れた。
 昭和歌謡界をリードした阿久さん。作詞を志すきっかけとなったのは、14歳で結核を発病し、医師から「激情を抱くと胸が破れて死ぬ」と言われ「文を書くか絵を描くか」と思うようになったことだという。その後、広告代理店勤務を経て1967年に作詞家デビュー、数々の大ヒット曲を世に送り出した。
 01年9月に入院し手術で腎臓を摘出した後、入退院を繰り返しながら伊豆の自宅と都内の事務所を行き来していた。ぼうこうにがんが転移してもがんと“共存”。容態が安定した時期もあった。尿管にがんが見つかった今年7月10日、再入院。関係者によると、親しい友人が見舞いに訪れるとイスに座り笑顔で応対するなど元気な様子を見せていたという。
 しだいに、食事や水を取ることができなくなり、点滴や酸素吸入を受けるようになっても、テレビで参院選の行方を見守るなど、気力の衰えはなかったという。
 31日夜、長男が病室を出るときに、珍しく阿久さんから握手を求めた後は、容態が急変。最期は雄子夫人や長男らが見守る中、静かに息を引き取った。
 通夜、葬儀は近親者のみで行い、後日、送る会が開かれる。


都倉俊一さん「ありがとう」数々の曲で名コンビの相方へ [ 08月02日 08時05分 ] サンケイスポーツ

 ピンク・レディーの一連の作品や山本リンダのセクシーなヒット曲などで阿久さんと名コンビを組んだ作曲家、都倉俊一さん(59)は1日夕、都内の事務所で思い出を語った。
 「学生の頃に出会い、生意気だったボクを温かく見守ってくれた。大学4年の時、阿久さんから山のようにスコア(楽譜)が届き、“これからプロで頑張れ”と、無言のうちに励ましてくれた。熱くて温かい、そういう人ですよ」と、当時を思い出して時折、笑みを浮かべて話した。
 最後に会ったのは2カ月前。家族同士で食事をした。「会うといつも先の話しかしない。元気にしゃべったけど、やはり弱々しさは隠せなかったと思う」としんみり。最後にひとこと、と問うと「素晴らしいパートナーでいてくれてありがとう。それしかありません」と声を詰まらせ、涙が止まらなかった。


なかにし氏、最高傑作は「青春時代」 [ 08月03日 10時29分 ] 日刊スポーツ

 作詞家阿久悠さん(享年70)の死去から一夜明けた2日、ライバル関係にあった作詞家で作家のなかにし礼氏(68)が阿久さんの死を悼んだ。
 作詞家として阿久さんと昭和歌謡をリードしてきたなかにし氏が都内で会見し、「阿久悠は昭和であり、日本の象徴だった」と語った。阿久さんの作品の最高傑作として「青春時代」(森田公一とトップギャラン)を挙げた。「『後から ほのぼの思うもの』なんてね、こう言われると、皆が納得しますよ。完成度も高く、何年たっても口ずさんでしまうでしょうね。すてきな歌です」と語った。
 ピンク・レディーなどを手掛けた阿久さんに対し、なかにし氏は「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)「北酒場」(細川たかし)など、大人のヒット曲をつづってきた。戦後、中国から引き揚げてきた自分の少年時代を振り返りながら「僕は中国生まれでよそ者。阿久さんの作品には、日本人が納得するフレーズがあった。僕は歌によって日本との距離感を測りながらやってきた」。対極のライバルと認め合っていただけに、「(阿久さんの)アンチテーゼとしてやってきた。挑戦相手を失った気がする」と盟友の死を悔やんでいた。


アッコ「阿久さんの曲は大きな財産」 [ 08月02日 10時29分 ] 日刊スポーツ

 作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。デビュー以来の恩師という和田アキ子(57)が阿久さんを語った。
 実は私の上京を東京駅で出迎えてくれたのが阿久さんだったの。私は新幹線を1本乗り遅れていたのに待っていてくれてね。今じゃ笑い話だけど、当時「絶世の美女が来た」って宣伝してくれたのも阿久さん。まだ作家で、私のデビュー曲「星空の孤独」から本格的に作詞家活動し始めた。
 阿久さんの歌詞はそれまでのものとは全然違ったの。「星空の孤独」の歌い出し「胸に広がる孤独の辛さ…」って歌詞は、18歳に見えない私にだから書けたって言ってた。シングルだけで13曲も書いてもらってる。中でもやっぱり72年のレコード大賞最優秀歌唱賞の「あの鐘を鳴らすのはあなた」よね。GS、演歌ブームの当時は、歌詞といったら「雨、酒、男と女」なんかが定番のフレーズだった。なのに阿久さんは「あなたに会えてよかった…」ときた。「誰に向けて歌えばいいですか?」と聞くと「アコが今まで出会ってきた人すべて、生きてきた街すべてを想像して歌うんだよ」って助言してくれた。最初はスケールが大きすぎて私には理解できなかったぐらい。女性が歌う歌でこんなに壮大な曲は、それまでなかったから。
 ピンク・レディーや沢田研二の歌の方が売れたけど、私は80歳になっても堂々と歌える曲をいただいた。紅白のトリでも阿久さんの作品を3曲も歌わせてもらってる。継承とでも言うのかな、それだけ大きな財産なの。歌手和田アキ子をつくってくれた大の恩人なんです。(歌手)


誰もが口ずさんだ、あの名曲残し… [ 08月02日 06時13分 ]

 ≪「スタ誕」教え子ピンク・レディー絶句≫時代の“仕掛け人”でもあった阿久さんの代表作が、日本テレビのスカウト番組「スター誕生!」(71~83年放送)。その申し子だったピンク・レディーをはじめ、タッグを組んでヒット曲を量産した作曲家の都倉俊一氏(59)、司会を務めた萩本欽一(66)ら“スタ誕”仲間も悲しみに暮れた。
 70年代の幕開けに「スタ誕」で“テレビを前提にした歌手づくり”を仕掛けた阿久さん。森昌子、桜田淳子、山口百恵の「中3トリオ」を生んだ後、集大成としたのがピンク・レディー。
 フォークソングで活動したがった2人を説得し、周囲が反対した「ペッパー警部」をデビュー盤のA面に据え、空前の大ヒットを連発。2人にとっては最大の恩人だ。
 未唯(49)は「突然の訃(ふ)報で戸惑い、大変驚いています。喪失感でいっぱいです。お顔を拝見するまではとても信じる気持ちになれません」とコメント。増田恵子(49)は来月2日に行うライブの案内状を阿久さんに送り、久しぶりの再会を楽しみにしていた矢先。「ただぼう然としています。非常に落胆して言葉になりません」。短い言葉に、そのショックの大きさがにじんでいた。
 番組開始の71年10月から80年4月まで司会を務めた萩本は、本紙の電話取材に「とんでもないことになっちゃって…」と一瞬言葉を失った。開始当初は「怖そうで近寄りがたかった」と言うが、半年後に視聴率20%を超えると「笑いながら話し掛けてくれてうれしかった。好きになっちゃいそうと思った」と振り返った。3カ月前にパーティー会場で会ったのが最後。「心地よい言葉であいさつをなさって、元気だったのに…」と早すぎる死を悼んだ。
 「ピンク・レディー」の名付け親で、阿久さんとは300曲以上作った盟友の都倉氏は「11歳も上なのに五分五分の関係で仕事をしてくれた。兄貴のように思っていた」と涙をこぼした。2カ月前に家族同士で食事したのが最後。「弱々しかった。照れ屋でニコニコできる性格じゃなかったけど、あんなに温かい人はいない」と人柄をしのんだ。


“UFO”に乗って天国へ… [ 08月03日 06時13分 ]

 作詞家で作家の阿久悠(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんが尿管がんのため70歳で亡くなってから一夜明けた2日、ピンク・レディーの増田恵子(49)未唯(49)らがあらためて恩師をしのんだ。
 ≪増田恵子「ああ、どうしましょう…」≫悲報から一夜明けても増田の目は、真っ赤に腫れていた。
 「“ありがとう”の感謝の言葉も言えなくて…。ああ、どうしましょう…」
 生みの親の早すぎる死に、人目もはばからずうろたえ、涙が止まらない。悲しみ以上に、感謝の思いを最後に伝えられなかったやるせない思いが、何度もほおをつたった。
 レコーディングの現場にも現れなかった阿久さんが、会うと必ず言ったのが「食べてるか?」「寝てるか?」。
 「先生は絶対に目を合わしてくれなかった。必ず目をそらして、この2つの言葉を言うんです。ハードスケジュールにやせ細っていった私たちを心配してくれていたんだと思う」
 一番の思い出の曲は、大人っぽい内容の「マンデー・モナリザ・クラブ」。「子供向けの曲が多かった中、私たちは年をとっていく。でもブームに流されていくしかなかった中で“本当は君たちはこういう歌を歌いたいんだよね”と言って作ってくれたんです。先生には分かっていたんです。私たちの気持ちが。いつも見えないところで大きな歯車を押してくれていました」と、大きな支えだったことを強調。
 予定される「お別れ会」に関しては「(言えなかった)ありがとうの気持ちを伝えたい。“UFO”に乗ってってくれれば…」。阿久さんが「3分間のアニメーション」として作り上げたピンク・レディーの真骨頂といえる傑作の名を挙げ、永久につながっていたいという悲痛な思いを言葉にした。
 <未唯「最初にプロのと認めてくれた」>相棒の未唯は、この日朝から民放各局の情報番組に出演。「この世の中で最初にプロの歌手として認めてくれた人。ありがとうございましたと伝えたい」と思いを語った。ピンク・レディーの現役時代は「ほとんど話したことがなく、すべて都倉先生を通じてだった。解散してから、ゆっくり話す機会が増えた」という。直筆の手紙も紹介し「いつも見えないところから、ずっと見守ってくれていた」と感謝した。


阿久さんの悲報に未唯「戸惑いと喪失感」 [ 08月02日 10時29分 ] 日刊スポーツ

 作詞家阿久悠さん(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)が1日午前5時29分、尿管がんのため入院していた都内の病院で死去した。70歳。兵庫県出身。阿久悠さんが生み出した国民的アイドル、ピンク・レディーの未唯(mie=49)と増田恵子(49)はこの日、悲報に言葉を失った。阿久さんとコンビを組んで2人を育てた作曲家都倉俊一氏(59)は、都内事務所で「2人でまた何かできる時代が来ると話していた」と、早すぎる死を悼んだ。
 阿久さんが審査員を務めていたオーディション番組「スター誕生」から巣立ったピンク・レディーは、76年のデビュー曲「ペッパー警部」に始まり、「UFO」「サウスポー」「渚のシンドバッド」、そしてラストシングル「OH!」まで、阿久さんの作品を歌い続けた。そして、実働5年で、社会現象を起こし、歌謡史の記録も数多く作った。
 未唯は「戸惑い、喪失感でいっぱいです。お顔を拝見するまでは、とても信じる気持ちになれません」とコメントした。一方の増田は、担当マネジャーから連絡を受け、言葉を失った。担当者は「絶句して、とても受け止められない状況です」と代弁した。増田は40周年記念アルバムの制作中で、先日、阿久さんからも祝福コメントが寄せられたばかり。「お元気そうで良かった、と話していた」(担当者)だけに、気持ちの整理がつかないようだ。
 ピンク・レディーの人気は、子供たちが歌や振り付けをまねたことから爆発的に広まったが、歌詞に子供もウキウキするような遊び心をちりばめたのは「従来の流行歌をどう壊すか」をテーマにした阿久さんの狙いでもあったという。本塁打世界記録の巨人王を歌い、モンスターもUFOも飛び出すなど、夢の世界が詞になった。
 作曲家都倉氏も、阿久さんの言葉や時代への敏感さを「よく『僕は時代の上を満たすんだ』と話していました。時代のにおいをかぎ分け、時代に言葉を投げ掛けて語り、時代に生きた人」と振り返った。阿久さんと最後に会ったのは2カ月ほど前だった。ピンク・レディーという時代を作った阿久さんは、その時も「また何かやろう。2人でまた何かできる時代が来るだろう」と意欲的だったという。


悲しい…はるみ、八代、リンダが涙 [ 08月02日 06時13分 ]

 阿久悠さん急逝の悲報に、歌謡界の多くのスターや往年のアイドルたちもショックを隠せなかった。日本レコード大賞受賞曲は史上最多の5作品。都内で会見した都はるみ(59)は「感謝の気持ちしかない」と声を震わせ、沢田研二(59)も早すぎる死を悼んだ。静岡県の自宅には1日深夜、石川さゆり(49)が作曲家の三木たかし氏(62)とともに駆けつけた。
 「北の宿から」で76年のレコ大に輝いたはるみは「私の第2のスタートをつくってくれた方」と、まず感謝の言葉から切り出した。威勢のいい少女から大人の女性へとイメージチェンジを図った1曲。「なにしろ自分が変わりたいと思っていた頃。歌った時に“都はるみじゃない”って言われた時はうれしかった」と涙をこらえながら話した。 阿久さんには歌詞の書き直しを依頼したほどの勝負作。「あまりに私を大きくしてくれた歌なので、嫌いになったこともあった。でもこれからはしっかりと力を入れずに歌っていきたい」と誓いを新たにした。昨年9月には師匠の市川昭介さんを亡くしており「天国で仲良く話をしてくれたらいいな」と続けた。
 80年のレコ大受賞曲「雨の慕情」を歌った八代亜紀(56)も都内で会見。「内面は本当に優しい人でした」と涙ながらにしのんだ。「日本人の魂をつかまえる詞だった。“舟唄”も最初の2行を読んだだけでヒットすると確信しました。あんな素晴らしい詞を作る先生はもう二度と出ないのではないでしょうか」と話して絶句した。
 77年に「勝手にしやがれ」でレコ大を受賞した沢田は「早すぎる最期です。アクの強い詞に七転八倒したのをきのうのことのように思い出します。阿久さんの歌を大切に歌っていきたい」とファクスでコメント。「彼らの才能と付き合うのであって、個人的に知らなくていい」と歌手とは距離を置いた阿久さんが一緒に食事をした数少ない1人でもあったジュリー。残された名曲を歌い続けることを誓った。
 「どうにもとまらない」「狙いうち」などのヒット曲がある山本リンダ(56)も会見し「先生は私や皆さんの中で、いつまでも生きていく。大事に大事に歌わせていただきます」とハンカチを握りしめながらポツリ。涙はとまらなかった。


甲子園出場校決定の日…阿久悠さん逝く [ 08月02日 06時13分 ]

 沢田研二の「勝手にしやがれ」やピンク・レディーの「UFO」などのヒット曲を手掛け、昭和歌謡界の黄金期をリードした作詞家で作家の阿久悠(あく・ゆう、本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんが1日午前5時29分、尿管がんのため、東京都港区の東京慈恵会医大病院で死去した。70歳。今年は作詞家生活40周年。この日は高校野球の甲子園出場校が出そろった日だった。通夜、葬儀は近親者のみで行い、後日、送る会を開く予定。喪主は妻雄子(ゆうこ)さん。
 阿久さんは01年5月、病院で健康診断を受けた際、腎臓がんが見つかった。米中枢同時テロが起きた前日の同年9月10日に入院して手術を受け、腎臓の1つを摘出した。以来、入退院を繰り返したが、今年5月から本紙で、自らの作品について時代背景を交えながら書く「阿久悠の昭和ジュークボックス」の連載を開始。7月10日に入院後も執筆を継続し、同22日付の伊藤咲子「ひまわり娘」で第1部を終了したが、第2部再開に意欲を見せていた。
 作詞家として手掛けた作品は約6000曲。日本レコード大賞、日本歌謡大賞、日本作詩大賞など多数受賞。最後の作品はペギー葉山のデビュー55周年記念シングル「神様がくれた愛のみち」(7月25日発売)だった。
 企画、審査員として携わった日本テレビ系「スター誕生!」からは森昌子、桜田淳子、山口百恵の「中3トリオ」、岩崎宏美、小泉今日子、中森明菜ら数多くのスターが生まれた。
 作家としては、映画化された「瀬戸内少年野球団」(直木賞候補作)や、「殺人狂時代 ユリエ」(横溝正史賞受賞)などを執筆。日本の家族を題材とした「家族の神話」「家族元年」、大人の恋愛小説「結婚式」「あこがれ」など作風は幅広かった。
 野球をこよなく愛し、79年から本紙で「甲子園の詩(うた)」を連載。毎年、夏の高校野球大会の48試合をすべて見て詩を書く力作で、都立雪が谷高校、岩手県の高田高校、新潟県の新発田農業高校などが歌碑にした。阿久さんは79年の箕島対星稜戦を「最高試合」としていた。
 97年、30年間にわたる作詞活動により第45回菊池寛賞を受賞、99年には紫綬褒章を受けた。
 自らの長年の活動については「今までにはないものを作ったという自負はある」と語っていた。
 阿久 悠 1937年(昭12)2月7日、兵庫県津名郡鮎原村(現・洲本市五色町鮎原)で生まれた。明治大学文学部卒、同大学院修士課程修了。広告代理店「宣弘社」で番組企画、CM制作などに携わった後、フリーに。ペンネームは「悪友」から。67年、初めてレコードA面のザ・モップス「朝まで待てない」を作詞して以来ヒットメーカーに。99年、スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞。


「背番号1」も悲報にショック [ 08月02日 06時13分 ]

c0019485_13141953.jpg78年3月30日、旧後楽園球場で巨人・王(現ソフトバンク監督)から打撃指導を受ける阿久悠さん 


 ♪背番号1の凄いヤツが相手…。ピンク・レディーが歌う「サウスポー」の登場人物のモデルとなったソフトバンクの王貞治監督(67)は突然の悲報に「才能豊かな人だった。年賀状は交換していたが、最後に会ったのは巨人時代かな。オレのホームランを知っている人が、どんどん、少なくなる。時代を共有した人が亡くなっていくのは寂しい」としのんだ。
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by azatsu0422 | 2007-08-03 12:54 | 社会
2007年 04月 14日

「残業」といっても色々。

仕事への意気込みや野心、あるいは収入確保の面から長時間労働を厭わずに働きたい人が存分に働いて、家の事情や自由時間の確保を重視して長時間労働をしないで済ませたい人は、残業しないで済むような法的根拠や支援策があれば良いと思いますが、今の状況は働きたい人が法律の規制に反して働く一方で、残業したくない人がブーブー言いながら残業している感じがします。

唐突な例えではありますが、一般的な体育の授業だけでオリンピックのメダリストが輩出できるでしょうか?現状の労働関係の規制は、まるでメダリストを目指す人たちに、トレーニングの行き過ぎによる怪我や病気を懸念して体育の授業以外でのトレーニングを禁止するようなものです。

先進国どころかアジア諸国の中でも、今や教育水準と勤労意欲の面で今の日本は平凡な国になっているのに、少なくとも国力の維持高揚の観点で言えば、仕事に自己実現を重ねて野心を抱く価値観の人に対して、「出る杭を打つような規制」よりも、「ハイリスク・ハイリターン」の原則で、リスクを本人に持たせた上で野心と意欲を支援するような施策が必要だと思います。

何につけてもそうですが、どうして政府は多様な価値観を十把一絡げな前提で塗りつぶそうとするのでしょうか。欧米の合理的な政策に対して、日本は中庸で煮え切らない政策が多い印象ですが、そこに至る議論は非常に極端な前提に立つ者が侃々諤々とやって、最終的には間を取る…みたいな感じです。

残業ひとつとっても、残業の背景や狙いは多様だと思います。ちょっと思いつくだけでも、次のような事があると思います。
1.突発で至急に対応しなくてはならない仕事やトラブルに対処する。
2.慢性的に仕事量が多く定時までに終わらないが、収益面や人材不足で増員できず残業対応する。
3.従業員が収入を増やすのに残業代で稼ごうとして、対応の要否にかかわらず残業する。
4.同僚が残業しているのに先に帰っては気の毒、あるいは帰りにくい、という付き合い残業。
5.同僚が残業する中で、先に帰ると仕事に熱心で無いと評価されなくないから…という残業。
6.職場にしか自分の居場所が無いので、手持ち無沙汰で居残る残業。
7.職場の士気高揚やシゴキ、イジメなど職場リーダーのパワハラ的な意図による残業。

そもそも残業の建前は、1.の理由で残業を命ずることがある、という就業規則の会社が一般的だと思いますし、労働関係の行政や法令もこれが「社会通念上」の前提だと思います。

一方、高度成長期の頃は、3.~7.の残業がサラリーマンの悲哀として面白おかしく語られていました。今でも職場によっては大なり小なりあるでしょうが、もはや力学的に成り立たない時代だと思います。

医師や看護師の不足による長時間労働の慢性化が典型ですが、問題なのは、2.の背景による残業をどうするか?であって、大臣の立場にいる人がアリとキリギリスの議論をしている場合じゃないと思うのです。


<尾身財務相>「残業半減ではキリギリスに」諮問会議で発言 [ 04月11日 20時22分 ]

 労働市場改革を議論した6日の経済財政諮問会議で、残業時間半減などを政府目標にすべきだとする民間メンバー案に対し、尾身幸次財務相が「日本をキリギリスの国にしてしまう」と反論していたことが、11日公表の議事要旨で分かった。
 尾身財務相は「働きたいのに残業時間を半減しなければとか、働かないことがいいことだという考え方は自由主義に反する。国家の方向として決めることは、わが国が衰退する原因になる」と主張。民間案の土台にある「ワークライフバランス」(仕事と家庭の両立)などの仕事観、家庭観に異議を表明した。
 これに対し、安倍晋三首相は「みんなキリギリスになったら大変だが、日本はそういう方向には向かない。長時間労働を前提に経済が成り立つのは間違っている。家族がしっかりしていなければ国が成り立たない」と、民間メンバー案に理解を示した。【尾村洋介】
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by azatsu0422 | 2007-04-14 11:23 | 社会
2007年 02月 15日

注目すべき指標と思います。

他の国と比べて飛び抜けて高いこと自体よりも、日本の子供の3人に1人が孤独感を抱いているという事実に向き合うことが大事と思いました。

どうして孤独を感じるのでしょうか?

一人っ子で親族や近所、学校の子供同士の人間関係も希薄だから?
両親が共働きの核家族で鍵っ子だから?
片親の家庭で核家族だから?
親が子供の気持ちに向き合わず、「○○しろ」と親の都合ばかり押しつけてくるから?
親が自分勝手にしていて、子供を構わず放っておくから?
親に怒られるような事をして構って欲しいというサインを発信しても受け流されるから?

様々なニュースを通じて社会のモラル低下、教育問題、そして現実の閉塞感が指摘されていますが、悪者を吊るし上げても解決しません。全ての家族が子供の孤独感に向き合って、身近な所から子供の孤独感の解消に取り組むことが、案外とシンプルで有効なアプローチになるのでは?と感じました。そのためには、子供の教育よりも親の教育と意識改革が先になりそうです…。


日本の子供、最も孤独 先進国と比較 [ 02月15日 10時19分 ] 共同通信

 【ロンドン15日共同】日本の子供は「最も孤独」-。国連児童基金(ユニセフ)が14日発表した先進国に住む子供たちの「幸福度」に関する調査報告書で、こんな実態が浮き彫りになった。先進25カ国について各種指標を比較。子供の意識に関する項目の中で「孤独を感じる」と答えた日本の割合は29・8%で、2位のアイスランド(10・3%)以下、フランスや英国などに比べ飛び抜けて高かった。
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by azatsu0422 | 2007-02-15 12:30 | 社会
2006年 11月 22日

これは功績なの?

昔は性を売り物にしている女性と、そうでない女性の見分けがワリとハッキリつきましたが、最近は見分けがつかなくなりました。プロと素人の境界が曖昧になって、アルバイトやパートの感覚で性を売る女性が日常的になっている気がします。

私はフェミニストではありませんし、かといって女性像の良し悪しを固定概念で決めつけるつもりもありませんが、性を売るのは「普通じゃない」事に感じます。そして、性を売る仕事が「普通のバイト」になって行くのは、何だか悲しいです。「需要(そういう消費者の男と、商売にする業者)があるんだよ。買う方が悪くない?」と言われたら、実際そうなので返す言葉はありません。でも、そういう世の中は普通じゃないと思います。

何が正しいのか分からない世の中で、私の一方的な既成概念や価値観を押しつけて非難する、といった無粋なマネをするつもりはありません。でも、性を売るのは「それなりの覚悟」をもって入るべき事だと思うのです。

軽く入って、人前に極めてプライベートな行為を晒して、大金を稼いで、それで…「無かった事」にして平然としてる人とか、飯島愛みたいなメジャーな芸能人の足がかり程度に考える人って、何だかなぁ~…と思うけど。同性から見たら、「べつにぃ~?普通じゃん?」ってことなのでしょうか…。

なんか、やだ。


飯島愛がAV界に残した功績 [ 11月21日 10時00分 ] ゲンダイネット

 飯島愛(34)の記事に「へぇ~っ」と思った。2年前に彼女の個人事務所の経理担当者が事務所のカネを使い込んでトンズラ。被害額は数千万円ともいわれる。
 飯島で思い出すのは彼女のAV界での功績だ。彼女は92年に「激射の女神」でAVデビュー。“Tバックの女王”と呼ばれ、AVでアヘアヘ言いながらテレビの深夜番組でも活躍した。この当時、街で女の子を物色するAVのスカウトマンは「飯島愛のおかげで仕事がやりやすい」と笑っていた。
 それまでは「AVに出ない?」と声をかけても、ほとんどの女が「ノー」と断った。が、「AV出演は飯島愛みたいにタレントになるチャンスだよ」と言うと、足を止めて話を聞いてくれるようになったという。
 あるAV専門誌の編集者はこう言っていた。
「飯島がテレビに出まくったおかげで、92年ごろからAV界に多くの若い女が流れ込んだんです。80年代にもイブや小林ひとみ、葉山レイコといった美人AV女優がいたけど、数が足りなかった。だけど90年代はタレント志望の女たちが“私も愛ちゃんみたいにAVに出たら有名タレントになれる”と思い込み、顔や胸を整形してAV出演を決意するようになった。そのころからAV界にキレイな子が増え、現在のように右も左も美人女優という、ありがたい状況が生まれました」
 つまり飯島の登場はAVの歴史において画期的な出来事だったわけだ。
 AV女優の大量発生は“アルバイト女優”をも生み出した。普通のOLが会社に在籍しながら、こっそりAVに出るようになったのだ。
 たとえば93~94年に十数本のAVに出演したA子。常盤貴子似の美人だったため「常盤にAV歴」というウワサが流れたほどだ。実は私もこのウワサに胸を高鳴らせたひとり。だが、知り合いのAV監督に「A子は常盤とは別人」と聞かされてガッカリした。そのかわり監督はこう話してくれた。
「実はA子は都内の区役所に勤める、れっきとした公務員だよ。小遣い稼ぎのために土日にAVの撮影に参加してるんだ。ふだんはスッピン、撮影時はハデなメークと、ギャップが大きいので周囲は誰も気づかなかった」
 A子は1年余りでAV界を引退し、区役所も退職したが、いまだに元同僚たちは彼女の正体に気づいていないという。ミステリアスだ。
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by azatsu0422 | 2006-11-22 22:39 | 社会
2006年 06月 29日

専業主婦が出来る人の背景は?

今どきの専業主婦像には、次のようなケースがあると思います。

1.夫の収入だけで十分な経済力があり、家事や子育てに追われない人。例えば、夫が高収入で、家事や子育てを外注して済ませられる人、親にパラサイトして経済面や家事・子育てを依存できる人。あるいは子供の養育費や教育費と、育児に要する手間を避けるため、最初から子を作らない人。セレブ主婦のイメージ。

2.必ずしも夫の収入は十分でないが、「女性は家庭に入り、子を産み子育てに専念するもの」という固定観念が崩せない人。経済的余裕が無いうえ核家族で頼る身内もいない場合は、えてして家事と育児に追われて余裕が無い。

3.就業経験やスキルが乏しく、仕事をしたくても職に就けない人。一種のニート。主婦ひと筋で何十年も就業しないまま歳をとり、気力・体力が衰えて、今さら就業できないと考える人。今回のアンケートは35歳までなので、このケースはあまり検出していないだろう。

根拠となるデータはありませんが、今どき2.や3.は少数派で、「専業主婦が出来る人」の多くが1.の背景なのだろうと思います。しかもネット調査ということで、ネットを見て回るヒマとPCを開くだけのスキルがある主婦なら、自ずと1.の背景である人が高そうな気がします。

「あくせく働く人」と、「時間の消費を楽しめるセレブ主婦」の違いがハッキリして来たということになるわけで、いみじくも格差社会の現状が反映されているということなのでは?


専業主婦に生活満足度高く 若い世代「時間にゆとり」 [ 06月29日 19時12分 ] 共同通信
Excite エキサイト : 社会ニュース

 若い専業主婦は4人に3人が今の生活に満足しているが、有職者は2人に1人-。ベネッセ教育研究開発センター(東京)が全国の25-35歳の男女2500人に行ったアンケートでこんな違いが現れた。
 調査は1月、インターネットで実施。男女各1250人が回答し、有職者(正規、非正規社員、自営自由業)1921人、専業主婦461人、無職118人。
 今の生活に「とても満足」「まあ満足」は、専業主婦73%、正規社員55%、自営自由業50%、非正規社員49%だった。
 専業主婦の58%が「時間的ゆとりがある」としたが、有職者は35-46%。「充実した余暇を送っている」も専業主婦の48%に対し、有職者は35-40%にとどまった。
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by azatsu0422 | 2006-06-29 21:10 | 社会
2006年 06月 23日

支離滅裂で身勝手な葛藤ぶりに、呆れる。

畠山容疑者への印象は、「身勝手さ」です。自分の事しか愛せない人なんだな、と思います。
男を連れ込み、子供にカップ麺を持たせて家の外へ出して、その間、近所の住人が呆れるような嬌声をあげてセックスに興じていた…という畠山容疑者の日常を思うと、いかなる「しおらしい」供述も嘘臭く感じてしまいます。結局は、刑を少しでも軽く済ませたいだけのことじゃないか、と思わざるを得ません。

そして、恐ろしいのは、都会に限らずどこでも潜在的に畠山容疑者みたいな人が増えているような感覚です。

それは、子供の虐待だけでなく、もはや一般化しているような感さえある出会い系サイトを介した不倫の横行、学生から主婦に至るまで様々な女性がバイト感覚でAV出演、パチンコやパチスロに依存する主婦、幼い子供を放置して外出したりパチンコに興じる親、身の丈を顧みない買い物、消費者金融への依存、放漫な家計のやりくりによる破綻や自己破産の続出、…といった、節操の欠如が全国津々浦々で「普通の出来事」になっている気がして、こういう当事者が潜在的に畠山容疑者の予備軍である可能性が高い気がするからです。

昔はムラ社会特有の相互監視と、「一家の恥」みたいな緊張感が、「だらしない行為」に対して一定の抑止力を持っていたと思うのですが、誰もが匿名性の気楽さと、過剰なプライバシー意識を持ってしまった以上、今さら昔に戻るわけにも行きません。

それにしても、「個人の身勝手」を責めるなら、突き詰めれば私も含めて日本中の誰もが大なり小なり身勝手な一面を持っているのではないでしょうか…?

かといって、どこまでのゾーンなら「許される身勝手」で、どこから「許されない身勝手」なのか?…などという「線引き」を議論するのも幼稚です。さらには、あらゆる身勝手を糾弾して抑圧的に生きることを議論するのも、どこかの原理主義みたいで現実的ではありません。

現状はモラルやマナーの遵守・向上を交通標語のように連呼するだけで、虚しさを感じますが、節操を守り、利他的な行動や社会貢献を、積極的にするほど「得する」社会システムがあればいいな…と思います。こんな発想をすること自体が馬鹿馬鹿しく思われても仕方ありませんが、果たしてどうすれば良いものか…。

そもそも、モラルやマナーをを損得につなげようとすること自体が無節操だ、という矛盾を指摘されるかも知れません。ただ、残念ながら今の日本人は私も含めて知的水準が昔よりも確実に低下して、精神構造も幼稚化しているのは事実だと思います。そのために教育改革に力を入れることは否定しませんが、教育を変えて国民全体のレベルを向上させるには、少なくとも二世代、60年かかるという話を聞いたことがあります。しかも、「国を愛する心」を議論するだけで大騒ぎして、何も決められないような状況では絶望的です。であれば、先ずは、皆の知性に訴えたり今どきの教育システムに頼るよりも、損得の合理性で片づけざるを得ないのではないかと思うのです。


「犯行忘れたかった」 男児殺害で畠山容疑者 [ 06月23日 12時36分 ] 共同通信
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 秋田県藤里町の藤里小1年米山豪憲君(7つ)殺害事件で、死体遺棄容疑で逮捕された畠山鈴香容疑者(33)の弁護士が23日会見し、畠山容疑者が豪憲君の捜索に参加したことについて「自分がやったことを忘れたくて、豪憲君を一生懸命捜した」などと話していることを明らかにした。
 また遺棄した遺体について「早く見つかった方がいいと思っていた」などと話しているという。
 会見した有坂秀樹弁護士らによると、畠山容疑者は、4月に水死した長女彩香ちゃん=当時(9つ)=が不明となり、翌日まで見つからなかったことから、豪憲君の家族に「ああいう気持ちを長くさせたくない」と考え、「ここなら見つかりやすい」と思って、川岸の草むらに遺棄。遺体を埋めたり川に流すなどは考えなかったという。
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by azatsu0422 | 2006-06-23 14:37 | 社会
2006年 06月 21日

共感、憤り、そして迷う。

1.本村洋さんへの共感

まず、被害者の夫であり父である本村洋さんの心情に共感しています。私は、そういう立場です。

この事件が起きた直後、私がこの夫と同じ立場になったら…と考えて、家内と話し合ったことがあります。確か、最初の判決が出る前で、本村さんが「自分の手で殺したい」という趣旨のコメントをして物議をかもす前だったと思います。

私は、「いかなる判決だろうが、あらゆる手段を考えて、自分の手で犯人をなぶり殺してしまいたい。」と言いました。はからずも本村さんと似たような事を考えていたと思います。むしろ、司直に委ねず自分自身の手で犯人を残虐に殺したい…と考えてしまった私は、明らかに常軌を逸していました。

それに対して、家内は「そんな事をしても、あなたが損するだけで、誰も報われないよ?」と言いました。
私は、「それでも構わない。そうしないとオレの気が済まない。」と答えました。
家内は、「あなたの気が済んでも、周りに迷惑かけるわよ?」と言いました。
「…じゃあ、オレは、どうすればいいんだ?」
「…仕方ないわよ。」
「仕方ないで済ませられるか?とにかく、オレは気が済まない…っ!」
ふつふつと、込み上げて来る怒り、やるせなさ…。ぶつけようのない感情…。震えました。
私たちは沈黙して・・・話が煮詰まりました。あれから早や7年が経つようですが、それ以来、家内と私は、この話題に触れていません。


2.司法への憤り

私も役所みたいな組織の会社に勤めた経験がありますし、今も役所の規制と折り合いをつけながら仕事をしているので、組織とか役所の論理、法解釈や手続き論の一端は実感しています。

そんな実感から司法をお役所仕事と同じように解釈すれば、今回の差し戻し判決には「最高裁のくせに、この期に及んで、未だ内輪の論理でお役所仕事するのかよ?」という憤りが込み上げます。高い所から「死刑の道筋をつけてやっただけでも良いと思え。」…と見下された感じがします。もしくは、裁判官から「私にも人生があるんで、あなた方の事件で自分のキャリアにリスクを背負い込みたくないんだよ。この辺で勘弁してくれ。」と言われた気分です。

裁判官にしてみれば、そんな気持ちなど微塵も無いかも知れません。専門家のブログを読むと、今後の未成年の死刑適用に影響する注目すべき判例になりそうで、そもそも最高裁の立場では、これ以上、踏み込んだ判決を下すことが事実上、極めて困難なようです。トップが現場の事に入り込み過ぎると、現場が却って混乱するという組織論から、トップの分を守っているのでしょう。そういう意味では、「法曹界の常識」の中では、最大限に踏み込んだ判決だったようです。

そりゃ、死刑の判決を下すということは、その判決をした人が事実上、その被告を殺すという意思決定をするわけですから、軽々しく判断できない事は理解できます。良くも悪くも判例が後の似たような事件の判決に影響するのでしょうし、判断する当事者(裁判官)は、無難に逃げられるものなら逃げたい気持ちでしょう。

それにしても…、裁判の迅速化がテーマでありながら、結局はお役所的な手続き論に逃げて、事件の落着を先送りしてしまったのは事実です。ここまで7年。これで高裁に差し戻して1~2年、高裁で死刑判決が出ても、上告になるのか知りませんが、とにかく被告弁護側は最高裁で徹底抗戦するでしょうから、死刑が確定するのに、今から少なくとも3年はかかるのでしょうか?

所詮、司法の人達は人事異動で担当を外れるでしょうから、「知ったことじゃない」のかも知れませんが、本村さんはどうなるの?他の長期化した数々の裁判を思えば、たかが10年なんて我慢しろ、ということなのでしょうか?

今度の国政選挙で最高裁の信任投票の機会があったら、この事件に関わった裁判官には「×」の票を入れさせてもらいます。


3.迷い

事件発生から10年、15年かかるのか分かりませんが、仮に死刑判決が確定して、死刑が執行されたとしても、本村さんの人生は何だったのかな?…と思い、自分なりの答えも見出せぬまま、自分自身に戸惑っています。

私が本村さんだったら…?事を成した後で世間に訴える必要も無い以上、事を荒立てないような言い方、例えば、「これで、妻子の墓前に報告できます。」と、とりあえず可も不可も無くコメントするしかありません。事を成し遂げた後で饒舌になり、わざわざ世間の反感を買っても仕方ありませんから…。

「法に則り」とは言えますが、被告を殺すように仕向けたという点で、本村さんは公言した通り「自分の手で被告を殺した」ことになるでしょう。
私は冒頭で書いたように、家内へ「私だったら、(犯人を)なぶり殺しにしてやる。」と言いましたが、このような裁判のプロセスを経て、ジワジワと被告に「死」を現実にさせて行くことで、多少は心理面で犯人を「なぶり殺す」ことに成功したのかも知れません。

私は首尾よく死刑執行の時を迎えられたとして、果たして気が済むのだろうか…。被告と被告弁護団は、あらゆる手段で抗戦して、あるいは懇願して、許しを請うのかも知れません。それらを全て無視して、生き延びようとする人間を自分の手で死に至らしめた時、そこには達成感や爽快感、充実感があるのでしょうか?

その後、私が最期を迎え、幸運にも「あの世」で家内に再会出来た時に、家内から
「あなたが私たちを思って犯人を死刑に追い詰めてくれたけど、私は満足していない。それよりも、あなたが失った多くの事が悲しい。」などと言われたら…?

「お前が満足してくれなくても、オレは構わない。いいんだ。オレは妻子の弔い合戦というよりも、自己満足のために、やったことだ。」…と、あの世で家内に言うのでしょうか?そんなこと言ってしまったら、妻子への愛情でなく、ただの自己愛で人を殺しただけになってしまう…?

…じゃぁ、殺された妻子を愛するために、私はどうすれば良かったのでしょうか…?
健気に「妻子の分も、精一杯、現世を生き抜きます。」と殊勝な言葉で頑張る、ということでしょうか?

頑張って働いて妻子を養い、妻子と共に過ごすひとときを楽しみ、私の仕事での自己実現を妻子と喜びを分かち合いたかったのに?子供に働く私の背中を見せて、私の生き様を伝えたかったのに?分かち合う家族が現世にいないのに?
…そんなの、奇麗事です。妻子のぶんも、精一杯に生きる?…理性で解ったとしても…、力が入らないよ、きっと…。

結局、私は誰のために生きるのでしょうか…?幼稚で俗人な私は、煮詰まってしまいます。

私が本村さんだったら…、あの世に逝っても、現世に呼び戻されるまで延々と悩み続けることになるかも知れません。それは、それで地獄です。

それとも、妻子に再会を果たせぬまま、「人を殺めた者」として私も地獄へ堕ちて、地獄で犯人と再会して、現世に輪廻するまで、何百年、何千年と、果てしない歳月の間、ずーっと…、犯人と格闘し続けるのかも知れません。

宗教は、そういう所を説いて、怨みを諌めているのかな…などと、考えてしまいました。


<光市母子殺害>無期懲役を破棄、審理差し戻し 最高裁 [ 06月20日 15時22分 ]
Excite エキサイト : 社会ニュース

 山口県光市で99年に母子を殺害したとして、殺人や強姦致死罪などに問われた当時18歳の元少年(25)の上告審で、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長・上田豊三裁判官代読)は20日、死刑を求めた検察側の上告を認め、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。判決は「無期懲役の量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」と述べた。最高裁が無期懲役判決を破棄・差し戻したのは99年以来、3例目。差し戻し後に死刑が言い渡される公算が大きくなった。
 少年法は18歳未満の被告に死刑を科すことを禁じており、事件当時18歳と30日だった元少年への死刑適用の是非が問われた。1、2審は「死刑を検討すべき事案」としたうえで、最高裁が83年に永山則夫元死刑囚(97年に執行)に対する判決で示した基準に沿って死刑適用の是非を検討。殺害行為に計画性がないことに加え▽前科がない▽発育途上にある▽不十分ながら反省の情が芽生えている――ことなどから更生の可能性があると判断し、死刑を回避した。
 しかし、第3小法廷は殺害の計画性がない点について「強姦目的を遂げるために殺害行為を冷徹に利用しており、特に被告に有利な事情とは言えない」と判断。更生の可能性についても「罪の深刻さと向き合っていると認めることは困難で、18歳になって間もないという点も、死刑を回避すべき決定的な事情とは言えない」と指摘した。そのうえで「1、2審が酌量すべき事情として述べた点だけでは、死刑を選択しない理由として不十分で、量刑を維持することは困難」と結論付けた。
 また、遺体の状況から「殺意がなかった」とする弁護側主張についても「1、2審の認定は揺るぎなく認められる」と退けた。差し戻し審で被告に有利な新事情が認められない限り、死刑が言い渡される可能性が高い。
 今回の判決は、下級審の量刑に影響を与えそうだ。
 1、2審判決によると、元少年は99年4月14日、光市の会社員、本村洋さん(30)方で、妻の弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、抵抗されたため手で首を絞めて殺害。傍らで泣き続けていた長女夕夏ちゃん(同11カ月)を床にたたきつけたうえ絞殺した。【木戸哲】
 ▽被告の弁護人、安田好弘、足立修一両弁護士の話 殺人及び強姦致死は成立せず、著しく正義に反する事実誤認があり判決は不当。2審の量刑判断を誤りとした点も判例の死刑適用基準を大きく逸脱し、死刑の適用を積極的に認めようとするもので不当だ。
 ▽山本修三・最高検公判部長の話 検察官の主張を是認した適正妥当な判決。引き続き差し戻し審で迅速・的確な公判遂行に万全を期したい。


<光市母子殺害>死刑の可能性「恐怖と向き合い反省を」 [ 06月20日 21時10分 ]

 「これからまた、どれだけの歳月が流れるのか」。山口県光市で99年に起きた母子殺害事件の上告審判決に対し、被告の元少年(25)に死刑を求め続けてきた遺族の本村洋さん(30)は「最高裁自ら判決を下してほしかった」と静かに切り出した。一方で、無期懲役判決の破棄で、被告が死刑になる可能性は高まった。「命を取られる恐怖と向き合って反省し、人の心を取り戻してほしい」。本村さんは語気を強めた。【安部拓輝】
 午後3時。妻弥生さん(当時23歳)と夕夏ちゃん(同11カ月)の遺影を両手に抱えた本村さんは、うつむき加減に目をつむり、判決を聞いた。「原判決を破棄する」。閉廷後、そばに寄り添う遺族らと立ち上がって、裁判官に深く頭を下げた。
 「最高裁で死刑判決を下してほしかった」。本村さんは会見で切り出した。「無期懲役にならなかったことに感謝はしている。しかし、ここまで7年かかった」と裁判が続くことに徒労感をにじませた。
 結審後の4月中旬、現場のアパートを訪れた。7回目の命日に届いた花の鉢のそばにジュースを供え、手を合わせた。語りかける言葉は何も浮かばず、自分にそっと言い聞かせた。「どんな判決が出ても、僕は自分の人生を一生懸命生きるから」
 「私がこの手で殺す」。1審判決後、無念さを吐き出した発言には、批判も相次いだ。インターネットでは「人殺し」と中傷の書き込みをされ、犯罪被害者の権利拡大を求めて運動する姿を、被告にまで揶揄(やゆ)された。
 そんな被告が判決を前に、反省の心境を語っていると漏れ聞く。「自分の命を取られることを初めて実感したときに、自分の犯した罪の重さを知る。それこそ死刑という刑罰の意味だと思う」。会見で力を込めた。
 「被告は18歳以上。刑法でも死刑を認めている。何とか人間の心を取り戻して死刑を受けてほしい。悔い改めてもなお、命を落とさなければ償えない罪がある。その残酷さを知って、犯罪が起こらぬようにする方法を社会は考えなければならない」。2、3日後には、2人が眠る北九州の墓を訪れる。「区切りがついたよ」と語りかけるつもりだ。


<光市母子殺害>被告の元少年「死んでも償えない」 [ 06月21日 03時00分 ]

 「もう一度裁判があるなら、その機会を大切にしたい」。広島拘置所にいる被告の元少年(25)は20日夕、接見した知人から判決を知らされ、そう語ったという。
 「自分のしたことは死んでも償えることではないし、謝罪しても許されることではない」。判決前の接見で、被告は話した。それでも「たとえ償いきれなくても、生きていることが許されるのなら、償いの気持ちを表し続けていきたい」と思っているという。
 母親が自宅で自殺したのは中1の秋。高校時代には、仲間からズボンのポケットに花火を突っ込まれてやけどを負った。事件を起こしたのは卒業から2週間後。「ずっと、心の奥底で友達や本当の家族を探していたように思う」。知人への最近の手紙には、そんな言葉もあった。
 拘置所で知り合った男性への手紙に、「ありゃーちょーしづいてる」と、遺族を中傷する言葉を書いた。裁判の過程で発覚し「全く反省していない」と強い非難を浴びたが、2審判決は「知り合った相手のふざけた手紙に触発された面もある」とも指摘した。


罪重いが生きたい 山口母子殺害の元少年被告 [ 06月15日 19時36分 ] 共同通信

 山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪などに問われ1、2審で無期懲役(求刑死刑)を言い渡された男性被告(25)=事件当時(18)=が20日の最高裁判決を前に「罪は重く極刑以外ないが、生きたい。悪人のまま終わりたくない」と話していることが15日、関係者の話で分かった。被害者の遺族に謝罪の手紙を書き続けているという。
 上告審では2審判決を変更する際に開かれる弁論があり、最高裁は死刑相当と判断する可能性もある。弁護側は「ようやく事実と向き合い、反省している」とし、遺族は「手紙は読んでいない。死刑の可能性を感じて初めて真剣になったのだろう」と話している。


無期懲役破棄、差し戻す 母子殺害事件で最高裁 [ 06月20日 15時32分 ] 共同通信

 山口県光市のアパートで1999年4月、会社員本村洋さん(30)の妻子が殺害された事件で、殺人罪などに問われた男性被告(25)=事件当時(18)=の上告審判決で、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長=退官、上田豊三裁判長代読)は20日、無期懲役の2審広島高裁判決を破棄、審理を同高裁に差し戻した。検察側が死刑を求めて上告していた。
 最高裁によると、記録が残る66年以降、2審無期懲役を不服として検察側が上告した事件で、最高裁が2審を破棄、審理を差し戻したのは、連続4人射殺事件の永山則夫元死刑囚(97年執行)などに続いて3件目。
 2000年3月の1審山口地裁判決と02年3月の2審判決は「犯行態様は計画的とまでは言えない。年齢も(死刑が適用できる)18歳になって1カ月しかたっておらず、内面の未熟さが顕著で、更生可能性がある」と判断し、死刑を選択しなかった。


中国新聞地域ニュース 「また長い歳月」光母子殺害で遺族 '06/6/21

c0019485_1321640.jpg【写真説明】高裁差し戻しの判決後、厳しい表情で会見する本村さん=20日午後4時5分、東京・霞が関の司法記者クラブ(撮影・室井靖司)

 ▽「最高裁は死刑の判断下してほしかった」
 「最高裁自ら死刑という判決を下してほしかった」。二十日言い渡された光市母子殺害事件の上告審判決。最愛の妻と娘を奪われた会社員本村洋さん(30)は言い切った。事件から七年余。男性被告(25)の死刑を求め、遺族の思いや犯罪被害者の権利を訴えて続けてきた。広島高裁への審理差し戻しでさらに「戦い」は続く。「また多くの歳月を費やすのかと思うと納得し難い」と本村さんは唇をかんだ。(久行大輝)
 「原判決を破棄し、高裁に差し戻す」―。最高裁第三小法廷の傍聴席最前列。二人の遺影を抱いた本村さんは真っすぐ前を向き、身じろぎ一つしなかった。
 判決後に行われた東京・霞が関の司法記者クラブでの記者会見。本村さんは「弁護側が主張する『事実誤認』を却下し、十八歳で未熟であったというのは死刑回避の理由にならないと明示したのは評価する」と淡々と語った。
 広島高裁に差し戻される公判では、死刑判決という想定も浮上する。しかし、「裁判のやり直しになり、これからどれだけの歳月がかかるか。裁判の迅速化が叫ばれているのに」と繰り返した。
 妻と子を理由なく殺され、新婚家庭をわずか一年半足らずで奪われた。その無念をメディアで積極的に発言してきた。事件後、週刊誌に被告の実名を挙げた手記も発表した。仕事の合間に全国を飛び回り、犯罪被害者の権利向上を訴えてきた。
 この日の会見でも被告について「反省しても、死をもってしか、償うすべはない」とあらためて強調した。
 本村さんの行動は、被害者への司法の対応を変えた。遺族傍聴席の確保、遺影持ち込み、意見陳述の保障…。「司法も大きく変わってきた」と感じる。だが、事件から約七年二カ月。「二人を守ってやれなかった」との悔しさは晴れない。
 本村さんはこの日、被告から二通の手紙が届いたことを明らかにした。「刑を軽くするための手段の気がして…」。判決確定後に読むつもりで、封を開いていない。


中国新聞地域ニュース 地元住民、思い複雑 光母子殺害 '06/6/21

 無期懲役を破棄し、審理を広島高裁に差し戻し-。光市で一九九九年に母子が殺害された事件で、最高裁が審理のやり直しを言い渡した二十日、現場近くの住民らは遺族のつらい思いを受け止めた。一方、被告について知る住民は複雑な表情をみせるなど、事件の重さを物語っていた。
 現場となった部屋の前には、白い花が手向けられていた。近くの主婦(31)は「被告は罪の重さと向き合ってほしい」と訴えた。
 犯罪の被害者支援に取り組む特定非営利活動法人(NPO法人)被害者支援センターハートラインやまぐちの小嶋容子理事長(57)は「妻子への深い愛情と事件への苦しみ、悲しみが司法の場を動かした」と受け止めた。
 「無期懲役では済まされない罪を犯したことを再認識してほしい」と現場近くに住む主婦(31)。事件当時、捜査に当たった捜査員の一人は「高裁で再び判決が出るまで、あと何年かかるかと思うと歯がゆい。遺族への配慮だけでなく、あるべき社会に向けて、なぜ最高裁は判決を下さないのか」と繰り返した。
 一方、被告の育った環境などを知る光市内の主婦(49)は「やったことは許されないが、屈折した生い立ちを考えると複雑。死刑を求める遺族の気持ちもよく分かるが、そこまではとの思いも消せない」と話していた。
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by azatsu0422 | 2006-06-21 12:42 | 社会