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2006年 10月 12日

にわかファンが、ディープインパクトを通じて思うこと。

憶測ながら、ディープが凱旋門賞を「国内を極めたので、折角の機会だし世界を目指す」という動機で出場させていたとしたら、それが凱旋門賞を極められずに終わった背景なのかも知れません。

かつてF1で日本人選手が優勝するどころか、日本人ドライバーの出場自体が遠く感じた時代。ホンダのF1参戦(2次)でようやく日本人ドライバーが出場することに現実味を帯びて来た頃を思い出します。当時、国内無敵でドライバーとしてのピークを迎えていた頃の中嶋悟が、満を持してF1にフル参戦しましたが、F1での優勝は遠かった…。勝てるチームに、勝てるホンダのエンジン、チャンプを狙える第一級の同僚ドライバー、そして国内無敵の実績。何も知らない「にわかファン」は、毎レースで入賞してポイントを重ね、何度も表彰台に登って欲しい…と期待していましたが、現実は遠かった。「やっぱ日本人にはムリだねー」などと言いつつ、矛先をプロストやセナ、ピケやマンセルに向けて、声援を送った…。あれに近いイメージです。

最初から世界を目指していたならば、凱旋門賞の結果にかかわらず、その後の処遇や進路が馬主から調教師、騎手に至るまで既定路線として出場前から全員で共有できているべきでした。でも、報道によるとそれぞれ認識が違っていたし、馬主も最初から決めていたかった印象です。巨額のカネがからむことですし、自ずと誰もが目前のレースに必死で、それを積み上げて来たのでしょうから、仕方ない事なのでしょう。でも、だからこそ限界があった気がします。

現実を知らない、にわかファンが語る結果論ですが、経験の乏しい世界のステージで勝つためには、最初から世界をにらんで、経験を積むことを戦略に折り込む必要性があると感じました。

何事も世界を極めたければ、最初から世界を視野に入れた取り組みをしなくてはダメだということを教えられた気がします。例えば、イチローや宮里藍みたいに。

あと、世界を目指すスポーツ界に関する報道で、いつもイヤになることがあります。
それは、にわかファンを盛り上げるために、試合前には都合の良い材料ばかり並べ立てて、絶対に優勝する、上位進出できる…みたいな過剰な期待や、当然勝つみたいな雰囲気を煽り立てる…、そんなマスメディアの報道です。視聴率とか、巨額のカネがからむことなので、出場する当事者の後がどうなろうが、とにかく関心を集めて盛り上げて結果(視聴率と売上)を出すためには仕方の無いことかも知れません。でも、そこに恒久的な発展があるとは思えません。
オリンピック、ワールドカップ、世界選手権、ゴルフや野球などメジャーゲーム、F1、そして今度の凱旋門賞…と、いつも同じように踊らされてる気がします。
過剰な期待→失望とリバウンド→急速な関心の希薄化、無関心…といった「嵐」に巻き込まれ引っかき回されて、集中力を殺がれてしまうのは、当事者の選手とスタッフだと思います。

この程度の嵐に耐えるタフな気持ちもトップアスリートの資質だと言ってしまえば、そうですが、今の段階では才能ある選手を「消費」するのではなく、温かく見守って「育てる」方が、商業的にもサポーターの満足度にとっても、先々より大きな収穫が期待できると思うのですが…。


<ディープ引退>51億円のシンジケート組まれ種牡馬に [ 10月11日 20時30分 毎日新聞 ]

 1日にフランス競馬の凱旋門賞で日本中を沸かせたばかり。11日に発表された、ディープインパクト(牡4歳、栗東・池江泰郎きゅう舎)の年内引退は、パリでの3位の力走に「来年こそ雪辱を」という期待も抱いていたファンには、唐突で残念に感じられるはずだ。
 しかし、名馬であればあるほど、その子への期待が膨らむのが競馬の常。ディープ伝説が最高潮になった時に、元気な体で引退させることも、オーナー側にとっては重要なことだ。惜しまれつつ、破格の51億円のシンジケートが組まれての種牡馬入り。21年ぶり史上2頭目の無敗の3冠馬にふさわしい王道を行くということなのだろう。
 シンジケートは1株8500万円。小柄で見栄えがしなかったというディープの競り市での価格は7000万円だから、これを軽く上回る。ディープの父サンデーサイレンスは、90年に米国から輸入され、95年から11年連続でリーディングサイアー(産駒の最高獲得賞金)の座を守り続けている。日本の競馬界を変えたとされるサンデーも02年に死亡し、現在の3歳が最後の世代。後継種牡馬としても、ディープにかかる期待は大きい。
 高額シンジケートの例では、96年に北海道の生産者らのグループがアラブ首長国連邦のシェイク・モハメド殿下から購入したラムタラが記憶に新しい。3歳時の95年に凱旋門賞など欧州3大レースを無敗のまま制し4戦4勝で引退。奇跡の名馬と呼ばれ、約44億円(1株1億800万円、41株)でシンジケートが組まれたが、産駒成績は不振を極め、今夏、約2750万円で英国に売却された。
 名競走馬が、必ずしも名種牡馬とは限らない。だが、父母から子へ脈々と受け継がれる能力を目の当たりにすることは競馬ならではの魅力だ。驚異的な人気で菊花賞が史上初の単勝「元返し」(配当1・0倍)となったように、ディープは賭け事の対象ではなく、競技者として競走馬を観る楽しみを知らしめた。その走りに魅せられた人々が、ディープの姿に重ねてその子のレースを観る。日本の競馬の奥行きを広げる、ディープの第2ステージに期待したい。【藤倉聡子】
 ◇ディープインパクト 4歳牡馬。父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア。北海道早来町(現安平町)のノーザンファーム生産。馬主は金子真人ホールディングス。栗東・池江泰郎きゅう舎。通算12戦10勝(G15勝)。0歳時、セリ市・セレクトセールで7000万円で落札された。04年12月のデビュー以来、武豊騎手とのコンビで勝利を重ね、05年には3歳牡馬3冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)を史上2頭目となる無敗で制覇。年末の有馬記念はハーツクライの2着に初めて敗れたが、年度代表馬にも選出された。今年は天皇賞・春、宝塚記念を勝つと、フランス遠征を敢行。しかし、10月の凱旋門賞は3着にとどまった。
 ◇シンジケート 所有希望者が多い種牡馬を、希望者が経費を出し合って共同所有する組織。権利は株式で分割され、主に60口が基本単位と言われている。
 シンジケート会員になれば、毎年1頭の牝馬に種付けする権利が得られる。会員以外からの希望が殺到して、種付けする牝馬の頭数が株数を超えた場合、超過分の種付け料がシンジケート会員に分配される。
 過去、国内最高額のシンジケートは、史上初めて欧州の3大レース(英国ダービー、凱旋門賞、キングジョージ6世&クイーンエリザベスDS)を無敗で制し、1996年に英国から輸入されたラムタラで約44億円。日本調教馬では、04年のダービー馬キングカメハメハの21億円が最高額だった。


驚きとショック 池江調教師が寂しげに会見 [ 10月11日 18時33分 ] 共同通信

 今年限りでの引退が決まった競馬のディープインパクトを管理する池江泰郎調教師は11日、東京都府中市の東京競馬場内で記者会見し「びっくりしたのと同時に、ショックを受けた。こういう馬には二度と巡り合うことはないだろう」と寂しげに心境を語った。
 池江調教師によると、この日朝、凱旋門賞から帰国後初めて同馬の調教を東京競馬場で軽めに行った後、北海道にいる金子真人オーナーから電話で年内引退を伝えられたという。
 今後の出走レースについては天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念のG1、3レースを視野に入れ調整していく。同調教師は「(出走レースは)馬の状態を見ながらになる」と話した。


<競馬>ディープインパクトが年内で引退へ JRA発表 [ 10月11日 12時27分 ]

 日本中央競馬会(JRA)は11日、ディープインパクト(牡4歳、池江泰郎きゅう舎)の金子真人オーナーの意向として、同馬を年内で引退させるとの連絡を受けたと発表した。年内の出走については未定だが、引退後は種牡馬として、社台スタリオンステーション(北海道安平町)で繁養される予定。同日午後に、池江泰郎調教師が記者会見する。
 ディープインパクトは昨年、皐月賞、日本ダービー、菊花賞を無敗のまま制し、今年も天皇賞・春で優勝。日本のG1レースで通算5勝を挙げている。今月1日にパリ・ロンシャン競馬場で行われた、世界最高峰レースの一つとされる凱旋門賞では、日本馬初の同賞制覇が期待されたが3着に終わり、4日に帰国していた。
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by azatsu0422 | 2006-10-12 12:50 | スポーツ
2006年 08月 24日

斎藤投手の魅力

早実の『ハンカチ王子』  斎藤投手の魅力は? [ 東京新聞 ]

 夏の甲子園を歴史的な名勝負の末に制した早稲田実業のエース斎藤佑樹投手の人気がすごい。「ハンカチ王子」の異名のもとになった、青いハンカチは飛ぶように売れる。四連投を支えた「酸素濃縮カプセル」にも問い合わせが殺到。「人気低迷する野球界の救世主になる」という声もあるほどだ。日本人のハートをわしづかみにした十八歳の魅力はどこに-。 (片山夏子、中里宏)
 「同じハンカチが欲しい」「どのブランドか教えて」
 斎藤投手が、甲子園のマウンドで、ポケットから青いハンカチを出して汗をぬぐったことから、「幸運の青いハンカチ」ブームが起きている。
 東京・池袋の西武百貨店池袋本店では、駒大苫小牧と引き分けた二十日の決勝後、問い合わせが相次いだ。優勝が決まった二十一日にはハンカチ・タオルの売り上げが前年比200%に。同店は二十二日から急きょ、紳士物売り場に「青いハンカチコーナー」を設置。この日の売り上げは前年比300%に達した。
 青いハンカチを置いた紳士物売り場には、三、四十代の女性が多いが、中には二十代のOLの姿も。
 ■ブランドは?商品探し過熱
 豊島区の主婦竹内久美子さん(36)は「仕事に御利益がありますようにと友人に贈る。斎藤君の使っていたブランドが知りたかったのだけれど」と少し残念そうだった。
 同店広報担当の亀井奈緒子さんは「紳士物売り場がいつもと違う雰囲気になりました。斎藤投手が験を担いで同じものを使い続けたので、ブランド特定も過熱している」と話した。
 早稲田実業の地元、東京・国分寺にあるイトーヨーカ堂でも「優勝後から青いハンカチやタオルが次々と売れています」。
 大手ハンカチメーカー「川辺」(東京)には、百貨店などから「そちらの商品ではないか」と問い合わせが相次いだ。柄の情報を集めたが、「薄い青色に白で英語が入っているようだが、特定は難航している」
 もうひとつ「斎藤投手効果」でブームになっているものがある。高気圧酸素カプセル。斎藤投手は決勝前日も、宿舎に持ち込んだ持ち運び式のマシンの中で体を休めたという。
 酸素カプセルは、二〇〇二年のサッカーW杯直前に、左足の甲を骨折したベッカム選手が使った。全治六週間だったがぎりぎり間に合い、「ベッカムカプセル」と有名になった。
 二年前、日本で初めて製造した高気圧酸素カプセルの販売を始めた「アルファ販売株式会社」(京都市)によると、圧縮空気に新たに酸素を加え、通常空気中の約21%を占める酸素を30-35%の濃度にするため、全身から高濃度の酸素が取り込まれ代謝が上がるという。
 小島広三同社会長は、「血行が良くなって疲れが取れたり、二日酔いが治ったりする。骨折などけがの治療にも効果があるといわれ、整骨院や病院でも使われている」。一台約四百万円と高価だが月十-十五台は売れる。「ブームはこれからですよ」とほくほくだ。
 東京・北青山の「ボディーチューニングサロン オーツープラス」は、ここ二日予約電話が鳴りっぱなし。「どういうものか」「効能は」と疲れている会社員などから予約が殺到している。
 どんな効果があるのか。実際に体験してみた。
 銀色のビニールに包まれた大きなカプセルに入る。「閉めますよ」とファスナーが閉められ密室に。氷まくらが快適。中は結構、広い。シューッと音がして酸素が入ってくるとカプセルがドームのように広がる。一・二気圧まで上がるので、耳に少し圧迫感がくる。ゆっくり呼吸するうちに、いつしか眠っていた。
 一時間後、ぼーっとして起き上がると、体がリラックスし、肩が軽くなっているのを感じた。「椎間板(ついかんばん)もゆるむんですよ」と言われて測ると、一六四・六センチだった身長が何と一センチも伸びていた。
 「ハンカチ王子」は、なぜこれほどまでに世の中の共感を集めたのか。
 「他人を見下す若者たち」の著書がある速水敏彦・名古屋大大学院教授(教育心理学)は「斎藤投手は礼儀正しそうに見えるし、ハンカチをきちんとたたんでしまうなど紳士然としている。傍若無人な若者が多い中で、ああいう青年を見ることが少なくなった。大人がつい拍手を送りたくなる気持ちは分かる」と話す。
 スポーツで頂点に立った若者として、斎藤選手と、世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級チャンピオンの亀田興毅選手を対比させる人も少なくない。
 行儀の良い斎藤選手が「善玉」なら、対戦相手を威嚇したり見下す発言をすることが多い亀田選手は「悪玉(ヒール)」の扱いだ。
 “しつけ”をめぐり、亀田選手の父親と民放ワイドショー出演中に激論となった漫画家のやくみつる氏は「(激論で)世の中の反応は(賛否)半々だった。ブームで斎藤投手が礼賛される部分は健全で、そういう目が世の中に残っているということは愉快なこと。(亀田選手をよしとしない)もう半分の人の受け皿ができた感じ」とみる。ただ、王子様ブームに関しては「多分につくられたもので、斎藤君もとまどっているのでは。(亀田選手も)都合のいい対立軸として据えられた」と苦笑する。
 ■実は兄と同居 親元から自立
 さらに「きちんとした立ち居振る舞いをする斎藤君は、実は兄と同居して親元から自立している。逆に亀田選手は父親に従順で、親にとっては都合がいい。世の親たちは、どちらがいいのか自問自答してみては」と提案する。
 前出の速水教授は著書の中で、競争社会の中で劣等感を抱いた若者が、他人の能力を否定することで自分の価値を高めようとする感情を「仮想的有能感(他者軽視)」と造語している。
 駒大苫小牧のエース、田中将大投手との2試合にわたる投げ合いを「男と男の勝負」と称し、一歩も引かなかった斎藤投手は対極にいるということだろう。
 一方、「斎藤投手と亀田選手には共通点がある」というのはトレンド(流行)研究家の菅原健二氏。
 「『国家の品格』がベストセラーになっているように、今は気品があるということがトレンドになっている。気品があるとは余裕があるということ」
 ■血にじむ努力 表情に出さず
 亀田選手に気品とは首をかしげたくなるが、「亀田選手は、王座決定戦ではよれよれになったが、この前までは余裕で楽々と勝っていた」からだそうだ。
 その点、斎藤投手は文句なしだ。「クールでさわやか。懸命さが表に出ず、力を余して投げているように見えるところに、人は気品を感じる」
 規定による引き分けとなった二十日の決勝戦で、斎藤投手は延長十五回に最速の147キロを記録した。
 「そこがポイント。トリノ冬季五輪女子フィギュアスケート金メダルの荒川静香選手も同じだ。気品があり、きりっとした姿勢が受けた。採点の対象にならないのにイナバウアーをやる余裕もあった」
 斎藤投手は、下半身を徹底的に鍛えるなど血のにじむような努力をしてきた。ところが、顔や体つきにいかつさはない。菅原氏は「そこもポイント。仮面ライダーの俳優を見れば分かりやすい。初代の藤岡弘さんは男くさくて熱い感じだったが、今の仮面ライダー俳優は汗や泥のにおいがしそうにない」と解説する。
 もっとも、余裕を見せながら優勝するなんて、まねをしようにも簡単にできることではない。菅原氏は「かなりの実力の裏打ちが必要」とくぎを刺した。
<デスクメモ>
 新人のころ、エース荒木大輔を擁する早実を甲子園で取材した。当時の取材宿舎は畳の大部屋で、扇風機の風に原稿用紙がひらひらと舞った。汗で鉢巻きが重くなった。あれから二十四年。「高気圧酸素カプセル」となれば隔世の感があるが、丸刈りのりりしさは「大ちゃん」も「佑ちゃん」もよく似ている。 (充)
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by azatsu0422 | 2006-08-24 23:35 | スポーツ
2006年 08月 23日

常勝チームの重圧。

ゼロから常勝チームに育て上げて、常勝を続けるには、初出場や初優勝を目指すチームとは異なる難しさがあるのだと思います。

「勝って当たり前」になると、優勝が「0点」で、100点を目指すには、単に勝つだけでなく、ドラマチックな「勝ち方」を求められるようになるでしょう。
それから、「甲子園優勝メンバー→鳴り物入りでプロ入り」を、「夢」というより「現実の野心」として抱いた球児が入部して来るでしょうから、そういう部員達の節操と高いモチベーションを維持させるためには、指導者に圧倒的な人間力が求められることでしょう。
下世話な話、優勝を前提とした学校経営の中に組み込まれていたら、資金面や学校関係者の
スケジューリングといった運営も優勝を前提に動いているのかも知れません。

このような状況を、実直、生真面目に受け止めるほど、その重圧は凡人には想像もつかぬものになるのだろうと想像しています。

でも、凡戦で優勝するよりも、誰もに「どちらにも優勝旗を渡したい。」と思わせた、ドラマチックな準優勝の方が、ずっと良かったと思います。

それから、3連覇できなかったとしても、喪失感は無いのではないかと思います。皆が温かく迎えてくれて、来季へ向けて心機一転、新鮮な気持ちで前向きに取り組めるのではないでしょうか。

何はともあれ、先ずは香田監督が大事に至らず、しっかり療養して軽快することを祈りたいですし、監督が安心して療養に専念できる環境を、学校と部員で一致団結して整えることが、次の優勝に向けた第一歩になるのだろうと思います。


重圧、体調不良とも闘った…駒苫・香田監督の夏
[ 08月22日 08時05分 ] サンケイスポーツ

 (第88回全国高校野球選手権大会、第16日、決勝、駒大苫小牧3-4早実、21日、甲子園)重い十字架を背負った戦いが幕を下ろした。泣き崩れる選手を見つめる駒大苫小牧・香田誉士史監督(35)の目もまた、潤んでいた。
 「常に“打倒駒苫”の話題が報道されて、重圧があった。でも最後まで五分五分(の戦い)でしたから、選手をたたえてあげたい」
 先発した2年生の菊地翔太投手が一回にピンチを招くと、迷わず田中将大投手(3年)を送り出した。劣勢の展開も最後は1点差に迫り、王者の意地をみせた。
 実は疲労からくる体調不良をおしてのさい配だった。試合中、ベンチ裏で吐いていたという。試合後に宿舎に戻ると再び体調不良を訴えた。北海道に戻ったあと検査入院する予定で、8月下旬から米国で開催される日米親善試合の日本選抜チームのコーチも辞退した。
 それほどまでに壮絶な戦いだった。73年ぶりの夏3連覇の偉業は早実に阻まれたが、この悔しさを胸にまた聖地に帰ってくる。

c0019485_19433616.jpg 〔写真:聖地に別れを告げる香田監督。体調不良をおしてのさい配だった〕
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by azatsu0422 | 2006-08-23 20:26 | スポーツ
2006年 08月 23日

一躍アイドル…。

鳴り物入りでプロになっても、故障や伸び悩みで消えてしまう選手をはじめ、周囲の喧騒に自分を見失ったり、商売先行でマネジメントにご執心でスキャンダル先行になり、今イチ尊敬されない選手、そして何よりも、「名選手」を超えて、金字塔のような大記録に名を残す「大選手」になれなかった甲子園のアイドルが多々いる中で、斎藤投手には王監督か、それ以上の野球人として球史に名を残して欲しいと願う次第です。
斎藤投手には、そんな期待が出来そうなオーラを感じています。


斎藤フィーバー過熱!家に帰れない! [ 08月23日 06時12分 ]

c0019485_195287.jpg多くの生徒、父兄に祝福され、優勝報告会に登場した斎藤(手前)ら早実ナイン






 悲願の夏の甲子園初優勝を達成した早実(西東京)が深紅の大旗を持って東京へ凱旋した22日、一躍アイドルとなった斎藤佑樹投手(18)が大フィーバーから“隔離”されることになった。優勝報告会が行われた国分寺市の同校に約3000人が詰めかけるなど、あまりの過熱ぶりに父・寿孝さん(57)が憂慮。当面は斎藤を騒ぎから遠ざけて休養に専念させる。
 どこに行っても人であふれ、声援が飛んだ。すさまじいばかりのフィーバー。行く先々で人垣は絶えない。お目当てはもちろん、この夏の甲子園で一番の感動を呼んだエース斎藤だった。
 涙と歓喜の日本一から一夜。西宮市内の宿舎の前には早朝からファンが集まった。そのほとんどが“斎藤ギャル”で、関係者はやむを得ず大阪からの移動中、斎藤を徹底的にガードした。
 新大阪では一般の改札口を通らず、地下の特別通路からホームへ。この通路は02年のサッカー日韓W杯の日本代表と、03年にリーグ優勝目前の阪神が移動の際に使用した通路で、新大阪駅の職員は「高校野球でここまでの(警備を)やるのは記憶にない」と驚く。ホームでは警官、警備員30人のうち15人と学校関係者が斎藤を取り囲む。新幹線の車内ではJR職員と警備員がガード。東京駅でもファンが殺到し、ガードの外から携帯電話で写真を撮り続け、学校に着くと地元市民約3000人が出迎えた。
 「すごいですねえ。ちょっと…」。斎藤は苦笑いするだけだったが、思いがけない騒ぎに寿孝さんは困惑気味にこう話した。「本人は疲れていて、こんな(騒ぎ)になってるので何とかかくまってやることを考えてます。1人っきりにしてあげて、ゆっくりさせてあげたい。静かな環境をつくってあげたい」。現在は兄・聡仁さん(21)と下宿している都内のアパート、さらに群馬・太田市の実家までファンが詰めかけているという。母・しづ子さん(46)も「こんなになるとは思わなくて…。帰りは気をつけないと」と心配。本来なら実家に戻って休養する予定だったが、急きょ変更し、下宿や実家以外の場所で甲子園の948球の熱投の疲れを癒やすことになった。
 早実側は「警備を付けるなど特別扱いすることはない。一生徒として学業に専念してもらう」としており、ゆっくりできるのは残り少ない夏休みの間だけ。ただ、日米親善試合のメンバーに選ばれている斎藤は25日には集合し、26日からの合宿を経て渡米する。このため騒動を離れられるのは23日、24日の2日間しかない。でも、20日間に及んだ甲子園滞在からやっと帰京した斎藤にとって、貴重な2日間の休養となる。
 ≪マネジメント事務所も熱視線≫スポーツマネジメント事務所大手のサニーサイドアップも斎藤の“獲得”に意欲的だ。同社関係者は「彼には知性がある。ヒデ(中田氏)をほうふつさせる。長い目で見て、ぜひお手伝いをさせていただきたい」と熱烈にラブコール。今後4年間はアマ選手としてプレーする可能性が高いため、近日中の契約は厳しいが、将来的に交渉したい意向を示した。同社幹部には早実出身者がいるうえ、次原悦子社長は現在、早大の大学院に通っていることもあり、魅力ある“後輩”獲得を目指す。


斎藤早大進学へ 将来メジャーも視野 [ 08月23日 06時12分 ]

c0019485_1932408.jpg笑顔を見せる斎藤(左)と後藤






 早実を悲願の夏の甲子園初優勝へ導いた斎藤が22日、今秋ドラフトでプロ入りする意思がないことを表明した。斎藤はプロを将来的な目標と位置づけ、強いメジャー志向も強調。進学先は早大が最有力だ。
 すさまじい歓迎を受けた国分寺市の学校で、斎藤は注目の進路について口を開いた。優勝報告会が行われたラウンジ。周囲のざわめきの中ではっきりとこう言った。
 「高校を出てすぐにプロ入り?それは考えていません。将来的には、野球人としてプロとか、野球関係の仕事をしたいとは思っています」
 今秋の高校生ドラフトが行われるのは約1カ月後の9月25日。もしプロ入りするならば、9月15日までに日本高野連へプロ志望届を提出しなければならない。だが、斎藤はこの届けは出さずに進学する方向だ。進学先については「これから考えます」と明言を避けたものの、系属校のため推薦で入学できる早大が最有力となっている。
 当初から進学が第一路線だった。学業の成績は優秀。進学を前提に考えている父・寿孝さん(57)は「あとは本人が勉強したいか、したくないかによる」と話し、今月中にも家族会議を開いて最終的に進学を確認することになる。
 今センバツは準々決勝で横浜に大敗。そこから急成長した今夏は甲子園で7試合948球を投げ抜いた。驚異的なスタミナに加え、クレバーな投球にプロの評価は急上昇。この日、都内でスポニチの取材に応じた巨人・渡辺恒雄球団会長(79)も「そりゃどこの球団でも欲しいだろう。1巡目の可能性?それはそうだ」と話すほどで、もしプロ志望に変われば一躍1巡目候補になってくる。
 最後に「メジャーは最終目標。行きたい気持ちはあります」とメジャー志向も示した斎藤。神宮のマウンドでさらに成長して4年後、メジャーを含めた日米争奪戦になるのは間違いない。
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by azatsu0422 | 2006-08-23 19:28 | スポーツ
2006年 08月 22日

青いハンカチ。

最後までクールな表情を崩さず、青いタオル地のハンカチで額の汗をぬぐう早実・斎藤投手は女性ファンの心をキュンとさせていたようです。
一方、駒大苫小牧・田中投手がジョークを兼ねて?黄色いハンカチを持ち込み、額の汗を拭くシーンをTVで観ました。

ささいなジョークとはいえ、両校・両者のキャラの違いを垣間見た気がします。

斎藤投手が途中で精魂尽きていたら、小学校から名門早大までの一貫校に連想されるイメージと重なり、ハンカチと共に「線の細い都会的なオボッチャン」と思われてしまったかも知れません。実際、彼のプロフィールや甲子園出場までの経緯を知らずに、そのような先入観を抱いて観ていた人が多かったのではないでしょうか?
(追記:今や様々な媒体で斎藤投手の道のりが報道されて周知のことですが、群馬から上京して兄弟の自炊生活で通学しながら精神的なタフさを身につけたようですし、最後までクールな表情を崩さなかったのは、昨年、感情がキレて日大三にコールド負けした時の反省によるものだそうです。)

一方、駒大苫小牧は、これまでの戦績に対する自負、周囲の期待を踏まえて、早稲田ブランドと都会派チームの線の細さを心のどこかでナメていたのかも知れません。そんな心の隙が先のジョークに現れてしまったように思えました。

ところが、いざとなったら先入観を大いに裏切られたわけで、むしろ代わりの投手もなく一人で投げる斎藤投手の方が投球数が多いのに、最後まで球威とキレが衰えず、球速も速かった。斎藤投手は全てが終わった時に感極まったようですが、それだけ「ひたむき」に張り詰めていたのでしょう。

駒大苫小牧は、全国各地からスカウトした選手を集めて、強豪校に集って来た部員のモチベーションの維持にワキの甘い所があったからこそ不祥事が起きたのでしょうが、あるとこ「エリートの線の細さ」は、駒大苫小牧の方にあったのかも知れません。


早実・斎藤、家族の支えでつかんだV!最高の恩返し
[ 08月23日 08時05分 ] サンケイスポーツ

 全国高校野球選手権大会で早実(西東京)初優勝の原動力となったエース、斎藤佑樹投手(18)。その“快腕”を支えたのは家族の力だった。小学校時代、父親とのキャッチボールで投手としての土台を築き、早実に進学してからは同居する兄が炊事や洗濯などをサポート。そして、母は息子たちの2人暮らしを気遣って毎週末に上京し激励し続けた。斎藤は家族の思いに、全国制覇という最高の親孝行で応えた。
 球史に残る熱投を演じた高校生右腕が育ったのは、ごく平凡なサラリーマン家庭だった。斎藤は1988年6月6日、群馬県太田市で、会社員の父、寿孝(としたか)さん(57)と母、しづ子さん(46)の二男として誕生。生誕時の体重は2950グラムだった。
 寿孝さんが元高校球児だったこともあり、3つ違いの兄、聡仁(あきひと)さん(21)と一緒に、3歳からボール遊びをし始めた。「当時から活発な子でしたが、小さい犬を見て泣いてしまうなど、優しい普通の子でした」としづ子さん。
 斎藤は太田市立生品小1年の時、地元の少年野球チーム「生品リトルチャンピオンズ」で野球を本格的に始めた。小学4年以上しか入れない規則だったが、聡仁さんがすでに所属。斎藤は「兄と野球がしたいから」と母に“懇願”。しづ子さんがチームと交渉し、特例での入団となった。
 寿孝さんは野球を始めた息子2人と、球が見えなくなる夕方まで裏の畑でキャッチボール。当時から投手だった斎藤は、小学校の卒業文集で将来の夢について「メジャー選手(ニューヨーク・ヤンキース)」と記した。
 中学卒業に際し、斎藤は地元の野球強豪校からの誘いを断り、「勉強もして人間的にも成長したい」と、超難関校の早実に推薦入学を果たした。しかし、県立桐生高の野球部員として群馬大会準決勝まで進出した聡仁さんは、大学受験に失敗。早大進学を夢見て上京し都内の予備校で浪人生活を送ることになった。
 早実には野球部寮がないため、2人は東京都小平市の2LDKの部屋で共同生活をスタート。高校球児の斎藤を気遣い、家事や炊事は聡仁さんが担当。試合前などには元球児の経験を生かし、「豚キムチ丼」などのスタミナ料理でバックアップした。
 両親も都会で生活する息子を気遣い毎週上京、家族の会話を心がけた。斎藤のトレードマークになった“青いハンカチ”について、しづ子さんは「柄が気に入ったので、上京したときに持っていった」と明かす。
 斎藤は普段から両親とのメール交換を頻繁にする。21日の決勝再試合前、斎藤は前日に延長15回を投げ抜いたにもかかわらず、炎天下のスタンドで応援するしづ子さんに「お母さんの体調は大丈夫? 早く(試合を)決めるからね」と気遣うメールを打った。
 そして早実初優勝。中学の卒業文集で、将来の夢について「荒木大輔2世」とつづった斎藤の夢は現実となった。聡仁さんも今春、私大に合格し大学生に。支え続けてくれた家族に、斎藤は最高の形で恩返しをした。
c0019485_1903492.jpg 〔写真:早実のある東京都国分寺市に戻り、最高の笑顔を浮かべる斎藤(中央)。右は主将の後藤〕





早実佑ちゃんの青いハンカチを探せ! [ 08月23日 10時29分 ] 日刊スポーツ

 佑ちゃんの「青いハンカチ」を探せ-。早実斎藤佑樹投手が使ったタオル風ハンカチが話題を集めているが、全国のデパートなどには「どこのブランドか教えて」と問い合わせが相次いでいる。デパート側もメーカーなどに聞いているが、いまだに斎藤のハンカチは特定されていない。テレビ局のワイドショーもチームを結成して探している。デパートでは、似た模様の青いハンカチをまとめ買いする人も現れているとか。
 東京・西武百貨店池袋本店によると、決勝戦が引き分けに終わった20日ごろから、同店に「斎藤投手が使っているハンカチはどのブランドですか」「あの青いハンカチはありますか」などの問い合わせが入り始めた。優勝が決まった21日や、一夜明けた22日も同様の問い合わせは続き、1日平均で十数件にのぼったという。
 22日は、開店と同時に青いハンカチをまとめ買いする客や、1人で複数枚買う女性客がいたという。同店では「まだ、あのハンカチのブランドなどは特定できていないのですが、縁起がいい『幸せの青いハンカチ』ということで、同じ青色のハンカチを買う人が増えたようです」と話した。斎藤が使うタオル地のハンカチはもともと、実用性が高いことから今年は売れていたが、ここ数日はさらに売り上げが伸びたという。
 このハンカチは、斎藤が初戦から使用。タオル地で、薄い青色に白い英語や模様がうっすら入っている。尻のポケットから取り出して、マウンド上で顔の汗を丁寧にぬぐう姿が話題になった。斎藤は22日、「あれほど騒がれるとは思いませんでした。験を担いだ部分はあります」と明かし、母親のしづ子さん(46)は「群馬から上京したとき持たせた、普通のハンカチなんですけどね」と話した。しづ子さんが群馬県太田市の自宅近くの店で買ったものだという。
 デパートや各メディア、ファンがハンカチを特定しようと全力で探しているが、大手ハンカチメーカーでも分からない。川辺(東京都)では「全国の百貨店や量販店から『斎藤投手のハンカチは川辺さんのではないのか』という問い合わせが何件も寄せられています。しかし、正確な柄も分からず、特定できていません」と話した。


最後の球は決めていた 斎藤佑樹投手
2006年 8月22日 (火) 11:13

 マウンドで、早実のエース斎藤佑樹君は右足で10回ほど土を固めた。次の1球で終わりにする。感謝の意味を込めた。
 打者に向かい、左手のグラブを胸の前に持っていく。その中で右手でボールを握る。サインにうなずき、左足を半歩ひく。体を右後ろにひねりながら左足を大きく上げると、踏み出した。
 144キロの直球がミットに収まった。本当に最後の1球になった。
 小学1年で兄と野球を始めた。夕飯後、父に「トレーニングしないとうまくならないぞ」とはっぱをかけられ、泣きながら腕立て伏せをした。負けん気が強かった。
 中学軟式野球部の3年間、遠投を肩が疲れるまで毎日続けた。肩やひじを故障したことはこれまで一度もない。球速を決める右脇の後ろの広背筋は、張り出すほどだ。
 何度も変化を遂げ、挑んだ大会だった。
 昨年の西東京大会、準決勝で日大三にコールド負けした。以来、マウンドで感情を封印した。投手の生命線と言われる内角の直球に磨きをかけた。今春の選抜大会では、3連投となる横浜(神奈川)戦で大敗した。スタミナをつけるため、走り込みを繰り返した。
 この夏が始まる前、捕手の白川英聖君と決め球を決めていた。これまでの試合で、打者を抑えた最後の1球と打たれた球を書き出すと、抑えた球のほとんどが直球だった。その「一番最後に投げる得意の球」で、夏を締めくくった。
 69回登り、948球を投じた甲子園のマウンド。試合後、ひとり駆け出すと土を袋に入れた。(五十嵐聖士郎)
     ◇
◆「部員・スタンド、全員主役」
 試合後のグラウンドで、斎藤佑樹君は取材陣の質問に答えた。
 ――優勝を決めた瞬間、何を思った。
 和泉監督を優勝監督にできたのが一番うれしいです。やっぱり自分をここまで成長させてくれたのも和泉監督だと思うので感謝しています。
 ――疲れはあったでしょう。
 はい。でも最後なんで気持ちで絶対負けないようにしようと思ってました。今まで戦ってきた仲間が土壇場で逆転してくれたり、ほんとに仲間を信じることが余裕につながったんだと思います。
 ――お母さんにはどんな報告を。
 こんなに連投しても大丈夫な体に生んでくれてありがとうと言いたいです。
 ――9回に本塁打を打たれた。
 打たれた瞬間はやばいなと思ったんですが、どっちにしろスリーアウトとるのは一緒なんで、ここから3人で抑えればいいという感じで投げました。
 ――最後まで勝ち残ることがこの夏の主役、と言っていたが。
 自分が主役と言うよりは、早稲田実業野球部、アルプススタンドのみんなも含めて全員が主役だと思います。
 ――高校野球が終わってまず何を。(群馬の)実家に帰りたい?
 それが一番です。
(2006年08月22日11時13分 朝日新聞社)


思わぬ注目「斎藤投手と同じハンドタオルが欲しい」
2006年 8月21日 (月) 21:07

 早実のエース、斎藤佑樹投手が時折、マウンド上でポケットからハンドタオルを取り出して汗をぬぐったことから、“脇役”に思わぬ注目が集まっている。
 百貨店やスーパーには「同じものが欲しい」などの問い合わせも相次ぎ、業界は突然の商機に期待を寄せている。
 大手ハンカチ卸の「ブルーミング中西」(東京都中央区)によると、斎藤投手が使っていたものは青っぽいタオル地だが、「ブランドまでは特定できない」という。
 東京・池袋の西武百貨店池袋本店には、20日の試合後から「どこのブランドか」という問い合わせが10件以上あった。
 販売促進部によると、「影響は不明だが、両日の女性のハンカチ売り場の売り上げは通常の2割増し」という。同部では「好感度の高いスポーツ選手が使っていたということで、若い男性への波及効果もあるかもしれない」と話している。


初優勝の早実、母校に凱旋 斉藤投手、メジャーにも意欲
2006年 8月22日 (火) 20:21

 第88回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)で初優勝した早稲田実(西東京)の凱旋(がいせん)に、地元・東京都国分寺市が沸いた。22日、力投が光った斎藤佑樹君らを一目見ようと、校門周辺には幾重にも人垣ができ、選手らも「いやもう、生まれて初めて見たって感じ」(後藤貴司主将)と度肝を抜かれていた。
 和泉実監督や選手は午後4時過ぎ、東京駅からバスで同校に到着。警視庁小金井署によると、集まった市民の数は約3000人に上った。携帯カメラのフラッシュが飛び交う、あわただしい祝賀会の後、選手はマスコミのインタビューやテレビの生出演に追われた。
 灼熱(しゃくねつ)のマウンドで、丁寧に折り畳んだハンドタオルで汗をぬぐう姿が話題になった斎藤君。「あれほど騒がれるとは。だんだん験担ぎになり、結局、決勝まで使っちゃった、みたいな」と苦笑した。卒業後は進学が有力視されるが、メジャーへの意欲を問われると「あります」と即答。大先輩のソフトバンク・王監督に対しては「優勝することが一番の薬だとずっと思っていた」と話した。
 選手たちは、前夜の午前2時ごろまで宿舎の部屋に集まり、思い出を語り合ったという。斎藤君は「甲子園は自分を成長させてくれた大きな舞台。帰ってきたことが少し寂しい」。後藤君も「もう(部活動は)引退ですけど、まだ高校野球をやりたい」と、最後の夏を惜しんだ。
(2006年08月22日20時21分 朝日新聞社)


早実、駒苫が朝日新聞社訪問 ハンカチ「親にもらった」
2006年 8月22日 (火) 13:06

 第88回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)で、37年ぶりの決勝再試合を制し、初優勝した早稲田実(西東京)と準優勝の駒大苫小牧(南北海道)の選手らが22日午前、大阪市北区の朝日新聞大阪本社を訪れた。
 早稲田実の選手らに秋山耿太郎・朝日新聞社長は「厳しい壁を打ち破って頂点に立ったというのは、大変すばらしい」。脇村春夫・日本高野連会長は「2日間の決勝を見させて頂き、光栄に感じています」とたたえた。
 和泉実監督は「優勝は先輩たちの悔し涙の後押しがあってできた」と語り、選手らを紹介。斎藤佑樹投手については「群馬から上京して兄と自炊し、生活の中で精神的スタミナが生まれた」と述べた。有名になった青いハンカチについて斎藤投手は「親にもらいました」と話した。
 続いて訪れた駒大苫小牧の選手らに対し、秋山社長は「堂々たる戦いぶりだった」とねぎらった。田中将大投手は「最後の打席は空振りだったが、悔いはありません」と笑顔を見せた。この後、両校は帰途についた。
(2006年08月22日13時06分 朝日新聞社)


<高校野球>選手としての高い理解度 早実の強さの秘密 [ 08月21日 22時16分 ]

 夏の甲子園初優勝を飾った早稲田実。1915年の第1回大会から出場する古豪だが、荒木大輔投手(現・西武コーチ)を擁して3年連続出場を果たした80~82年の後は、甲子園に出ることさえ難しい時代が続いた。
 「(荒木投手のいた)あのころ早大に進学できたのが30%ぐらい。その後、入学試験も難しくなり、野球で優秀な選手が早大入学するハードルが高くなった」と佐々木慎一野球部長は振り返る。しかし、02年から男女共学となり、その後早大に100%の生徒が進学できるようになると、全国から勉強も野球もできる中学生が早稲田実を受験するようになってきた。
 特に推薦入試の狭き門から入ってきた選手が、優勝の原動力となったことは間違いない。スポーツ、文化分野を合わせて推薦枠は50人。このうち、野球部の枠は明確には規定されていないが、毎年9人が通例だ。
 優勝の立役者となった斎藤佑樹投手は群馬県の出身。中学時代は軟式の経験しかないが、和泉実監督は初めて見たとき、「この選手を必ず甲子園のマウンドに立たさなければと思った」というほどの逸材だった。
 推薦組だけではない。3番を打つ檜垣皓次朗一塁手や7番の内藤浩嵩二塁手は難しい一般入試のハードルを越えてきた選手。佐々木部長は「一を聞いて十を知る選手が多い」と話し、和泉監督も「野球の本質を突き詰めて考えるように指導している」と強調する。野球選手としての理解度は高く、その一端が、斎藤投手の理詰めの投球にも表れているようだ。
 04年夏には東京都八王子市に専用の「王貞治記念グラウンド」が完成。それまでは練習場所を転々とする苦労もあったが、練習環境が整備されたことも「早実復活」の大きな要因だ。


田中V3夢散…次の舞台はプロ [ 08月22日 06時12分 ]

c0019485_8145418.jpg<早実・駒大苫小牧>帽子を飛ばし力投する田中






 【駒大苫小牧3-4早実】73年ぶりの3連覇まであと一歩だった。初回途中から登板した駒大苫小牧のエース田中将大(3年)は右肩の張りを押して力投したが3失点。9回には空振り三振を喫して最後の打者となる象徴的な幕切れとなった。駒大苫小牧の公式戦連勝も48(1分け含む)でストップしたが、田中は今秋ドラフトで1位入札競合必至の逸材。次なる挑戦はプロの舞台だ。
 思いを込めた。9回2死、カウント2―0からファウル3球とボールで粘った7球目。田中は144キロ直球に迷いなくバットを出した。空振り三振。明暗が分かれた瞬間、これまで見せたことのない柔らかい視線を斎藤に向けた。「やりきった気持ちがあります。だから悔いはないです」。涙はなかった。
 疲労との闘いだった。夜の通常の40分のマッサージに、この日朝、さらに20分追加。張りのある右肩から後背筋にテーピングを施し、初回途中でマウンドに立った。「最後の力を振り絞ったが、力が残っていなかった」という。2、6回は130キロ台後半の直球を、7回は120キロ台後半のスライダーを運ばれた。南北海道大会から計13試合通算101回2/3。1407球を投げ、126三振を奪って田中の夏が終わった。
 相次ぐ不祥事で今春のセンバツを出場辞退。香田誉士史監督(35)も一時、部を離れた。春の悔しさをぶつける場、それがこの夏だった。監督不在の空白を埋めるように練習に取り組んだ。夕闇が迫るグラウンドには、黙々と投球練習を続ける田中の姿があった。そうしてつかんだ聖地。だが大阪入り直前に38・5分の発熱。その後も胃腸炎と下痢に苦しんだ。
 誰もが口にした。「将大を助けたい」。3回戦青森山田戦の6点差を皮切りに準決勝まで3試合連続逆転勝利。この日も6回に三谷が中越えソロ、9回も中沢の中越え2ランで1点差と底力を見せつけた。香田監督は「お互い金メダルだと思う」と振り返った。
 観客もまばらになった球場での胴上げ。田中は仲間の腕で3度、宙を舞った。悔いはない。「最後は優勝したかった」も本音だ。複雑な思いを抱える怪腕だが、次の世界が待っている。夏の終わり。それは始まりでもある。
 ≪香田監督「100点だ」≫再試合の末、73年ぶりの3連覇を逃した香田監督は「負けた」と敗戦を認めながら「粘り強さがあったからこそ、ここまで来られた。選手を称えてあげたい。最高のチーム。100点だ」と話した。なお準優勝校の監督が務めることになっていた日米親善高校野球の全日本選抜チームのコーチは体調不良のため辞退。胃かいようの疑いがあり、北海道に戻った後、検査入院する予定。


和泉監督 悲願に「88回待った」 [ 08月22日 06時12分 ]

c0019485_8171225.jpg<早実・駒大苫小牧>ナインに歓喜の胴上げをされる早実・和泉監督






 【早実4-3駒大苫小牧】斎藤が駒大苫小牧・田中を空振り三振に打ち取った瞬間、和泉監督は両拳を天に突き上げた。就任15年目での悲願成就。1915年(大4)の第1回大会から出場していた古豪が第88回大会で初の頂点に立った。
 「88回待ちました。その歴史で勝てました。選手の力は私の想像以上。甲子園で1日ごとにたくましくなってくれた」。お立ち台であふれてくる涙をこらえた。
 最速150キロの怪物右腕・田中を攻略した。指揮官のナインへの指示は技術より気持ち。「とにかくしがみつけ!最後は気力だ」。初回2死三塁から船橋の中前打で先制し、先発・菊地をKOした。田中を引きずり出すと、2回2死二塁から川西が左翼線へ適時二塁打。6回白川の左翼線二塁打、7回後藤の左前打とすべて2死からの適時打。主将で4番の後藤は「技術より気持ちで相手に勝てた」と胸を張った。
 学校、OBの全面バックアップもあった。「皆さんの思いが選手を後押ししてくれた」と指揮官。04年、八王子市に室内練習場、クラブハウスを備えた「王貞治記念グラウンド」が完成。校舎移転に伴って99年に専用グラウンドが閉鎖され、主に企業のグラウンドを借りて練習してきたナインに最高の環境が整えられた。“新グラウンド1期生”が今の3年生だった。学校側も数年前から推薦資格を緩和。野球部は毎年9人まで獲得できるようになり、エース斎藤もその1人だった。
 昨年11月の神宮大会準決勝で3-5と敗れた相手に最高の舞台でリベンジを果たした。和泉監督は言う。「一番強いチームに勝つために頑張ってきた。ウチは駒大苫小牧さんに強くしてもらったんです」。復活した古豪は、連覇というさらなる高みを目指す。


「スタミナこれほどとは」西東京大会で対戦した球児ら
2006年 8月22日 (火) 10:59

 西東京大会で早実と対戦した球児たち。祝福と悔しさの入り交じった心境で、早実の快挙を見つめた。
 決勝で延長11回の熱戦を繰り広げた日大三。引退した3年生の多くが、夏休み中も後輩たちの練習を手伝っているという。主将だった池永周平君も練習の合間にテレビで早実の全国制覇を見守った。「やっぱり悔しかったなー、って真っ先に思った。来年は後輩にがんばってほしい」
 大舞台で戦う早実を見るたびに悔しさがぶり返したが、早実のねばり強さには改めて舌を巻く。「すきがなく、全然崩れない。こんなにスタミナがすごいとは」
 準決勝でサヨナラ負けを喫した日大鶴ケ丘の牧山智嗣(さとし)君は「いい試合をした相手なので応援していました。自分たちの代表が優勝してくれてうれしい」と語った。外出先でふとテレビに目をやると、マウンドに早実の選手たちが駆け寄って抱き合う様子が目に入った。 主戦だった仁平昌人君は自宅で家族と観戦、「全国制覇の瞬間、西東京大会で打たれた最後の1球を思い出しました」。「よかったな」と思う一方、「今度こそ」の気持ちが高まる。「大学野球で斎藤佑樹君に投げ勝ちたい」と新しい目標を語った。
(2006年08月22日10時59分 朝日新聞社)
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by azatsu0422 | 2006-08-22 08:55 | スポーツ
2006年 08月 21日

これぞ高校野球!

どんな創作物も敵わないドラマでした。今度の日曜日の朝を待つまでもなく、大沢親分の「あっぱれ!」が聞こえてきそうな決勝戦でした。
「田中は、ぼくたちの世代では最高の投手。でも、負けないように投げようと思いました」という早実・斎藤投手のコメントは、若さと人間的な成熟が相まった感じで、いいなぁ~と思います。
「球史にさんぜんと輝く決勝戦に感動した。両チームナインの奮闘をたたえたい」という高野連会長の挨拶にも素直にうなずけます(普通、こういう立場の人の挨拶には素直になれない私だが…)。
願わくば、私が生きてる間に私の母校もこんなドラマの当事者になって欲しいなぁ~…。



早実が駒苫を破り初優勝 ハンカチ手にする斎藤 共同通信 8月21日 (月) 17:09

c0019485_20495017.jpg決勝再試合を制し、ハンカチを手に感極まった表情の早実・斎藤=21日午後、甲子園球場(共同通信)








<高校野球>早実、悲願の初優勝 駒大苫小牧3連覇成らず [ 08月21日 15時02分 ]

 第88回全国高校野球選手権大会の37年ぶりとなる決勝再試合は21日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われ、早稲田実(西東京)が4-3で駒大苫小牧(南北海道)を降し初優勝を飾った。駒大苫小牧は、戦前の中京商(現・中京大中京)以来73年ぶり2校目の3連覇を目指したが果たせなかった。
 [試合経過]
 駒大苫小牧はエース田中ではなく、3試合連続で、2年生の菊地を先発のマウンドに送った。早稲田実は4日連投となるエース斎藤が先発した。
 早稲田実・斎藤は一回表、速球、変化球を低めに集め、駒大苫小牧の三谷を遊ゴロ、三木を左飛、中沢を空振り三振に仕留め、上々の滑り出しを見せた。
 その裏、早稲田実は小柳の二塁内野安打などで、2死一、三塁とし、船橋が中前適時打で1点を先制。駒大苫小牧はここでエース田中を投入、最少失点に抑えた。
 早稲田実は二回、四球の内藤が白川の送りバントで二進。2死後、川西が田中の速球を流し、痛烈な左翼線二塁打。1点を加えた。
 駒大苫小牧は四回2死から、中沢がチーム初ヒット。しかし、続く本間篤が倒れ、無得点。
 駒大苫小牧は五回、岡川、山口の安打で2死一、二塁としたが、小林は斎藤の鋭いスライダーに三振を喫した。
 斎藤は五回まで被安打3で7奪三振。駒大苫小牧・田中もスライダーがさえて三、四、五回は無失点に抑えた。
 駒大苫小牧は六回に反撃した。先頭の三谷が、斎藤の低めスライダーを振り抜き、左中間本塁打。1点を返した。
 早稲田実も六回、2死から内藤が四球を選び、白川が左翼フェンス直撃の二塁打を放って、再び2点差とした。
 早稲田実は七回、死球の川西を小柳がバントで送って、2死後、後藤が左前適時打。点差を3とした。
 駒大苫小牧は九回、三木が左前打で出塁。続く中沢が中越えに2点本塁打を放ち、1点差。しかし斎藤が踏ん張って早稲田実が逃げ切り、夏の初優勝を果たした。駒大苫小牧はあと一歩で夏3連覇を逃した。


斎藤4連投で早実初の夏制覇…執念で駒苫田中打ち崩す [ 08月21日 17時05分 ] 夕刊フジ

c0019485_19561138.jpg 「クールな剛腕」斎藤が4試合連続2ケタ奪三振となる13奪三振、118球完投で、早実に深紅の優勝旗をもたらした。第88回全国高校野球選手権大会最終日は21日、前日に延長15回引き分けとなった駒大苫小牧(南北海道)-早稲田実(西東京)の決勝戦再試合が行われ、早実が4-3で駒大苫小牧に逃げ切り、27度目出場で悲願の初優勝を果たした。先発は駒大苫小牧が菊地、早実は4連投の斎藤。1回に早実が先制すると、駒大苫小牧は早くもエース田中が登板。序盤から前日に続く両投手の激突再現となった。昭和44年の松山商-三沢以来、37年ぶり史上2度目の決勝引き分け再試合。駒大苫小牧は73年ぶり史上2校目の夏3連覇を逃した。
 クールな鉄腕が、マウンド上で喜びを爆発、涙を見せた。先発斎藤はどこまでもタフガイだった。1回、1番・三谷を遊ゴロ、2番・三木を左飛に抑えると、前日に2安打された中沢を迎えた。カウント2-1から真ん中低めに沈むスライダーで空振り三振に仕留める。これが斎藤の奪三振ショーの始まりだった。
 前日、あれほど1点を取るのに苦労したのに、この日は早々と早実が得点した。前日に続き先発した駒大苫小牧の2年生右腕・菊地から1回、先頭の川西が四球を選ぶ。内野安打、四球などで2死一、三塁のチャンスにチーム一の10打点を叩き出してきた勝負強い5番・船橋が、中前に弾き返し先制点を奪った。
 ここで駒大苫小牧は、エース田中がマウンドへ。試合前、香田監督は「田中は疲れがまったくないというわけではない」と話していたが、いきなり迎えたピンチは、エースに託すしかなかった。迎えた7番・斎藤との対戦に場内は大歓声。左直で、田中はピンチをしのいだ。
 しかし2回、内藤の四球などで2死二塁とすると、1番・川西が左翼線へ二塁打を放ち2-0とリードを広げた。
 この日の試合前、早実・和泉監督は斎藤の回復ぶりに驚いていた。「3回戦から4日連投になるのは心配だが、斎藤は思ったほど疲れていないという。強い体を持っている」。前夜、肩や腕へのはり治療のほか、疲労回復に効果があるとされる酸素カプセルに入り、体力回復に努めた。今春のセンバツ以降、スタミナ強化を図ってきた自負があった。
 2回には先頭の本間篤を142キロ速球で見逃し三振、田中も見逃し三振だ。7回までに4試合連続となる2ケタ奪三振の圧巻だった。
 駒大苫小牧に6回、左中間本塁打、9回には2ランを浴び、1点差に詰め寄られた。
 「なんとしても、優勝旗を東京に持ち帰りたいんです」と話していた早実・和泉監督の執念がナインを奮い立たせた。
 大先輩のソフトバンク・王監督を励ましたいとの思いが強かった早実が、深紅の大優勝旗を手にした。
 早実・斎藤投手の話「(早実の先輩)王さん、荒木さんも達成できなかった夏の大会で優勝できて、とてもうれしい。とにかく、仲間を信じて投げ抜いた。(駒苫の)田中は、ぼくたちの世代では最高の投手。でも、負けないように投げようと思いました」


<高校野球>早稲田実 初優勝 駒大苫小牧3連覇の夢消える [ 08月21日 18時22分 ]

 第88回全国高校野球選手権大会(日本高校野球連盟、朝日新聞社主催)の決勝再試合は21日、阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で行われ、早稲田実(西東京)が4―3で駒大苫小牧(南北海道)を降し、初優勝を飾った。駒大苫小牧は、戦前の中京商(現・中京大中京)以来73年ぶり2校目の3連覇を目指したが、かなわなかった。
 10年ぶり27回目出場の早稲田実は、1回戦の鶴崎工(大分)に続き、2回戦も強豪・大阪桐蔭(大阪)に快勝。勢いに乗って福井商(福井)、日大山形(山形)、鹿児島工(鹿児島)を降して26年ぶりの決勝へ。20日の決勝戦は延長15回1―1で決着せず、大会規定により37年ぶりの引き分け再試合となった。
 閉会式で脇村春夫・日本高野連会長は「球史にさんぜんと輝く決勝戦に感動した。両チームナインの奮闘をたたえたい」とあいさつした。【野村和史】
 ▽早実OBで80年準優勝投手、荒木大輔・西武投手コーチの話 早実らしく、粘り強い野球だった。投手だけでなく、守備も堅く、打撃も破壊力があり、足の攻撃もできる素晴らしいチーム。OBとして誇りに思い、早実の卒業生で良かったと思う。斎藤投手はボールの速さが魅力だが、それだけでなく、状況に応じてカウントが取れる投手で、相手から見たら打ちにくいと思う。今は十分に体を休め、今後に向け、頑張ってほしい。優勝おめでとう。


(8/21)早実が悲願の初優勝・駒苫、夏3連覇ならず

c0019485_19515939.jpg 第88回全国高校野球選手権大会最終日は21日、兵庫県西宮市の甲子園球場で前日に延長15回引き分けとなった駒大苫小牧(南北海道)―早実(西東京)の決勝の再試合を行い、早実が4―3で勝ち、1915年の第1回大会から通算27度目の出場で悲願の初優勝を果たした。
 駒大苫小牧は31―33年の中京商(現中京大中京=愛知)以来、73年ぶり史上2校目の夏の大会3連覇はならなかった。
 69年の松山商(愛媛)―三沢(青森)以来、37年ぶり2度目の決勝引き分け再試合。スタンドは平日の月曜日にもかかわらず、前日と同じ満員5万人の観衆で埋まった。
 一回に1点先制した早実は、一回途中から救援した駒大苫小牧のエース田中将大投手からも2、6、7回に1点ずつを挙げた。
 今大会、1回戦から全7試合に先発し、ほぼ1人でマウンドを守った斎藤佑樹投手は、4日連投とは思えぬ好投で13奪三振。駒大苫小牧の反撃を2本塁打による3点で食い止めた。早実は今春の選抜大会の関西(岡山)戦でも延長15回引き分け再試合で勝っている。
 例年にない猛暑の中での甲子園大会は、これまでの1大会通算最多本塁打記録を13本も上回る60本塁打が記録された。〔共同〕

▽決勝・引き分け再試合(第16日)

駒大苫小牧(北海道)-早 実(西東京)

         1  2  3  4  5  6  7  8  9  計
駒大苫小牧  0  0  0  0  0  1  0  0  2  3
早 実      1  1  0  0  0  1  1  0  × 4


練習場の整備、初優勝の背景 王貞治記念グラウンドも 2006年 8月21日 (月) 20:07

 1901年創立の早稲田実が、王貞治氏も荒木大輔氏もできなかった夏の全国制覇を成し遂げた背景には、ようやく整った練習環境や、文武両道の校風があった。
 早実は01年、新宿区から国分寺市に移転。翌年には商業科を募集停止、男女共学化、初等科も開校と、めまぐるしい変遷を遂げた。
 それは野球部にとっては苦難の始まりだった。移転に伴い、練習場だった武蔵関グラウンド(練馬区)は99年夏に閉鎖。「グラウンド確保に必死で、練習に集中できなかった」と和泉実監督は振り返る。大学や社会人チームのグラウンドを渡り歩く日々が続いた。
 今の3年生が入学した年の7月、八王子市に「王貞治記念グラウンド」が完成。両翼93メートル、中堅120メートル。照明もある。やっと腰をすえて練習に打ち込める環境が整った。和泉監督は「選手が部室でゆっくり話をできるようになり、仲間意識も高まった」。
 人材もそろってきた。優勝の原動力になったエース斎藤佑樹君は群馬県出身。早実に入学した理由を「野球だけでなく、人間的にも成長したいと思ってこの学校を選んだ」と話す。
 「文武両道の伝統」。選手たちは他の生徒たちと同じように授業を受けた後、電車などでグラウンドに向かう。和泉監督は「試験休みはしっかり取るし、テストの成績が悪ければ練習をさせない」という。
 スポーツ分野に特定した推薦制度もあるが、一般入試で難関を突破した主力選手もいる。帰国子女でドイツ語を話し、「将来の夢は国際弁護士」と話すレギュラー選手もいる。
 現在は100%近くが早稲田大に進学する。都内の強豪私立の監督は「いまは野球が強いというだけでは、人が集まらなくなっている。その点、有名私大の系列校には、絶大なブランド力がある」と話した。
(2006年08月21日20時07分 朝日新聞社)
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by azatsu0422 | 2006-08-21 20:14 | スポーツ
2006年 08月 20日

永く忘れられない試合になると思います。

決勝戦としては37年ぶりの再試合。歴史的な一戦にTV観戦ながら立ち会えた事が嬉しく、誇らしい気持ちになりました。「ドカベン」でもこういうドラマは描けないよなぁ…。

今大会は点の取り合いが多かった印象ですが、決勝は最後まで両投手がキレずに投げ合う投手戦。大舞台で最後まで崩れなかった両チームの投手・守備ともすごいけれど、私は、特に早実・斉藤投手にシビれました。クールな表情のまま気持ちを切らさずに連戦連投、独りで投げ抜いて、15回で140キロ台後半?で抑えて、タマの切れも衰えなくて…「すごい!」の一言に尽きました。昔はこういう場面を背負う「男」の姿に悲壮感が漂っていた気がするのですが、斉藤・田中両投手には、そういう雰囲気がしないぶん、今どきのイケてる男はタフだなぁーと思います。

2連覇の実績と打線の厚みとつながり、そして投手の消耗を思うと、駒大苫小牧の方が地力があるという気がしますが、再試合は斉藤投手次第かな…と思います。3連覇に王手をかける駒大苫小牧に対して、判官贔屓?と言っては早実に失礼ですが、斉藤投手に優勝旗を持たせてあげたいなぁ~…。優勝旗を持った早実ナインと王監督のご対面っていうニュースに接したいし…。


駒苫、早実譲らず再試合 延長15回1-1 [ 08月20日 17時08分 ] 共同通信

 第88回全国高校野球選手権大会は20日、兵庫県西宮市の甲子園球場で決勝を行い、駒大苫小牧(南北海道)と早実(西東京)が互いに譲らず、延長15回1-1で引き分けて21日に再試合となった。決勝での引き分け再試合は1969年の第51回大会で松山商(愛媛)と三沢(青森)の延長18回0-0(再試合は松山商が4-2)以来、37年ぶり2度目。
 31-33年の中京商(現中京大中京=愛知)以来、史上2校目の夏3連覇を狙う駒大苫小牧の田中将大投手と、第1回大会以来27度目の出場で初の全国制覇を目指す早実の斎藤佑樹投手の両エースの投手戦となった。
 駒大苫小牧は8回に三木悠也遊撃手の本塁打で1点先制した。早実もその裏に同点とし、その後は追加点がともに挙げられなかった。


<高校野球>白熱の投手戦…37年ぶりの決勝引き分け再試合 [ 08月20日 16時53分 ]

 第88回全国高校野球選手権大会(日本高校野球連盟、朝日新聞社主催)の決勝が20日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われ、73年ぶりの3連覇を狙う駒大苫小牧(南北海道)と初優勝を目指す早稲田実(西東京)が延長15回の熱戦の末、1―1の同点で、大会規定により引き分け再試合になった。夏の甲子園決勝の引き分け再試合は、69年の松山商(愛媛)―三沢(青森)以来37年ぶり2度目。当時は延長18回制で、2000年に15回制になってからは初めて。再試合は21日午後1時開始。
 △駒大苫小牧(南北海道)1―1早稲田実(西東京)△(延長15回引き分け再試合)
 打撃戦が多かった今大会だが、決勝は駒大苫小牧・田中将大投手(3年)、早稲田実・斎藤佑樹投手(同)の両エースによる息詰まる投手戦となった。八回表、駒大苫小牧が本塁打で先制したが、早稲田実はその裏、犠飛で同点に。延長に入り、両チームとも満塁の好機をつくったが、両エースが要所を締めた。【野村和史】
 ▽早稲田実OBのソフトバンク・王監督 両チームとも死力を尽くした、夏の決勝にふさわしい球史に残るいい試合でした。両校ともお見事。明日の再試合では疲れを乗り越えて、ここまで来たら勝ち負けを考えず、全力を挙げて戦って下さい。
 ▽脇村春夫・日本高校野球連盟会長 乱打戦の多いこの大会でひときわ素晴らしい投手戦だった。球史に残る感動的な決勝戦で、まさに両チームに優勝旗をあげたい気持ちになった。
 ▽早稲田実・和泉実監督 向こうは強い。でもうちも強いことを再確認した。(斎藤の完投は)あの雰囲気の中で投げられる投手はほかにいないから。再試合は総力戦でやる。
 ▽駒大苫小牧・香田誉士史監督 4、5点勝負とみていたが、初回の斎藤君の投球でそんなに取れないと早めに継投した。これだけお互いやれたことをうれしく思う。
 ◇息詰まる投手戦
 早稲田実・斎藤、三回途中から救援の駒大苫小牧・田中の両右腕がさえ、息詰まる投手戦は1―1のまま延長戦となり、十五回両者譲らず、引き分け再試合となった。
 序盤から両チームとも走者を出したが、斎藤はスライダー、フォークが切れ、田中は先発・菊地を三回1死一、二塁で救援すると武器のスライダーを駆使し、ともに要所を締めた。
 試合が動いたのは八回。駒大苫小牧は1死後、三木が斎藤の初球の直球をバックスクリーンへソロ本塁打。しかし、その裏、早稲田実も粘り、1死後、檜垣が左中間二塁打。打球を処理した左翼手の返球が乱れ、檜垣は三塁に。後藤が中犠飛を放って追い付いた。
 その後も斎藤、田中の投げ合いが続いた。
 駒大苫小牧は十一回、安打と死球などで1死満塁としたが、スクイズを空振りして逸機。早稲田実も十三回、安打と連続敬遠四球の2死満塁を逸したのが惜しまれた。【相川光康】
 ◇エース激闘…意地の343球
 5万の大観衆を酔わせる名勝負を演じたのは、田中、斎藤両エースという2人の“怪物”だった。
 延長十五回裏。既に勝ちはなく、あるのは引き分けかサヨナラ負け。だが、マウンドに向かう田中投手はわくわくしていた。「これを抑えれば、もう1試合投げられる」
 マウンド上で「ほえる投球」が売り物だが、決勝では何度か訪れたピンチをしのいでも顔色は変わらなかった。冷静さを失わないこと。それだけが優勝に導くことだと知っているかのように。
 十五回表。斎藤投手の147キロ超の球速がスコアボードに表示された瞬間「燃えた」。自分も気持ちを奮い立たせた。
 一方の斎藤投手は、普段からマウンドで感情を顔に表さない「クールな男」。だが、内に秘めた闘志をボールで表す。
 準決勝の鹿児島工戦。「代打の切り札」、今吉晃一選手を迎え、場内を静まり返らせる140キロ超のボール。そして、3連投にかかわらず、この日の十五回表、4番の本間篤選手に次々投げ込んだ快速球。疲れを知らないのか。スタンドをどよめかせた。
 準決勝の後、斎藤投手は「駒大の3連覇を止めるのは自分たちしかいない」と宣言。この日の試合後も再び熱く語った。「ここまできたら、男と男の勝負。気持ちがあれば絶対に完封できる」
 田中投手も負けていない。「次も投げる(心の)準備はできている」
 意地と意地をぶつけた2人の投球数は343球。3時間37分の激闘だった。【甲子園取材班】
 ○…決勝までの5試合で11安打を放ち打率5割、10打点と大暴れしていた早稲田実の5番・船橋は、完全に駒大苫小牧の田中らに抑え込まれ、6打数無安打2三振。「タイミングが全然合わなくて……。それだけ田中君の球がいいということ」と脱帽した。「スライダーを待ってると直球が来る。そうなると絶対打てない。直球を待ってスライダーがきたら何とか手を出せるかな」。再試合に向け、田中対策を明かした。
 ○…延長十五回の表、駒大苫小牧の攻撃。田中は最後の守りに備えてキャッチボールを始めた。2死。4番の本間篤が早稲田実の斎藤に対している。そこでスタンドが沸いた。147キロ、146キロと斎藤の球速が表示されたからだ。田中は自分に言い聞かせた。
 「いらない感情を出して自分の投球を乱してはいけない」
 ライバル心を燃やして力む必要はない。本間篤が空振り三振に倒れてこの日の勝利がなくなると、田中は冷静に最後のマウンドへ向かった。その心境こそが田中の復調を示していた。
 最大のピンチは十三回だった。2死二塁で3番の檜垣。八回に左中間二塁打を浴びた打者だ。「厳しい球を」と投げたカーブが暴投となって走者は三塁に。しかし、田中は決して勝負を急がず、満塁策をとって2人を敬遠で歩かせた。再び暴投すれば、サヨナラ負けとなる場面だが、慎重なカーブで5番・船橋を二ゴロに打ち取り、勝利への希望をつないだ。
 調子が悪いと言われながらも勝ち上がった決勝。その陰で田中はフォームを微調整していた。大会前半は左足を上げた時に右足かかとに体重がかかっていた。これを重心をつま先に残して体の開きを防いだ。その結果が準決勝の智弁和歌山戦、そして、この日の投球だ。田中は「剛速球投手」の肩書きを外し、変化球中心のコントロール重視で勝負に徹した。
 「なかなか点が取れないのでペース配分を考えた。延長に入った段階で再試合を意識した」という。余分な力は使わず、速球は140キロ前後。随所で右腕を上げて振る動作を繰り返したのは「血がたまって感覚が鈍くなるからです」。自分の右腕を知っていた。
 香田監督は「田中が疲れている」と2試合連続で2年生の菊地を先発で使った理由を説明した。「あすは先発で行くのか」と聞かれた田中も「投手全員でつなげばいい」と言葉を濁す。投手の疲労と先発起用の駆け引き。再試合を左右する勝負の妙だ。【滝口隆司】


駒苫Vs早実、死闘15回ドロー!37年ぶり決勝再試合 [ 08月21日 08時05分 ] サンケイスポーツ

 (第88回全国高校野球選手権大会、第15日、決勝、駒大苫小牧1-1早実=延長十五回規定により引き分け再試合、20日、甲子園)世紀の鉄腕対決に日本列島が震えた。駒大苫小牧(南北海道)と早実(西東京)の決勝戦は、1-1で規定により延長十五回引き分け。21日、1969年の松山商(愛媛)-三沢(青森)の延長十八回(0-0)以来、37年ぶり2度目の決勝戦引き分け再試合となった。先発した早実・斎藤佑樹投手(3年)が15回を7安打1失点、178球の熱投を見せれば、三回途中から登板した駒大苫小牧・田中将大投手(3年)も7安打1失点(自責0)と気合の165球。駒大苫小牧は73年ぶりの3連覇、早実は初の夏Vをかけて、再び激突する。
 鳴りやまない大きな拍手。そしてスタンディングオベーション。聖地が両チームをやさしく包む。勝てなかった。しかし、負けもしなかった。死力を尽くした3時間37分だった。
 深紅の優勝旗をはさんで、2人の鉄腕が対峙(たいじ)した。延長十五回。激闘を締めくくる打球が遊撃手のグラブに収まるのを見届けると、駒大苫小牧の田中は右腕で汗をぬぐった。
 「投げているときに疲労は感じませんでした。延長に入った時点で十五回まで行くと思いました」。0-0の三回一死一、二塁から登板して165球。雄たけびをあげ続けた。八回に中犠飛で同点に追いつかれたが、7安打10奪三振で1失点(自責0)に抑えた。
 世代NO・1投手を相手に、早実の斎藤は笑みさえ浮かべた。3連投の疲れも見せず、15回を被安打7、八回に浴びたソロ本塁打のみに封じた。こちらの“フィニッシュ”も4番打者。本間篤から178球目のフォークで16個目の三振を奪った。
 斎藤は今大会6試合で830球の熱投。この日の16奪三振で通算「65」になった。あの松坂大輔(横浜高)が延長十七回の死闘をくぐり抜けて優勝した98年夏の同「54」(6試合)を上回った。まさに“怪物超え”の快投だ。甲子園のニューアイドルは「きょうで終わるはずの高校野球をもう一度できることがうれしい」と声を弾ませた。
 列島が感動に震えた世紀の一戦。この日、甲子園に“先駆者”がいた。
 決勝戦の引き分け再試合は69年の松山商Vs三沢以来、37年ぶり2度目。当時の松山商のエース・井上明さん(55)=朝日新聞スポーツ部記者=は「当時は木製バットの時代。ずっとゼロが続いていました。この2人がぶつかったからこそ、こういう試合になったのでしょう」と球児のような笑顔をみせた。
 スタンドでは母が泣いていた。「“あす頑張って”なんて言えない。でもあの子はあきらめないと思います」。斎藤の母・しづ子さん(46)は涙を浮かべて話した。
 田中はいった。「(21日の先発は)監督にいけといわれれば、投げる準備はできています」。斎藤も負けていない。「あすも投げるつもり。制球に気をつければ絶対0点に抑えられる」。
 兵庫・西宮市内の宿舎に戻った斎藤は、夕食でステーキや焼き鳥などをペロリと平らげた。その後は決勝戦のビデオを見ながらナインと談笑。決戦に備えた。
 北の怪物と東京のヒーロー。それぞれに友と笑った。“あす”を語りあった。興奮を静めた夜が明けた。さあ、鉄腕対決再び。斎藤か、田中か。深紅の大優勝旗をつかむのは1人だ。


今度こそエース助ける!両チーム打線“リベンジ”誓う [ 08月21日 08時05分 ] サンケイスポーツ

 (第88回全国高校野球選手権大会、第15日、決勝、駒大苫小牧1-1早実=延長十五回規定により引き分け再試合、20日、甲子園)21日、おれたちが鉄腕を援護する-。駒大苫小牧の強力打線は斎藤の前に八回、2番・三木悠也内野手(3年)の中越えソロだけ。早実も2番手で登板した田中を攻めきれず、4番・後藤貴司主将(3年)の八回の中犠飛による1点に終わった。再試合の勝敗を分けるのは、疲労のたまった両投手をどう攻略するか。この日は沈黙した両チームの打線が“リベンジ”に燃える。

c0019485_9305322.jpg 〔写真:都会の鉄腕が聖地で躍った。早実の斎藤がクールに178球。田中クン、僕は絶対に負けない〕

 聖地に歓声と悲鳴が交錯する。延長十五回二死。遊飛に倒れた早実の4番・後藤が、思わず天を仰いだ。
 引き分け再試合だ。両校をたたえる大拍手の中、胸を張ってホームプレートに向かう斎藤、田中の両エースとは対照的に、打撃陣は唇をかみしめて審判の試合終了のコールを聞いた。
 「斎藤はやってくれると思っていたけど、田中投手を打ち崩すことができなかった…」。八回、同点の中犠飛を放ちながらも、田中の165球目を打ち損じた主将はため息をついた。
 早実は一回、先発の菊地翔太投手(2年)を攻めて、一死一、二塁のチャンス。しかし、後藤が二ゴロ併殺打。六回一死二、三塁では好調の5番・船橋悠外野手(3年)が高速スライダーに三振を喫した。今年のセンバツ2回戦(対関西)でも引き分け再試合を演じている早実は、史上初の年2度の聖戦に臨むことになった。
 一方、駒大苫小牧打線は斎藤の前に七回までわずか1安打。そんな劣勢を振り払ったのは伏兵だ。八回、2番・三木が放った打球はバックスクリーンへ一直線。「風もあったけど自分でもびっくりしています」と興奮気味に振り返った。
 その後は両チームともチャンスを作りながら、あと1本が出ない。165+178球。鉄腕2人の計343球の熱投に報いることはできなかった。
 だからこそ、21日、打線がリベンジに燃える。
 「全国制覇をしたいという気持ちが強い方が勝つと思います。うちは(センバツで)再試合を経験しているし、スタミナも斎藤の方がある。自分たちが有利だと思う。絶対に斎藤を助ける」と後藤主将。駒大苫小牧の三木も負けてはいない。
 「まったく打てない投手なんて(この世に)いない。思い切ってぶつかっていきたい」
 鉄腕を助ける“もう1試合”が待っている。


斎藤178球熱投!4連投で日本一だ [ 08月21日 06時12分 ]

c0019485_934231.jpg<早実・駒大苫小牧>延長15回表2死、早実・斎藤が駒大苫小牧・本間篤を三振に打ち取りガッツポーズ

 【早実1-1駒大苫小牧】甲子園はまだ終わらない――。第88回全国高校野球選手権大会は20日、兵庫県西宮市の甲子園球場で初優勝を狙う早実(西東京)と73年ぶりの3連覇を目指す駒大苫小牧(南北海道)の決勝戦が行われ、1―1で両者譲らず、延長15回、激闘3時間37分引き分け再試合となった。決勝戦の引き分け再試合は69年、第51回大会の三沢―松山商戦以来37年ぶり2度目。早実・斎藤佑樹投手(3年)は178球の熱投で1失点完投。今大会通算奪三振を歴代2位タイとしたエース右腕は21日、午後1時からの再試合で悲願の初大旗獲りを目指す。
 甲子園は夕暮れに染まっていた。大歓声と拍手が死闘を戦い抜いたナインを包み込む。最後のはずだった試合の勝敗はつかず、校歌も流れない。高校野球史に残る“激闘ドラマ”。主役は早実の背番号1、斎藤だった。
 「ロースコアになると思っていたし、最初からもしかしたら再試合もあるかと思っていました」
 5万の大観衆をどよめかせた。延長15回2死走者なし。投球は170球を超えていたが「打ち取りたい気持ちがスピードになった」。4番・本間篤への初球。外角への球はこの日最速の147キロを計時。打席の本間篤が思わず目を見開いた。143キロ、147キロ…。クールな男が滴る汗をハンドタオルでぬぐうこともせず直球を続けた。フルカウントの6球目で「真っ直ぐを待っている相手の意表をついた」。フォークで空振り三振。“負け”がなくなったエースはマウンドで吠えた。
 強力打線を相手に徹底して低めを突いた。8回、三木に先制ソロを被弾も打線がすかさず同点に追いついた。延長11回1死満塁では「三塁走者が走ったのが見えたから」と、とっさにスライダーをワンバウンドさせて空振りを奪い、スクイズを阻止。ピンチを切り抜けた。16三振を奪い今大会通算65奪三振。昨夏の大阪桐蔭・辻内(巨人)と並んで歴代2位タイに躍り出た。
 斎藤は今センバツ2回戦で関西と延長15回引き分けの死闘を演じた。再試合を制したが、3連投となった準々決勝の横浜戦で3回6失点KO。スタミナ不足を痛感し、ウエートトレーニングと走り込みで下半身を鍛えた。右足にタメをつくるフォームに改造して最後の夏に臨んだ。今大会通算830球、この3日間で435球を放った。疲労がないわけがない。試合後は30分間のハリ治療。握手もできないほど握力はなくなっている。それでも宿舎では焼き肉、焼き鳥に丼ご飯もしっかり平らげて再戦に備えた。
 「きょうは1点取られたしまだまだです。勝つことが自分への(春の)リベンジ。田中君との対決を楽しめたし、もう1試合できるのはうれしい。きょうできなかった完封をして勝ちたい」
 未知なる4連投の先にある日本一。早実の悲願を懸けて、鉄腕は再びマウンドに立つ。
 ≪和泉監督再認識「うちも強い」≫今センバツに続く引き分け再試合。早実・和泉監督は選手通路で大きくため息をついた。「血圧が上がって、僕を殺す気かと思った」。負けなかった安ど感と疲労でぼんやりと遠くを見つめながら苦笑いした。延長13、14回のサヨナラ機を生かせなかったことに「田中は簡単には打ち崩せなかった」と悔やんだ。
 エース斎藤が先制弾を被弾も直後に主砲・後藤の犠飛で同点。その後のピンチを斎藤中心に守りきった自信は大きい。昨秋明治神宮大会準決勝は4回途中から登板した田中の前に2安打13三振で敗れた。それでも「向こうも強いがうちも強いことを再確認した」と指揮官はナインの成長に確かな手応えを感じている。
 注目される斎藤の起用については試合後、ドクターによる肩・ひじのチェックもクリア。「精神的なスタミナがある。あの雰囲気、あの緊張感で投げられる投手はうちには斎藤以外、ほかにいません」として4連投を示唆した。こうなったら意地でも負けられない。“王者”駒大苫小牧に再び総力戦でぶつかる。
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by azatsu0422 | 2006-08-20 19:07 | スポーツ
2006年 06月 16日

吠えろ、ジーコ!

ジーコ監督へ

日本人は農耕民族でムラ社会育ちなせいか、基本的に甘えん坊です。責任を背負うのが嫌で、「自分で主体的に考える」ことが苦手です。たとえチームの勝敗がどうなろうが、意見が対立するよりも、その場を穏便に収める方が良いと考えてしまうものです。チームが負けてもムラ社会の根性が染み付いているので、とにかく吊るし上げられるのが嫌なのです。

キリスト教には「許す」「復活する」という精神がありますが、信仰の無い日本では「許す」という感情がないうえ、社会的には敗者復活の機会を求めることは「往生際が悪い」と思われ、サッサと切腹する「桜散る」的な潔さが美徳、とする感性が根強くあります。

だから、日本のムラ社会では「自分の責任を認める」=「切腹」であり、今でも社会的な抹殺を意味します。事実上、復活の機会も与えられません。機会が皆無とは言いませんが、奇跡的な幸運と努力がかみ合った、極めてレアなケースしかなく、普通に考えれば絶望的です。それを絶望的と決めつけてしまう私のような言い方も、日本人の潔い?心です。

だから、日本人は責任から反射的に逃げてしまうのです。そして、他人へ「潔さ」を求めるわりに、自分自身が潔く責任を取らされることの無きように立ち振る舞うのです。誰もが責任から逃げる不条理こそ、サムライ精神を失った現代日本人の(腐った)根性です。

というわけで、責任を取りたくないので、誰も自分で考えず指導者に従順でいようとします。そして、厳しい状況に陥るほど、思考停止に陥って指導者を頼ろうとします。所詮、ほとんどの日本人は従順な僕(しもべ)に安住するのが気楽で大好き。評論家に徹して結果を上に押しつけながら、自らは言われた事の範囲内でしか動けない民族なのです。

日本人が上から受ける指示の中で、「自分で考えろ」と言われるのが、日本人にとって最も厳しい指示なのです。そして、今どきの若い日本人は、「私には分かりません。」と、すぐに逆ギレして居直ります。「私は責任を取る立場じゃないので、考える必要はありません。責任者が具体的に指示したことの中で、自分がやりたいと思えることしか動きません。」と言うのです。自称「責任感」のある人で、何かと「責任が取れません。」と言う人も、そう言って高みの見物を楽しみたがるタイプです。私自身がそういう弱い人間なので、自分の弱味は解っています。

ジーコ監督、中田英選手、川淵会長を吊るし上げる報道を見かけますが、こういう論調と、それに共感する大多数の人達こそ、典型的な日本人です。悪い話は他人事にして、誰かを吊るし上げて自分の事から切り離すのが今どきの日本人の心です。武士道精神なんて、あり得ません。サムライ精神がある人ほど、吊るし上げを食らって切腹のリスクを背負いやすいのです。逆に言えば、ジーコ、中田、川淵の3人だけが、日本サッカー界のサムライなのです。

武士道精神といえば、多くの日本人は無宗教なので、モラルや精神的な自立を支える信仰がありません。サムライ・ブルーなどと言っても、日本人の武士道精神は明治の頃から徐々に崩壊して、第二次大戦後は完全に解体されて、その後、米国流の合理性へ60年以上、3世代以上かけてフォーマットされて来ましたから、今の日本人にかつての武士道精神を期待するのは不可能です。

ですから、狩猟民族的なアグレッシブさと、キリスト教の精神的支えを前提に、日本人へ大人の扱いで接しても、期待されるような手応えは得られません。優しくされても、甘やかされたかのように勘違いして増長し、ますますユルんでしまうだけです。幼稚園児や小学生低学年の子供達に厳しい躾をするような対応が必要なのです。

ジーコ監督は、今まで選手を信じて大人扱いして、辛抱して育てて、技術的には格段に進歩しました。でも、残念ながら選手達はピッチの上で走りながらゲームを創造するほど成長できなかったようです。「かいかぶり」だったのかも知れません。中田英選手は例外的に心の強い日本人ですが、そんな中田選手もゲーム中ずっと強い気持ちで集中力を維持するのは難しそうです。三都主選手は日本民族じゃないけれど、今どきの日本人よりも日本的な甘えん坊って印象を、詰めの粗いプレーや、シミュレーションのような常にワザとらしい倒れ方から感じています。日本での育ちが長かったせいかも知れません。

中田選手以外は、恐らく「ドイツに行きたい」のではなく、「ドイツに連れて行って欲しい」というのが本音で、「決勝に進出したい」のではなく、「決勝に進出させて欲しい。」という根性なのです。「自分が勝ちたい」のではなく、「勝ったチームの出場メンバーに自分がいたい」というワケです。ほとんど全員のメンバーが、当事者でありながら他人事になっているのだと思います。

ここはひとつ、情けない気持ちを気力の全てに置き換え選手達にぶちまけて、怒声を浴びせ続けながら、選手達に逐一指示してやって下さい。今の選手達に創造を期待するのは不可能です。言われたことの範囲しか出来ません。


ジーコが怒りの闘魂注入!「根性みせろ」吠えまくった3分間 [ 06月16日 08時05分 ] サンケイスポーツ
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 日本代表・W杯合宿(15日=日本時間同日、ドイツ・ボン)神の怒りだ。サッカー日本代表・ジーコ監督(53)が15日の午後練習で、主力選手をピッチ中央に集めて「根性みせろ! W杯で先発するのはお前たちだろ!!」とカミナリを落とした。ドイツ入りして以来、初めて選手を大声で叱責。1次リーグ突破には勝利が至上命題となる18日のクロアチア戦を目前にし、土壇場でみせた監督のマジ激怒が、日本代表を奮い立たせる。
 ジーコ監督の怒声が、ピッチに響いた。
 「これじゃダメだ! オレたちは今、W杯を戦ってるんだ! 今回負けたら終わりなんだぞ!!」
 顔がみるみるうちに紅潮する。午後から始まった攻撃練習の途中に、修羅場は突然訪れた。
 クロアチア戦で先発を予定する主力組のうち、DF宮本(G大阪)と中沢(横浜M)を除いた8人が、敵陣でボールを奪って攻撃に転じるパターンを繰り返す…はずだった。しかし、パスは途切れ、控え組のMF小野(浦和)らにボールを奪い返されて逆に何度もセンターラインを割られてしまう。約15分が経過したところで、ジーコ監督は練習を中断。センターサークルに8人を集めると、大声でまくしたてた。
 「もっとメリハリをもってやれ! 根性をみせろ! 彼らは後発なんだ。先発するお前たちが引っ張っていかなくてどうするんだ!!」
 約3分間-。日本代表が先月26日にドイツに乗りこんでから初めて大声で叱責した。午前中は当地に雷鳴が轟いたが、午後には神のカミナリだ。MF中田英(ボルトン)もFW高原(ハンブルガーSV)も、怒声にうなだれる。ピッチ上に張りつめた空気が覆った。
 W杯はジーコ・ジャパンの4年間の集大成。ドイツ入り後は選手たちに余計なプレッシャーを与えないために、温和路線を敷いてきた。12日の豪州戦では先制しながら試合終了6分前から相次いで3失点し、痛恨の逆転負け。それでも怒りを抑えて「がっかりしても仕方がない」と選手たちを励ました。それなのに、親の心、子知らず。練習で気持ちのゆるんだプレーをする主力組に、ついに堪忍袋の緒が切れた。
 ジーコ監督は、日本人以上に精神を重んじる。J1鹿島時代の96年夏、南米合宿中にたるんだ選手がいたために、炎天下でチーム全員に1時間半も根性論を話したこともあった。代表監督に就任してからも、W杯予選など大事な試合を前に「技術や戦術があっても、最後は気持ちなんだ」と口癖のように説いてきた。
 FW柳沢(鹿島)は「うまくいかなくてイライラしてた。みんなが同じ方向に向いていく状況をつくらなきゃいけない」と怒りの意図をかみしめた。「可能性がある限り、最後まであきらめずに本気でやるのがブラジル人なんですよ」と話すのは、ジーコ監督と一心同体の鈴木通訳だ。
 「W杯は戦争なんだ」とジーコ監督は語っている。命がけの大一番となるクロアチア戦まであと2日。怒り一閃で闘魂注入。神が落としたカミナリが、23戦士を目覚めさせた。


サッカー=中田英がメディアの悲観を一蹴、「日本の方が強い」 [ 06月15日 13時11分 ]

c0019485_11502560.jpg 6月14日、サッカーワールドカップ(W杯)日本代表の中田英寿(右)が、日本の1次リーグ突破は難しいとするメディアの悲観論を一蹴した。写真は、ジーコ監督と話す中田英(2006年 ロイター/Kimimasa Mayama)


 [ボン(ドイツ) 14日 ロイター] サッカーの2006年ワールドカップ(W杯)1次リーグ初戦でオーストラリアに敗れた日本代表の中田英寿が、日本の1次リーグ突破は難しいとするメディアの悲観論を一蹴した。
 中田英は14日の外国人記者の取材に英語で答え、「あなた達はいつも悲観的だ。我々が出来ることは次の試合に勝つと信じること。(次戦の)クロアチアは良いチームだが、それでも、日本の方が強いと信じている」と、力強いコメント。
 オーストラリア戦の悔しい敗戦を「もう過去のこと」と話す中田英は、残り2試合で勝ち点4を手にするのが目標かとの質問に対し、「なぜ勝ち点4なんだ?2試合残っているので、我々は勝ち点6を手にすることが出来る」と、強豪クロアチアと世界王者のブラジルに連勝する意気込みをみせた。
 日本は18日、第2戦でクロアチアと対戦する。


サッカー=ジーコ監督、FIFAの誤審認める発言に怒り [ 06月16日 14時30分 ]

 [ボン(ドイツ) 15日 ロイター] サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会に出場する日本代表のジーコ監督は15日、日本が1─3で逆転負けした12日のオーストラリア戦で日本に与えられるべきPKが見過ごされたと、国際サッカー連盟(FIFA)が誤審を認めたことについて、怒りをあらわにした。
 ジーコ監督は「今言っても何も変わらない。あの時PKが与えられていたら、全てが変わっていたかもしれない」と、FIFAが誤審を認めたタイミングについて不満を示した。
 FIFAが誤審と指摘したのは、1―1で迎えた終盤、ケーヒルがゴールに向かう駒野を倒した場面で、「主審のミスは明白」としていた。
 ジーコ監督はさらに、主審が試合後に日本の先制点は誤審だったとしてオーストラリア人選手に謝罪したとされることについても、「審判はそういうことを言ってはならない」と批判した。
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by azatsu0422 | 2006-06-16 11:41 | スポーツ
2006年 05月 15日

代表メンバーが誰であってもジーコ監督を支持。

そもそも何が順当なのか私は良く解りませんが、コメンテーターが順当と言うような選考結果であれば、「サプライズが欲しかった。」「過去の実績よりも現時点の調子と期待度で選ぶべきだ。」「面白味がなく期待感が薄い。」「(自分が贔屓にしている)○○選手が選ばれたら良かったのに」

逆に、誰かにとって想定外のサプライズがあって、その人にとっての当確漏れでも起きようものなら、「そのメンバーでは勝てない。」「ジーコは言って来た事とやる事が違う。」「(漏れた選手の)今までの実績は何だったのか?」「○○組を贔屓した。」「期待感で選んで結果が出なかったら、どうするんだ?」

結局、「ジーコよりもサッカー経験があり、サッカーを良く解っていて、選手をジーコより詳しく知っていて、内外の誰もが納得するだけの説明責任を果たしつつ、今からでもジーコよりもオレが指揮する方がワールドカップで結果を出せる。」と断言できる人、その責任(切腹するとかクビになる事よりも、最後までフォローするという意味)を取れる人は、世界中のどこにもいないと思います。どんなメンバーであれ、ジーコが選んだジーコ・ジャパンが今の日本にとって最善だと思います。


<サッカー>日本代表、W杯前にVならず スコットランド戦 [ 05月13日 21時39分 ]
Excite エキサイト : スポーツニュース

 サッカーの国際親善試合、キリンカップ最終戦が13日、5万8648人の観客を集めて埼玉スタジアムであり、日本代表は0―0でスコットランド代表と引き分けた。日本は1分け1敗(勝ち点1)で2年連続の最下位。優勝は1勝1分けのスコットランド(同4)で、1勝1敗のブルガリア代表(同3)が2位。6月9日に開幕するワールドカップ(W杯)ドイツ大会に向けた強化が仕上げの段階となった日本代表は、国内組のみで臨んだ国内最後の国際Aマッチを勝利で締めくくることができなかった。W杯登録23選手は15日に東京都内で発表される。
 △日本0―0スコットランド△
 互いに無得点のまま引き分けた。5バック気味に引いて守るスコットランドに対して日本が終始攻め続けたが、前半43分、ゴール前での小野のシュートがGK正面を突くなど、決定力を欠いた。後半終了間際にも三都主の2度のFKがいずれもGKに阻まれ、相手を上回る15本のシュートを放ちながら、最後までゴールを割れなかった。
 ▽日本・ジーコ監督 最後まで自分のため、観客のため戦う意思は感じられて満足している。日本で最後の試合というより勝ちたかった。
 ▽スコットランド・スミス監督 守りに照準を合わせた試合だったが、GKと守備陣がうまく守った。無失点の引き分けに持ち込めて良かった。日本は運がよければ得点できたと思う。
 ▽日本サッカー協会・川淵三郎会長 けが人が大したことがなかったのは良かった。何度も同じことだが、決めるところで決めないと。これから23人が一体となってチーム作りに励み、4年間に培ったすべてをW杯で出してほしい。
 ▽日本サッカー協会・田嶋幸三技術委員長 結果には満足していないが、攻守ともすきを見せず、しっかりとボールを回すわれわれの戦い方はできたと思う。スコットランドが規律正しいサッカーをして、非常に良い経験になった。
 ◇日本はW杯までに、緩急をつけた連係を高める必要
 W杯での戦いを想定するには十分な展開であった。まず相手が、がっちり守ってきたこと。リードを奪われた場面で相手が安全第一を選択したことが想定できる。そして、スコットランドの大半の選手が、日本が1次リーグ初戦で対戦するオーストラリアと同様、イングランドでプレーする選手で、身体能力が高かったこと。
 その厚い壁をどう崩すかは、日本にとっては絶好のシミュレーションで課題を残した。
 日本は15本のシュートを放ったものの無得点に終わった。シュート力以上に、攻めに緩急がなかったのが気になる。相手に奪われないように中盤で丁寧にパスを回して、サイドに展開、ゴール前のパスと組み立てはできた。ジーコ監督は「これだけチャンスを作った。ゴールが決まらないのは精神的な部分が多い」と指摘する。
 しかし、同じテンポでは相手が間合いを詰めやすく、日本がシュート態勢に入ると、相手は鬼気迫る勢いで迫った。この状況では、シュートを冷静に放つのはなかなか難しく、多くがブロックされた。
 ただ、ヒントになるプレーもあった。前半43分、左サイドから三都主が直線的に早いパスを入れて、小野がGKと正対する決定的場面を作った。ゆっくりと攻めてきた三都主が一瞬でギアを上げたことで、相手の対応を遅らせることができたのである。すると、余裕を持ってシュートの態勢に入ることができる。
 日本はW杯までに、緩急をつけた連係を高める必要がある。ジーコ監督は「W杯への準備は、23人の選手リストを提出してから本格的に始まる」と話したことがある。中心となる中田英、中村が合流して、どう攻撃を熟成させるか。本大会での成績は、本当に最後の調整期間にすべてがかかることになった。【小坂大】
 ◇W杯1次リーグ突破、道のりは険しい…?
 W杯へ向けた国内での代表戦がすべて終わった。ジーコ監督はW杯登録23選手の選考はこれまでの実績を重視すると公言しているが、選手たちがこの2試合を国内組に与えられた最後のチャンスと思うのは当然だ。それだけに選手たちの表情に明るさはなかった。
 交代出場した佐藤寿は前線で好機を作ったもののシュートを打てずに終わった。「点を取ってこいと送り出されたので満足できない。代表から外れたからといってモチベーションが下がるわけではない」と覚悟を決めた発言。フル出場した玉田の表情もさえない。「(ジーコ監督の)期待は感じます。自分のよさを見せられたとは思うけど、すべては見せてない。おれはまだまだできる」と自らに言い聞かせるよう。
 4バックでの攻撃的MFとしては代表初先発だった遠藤。表情にいつもの明るさはない。「この2試合がすべてではない。今までの3年半の中で、しっかりアピールできた。どきどきはしていない」と強気に話した。チーム最多の5本のシュートを放つ一方、不用意なミスでボールを失う場面もあった小笠原は無言のまま立ち去った。
 ジーコ監督は試合後会見で「4年間数多くの選手と一緒にできた。欧州組も含めてこれまでの貢献度、生産性を公平な形で考えて決めたい」と改めて語った。すでに胸の内にリストは完成しているのだろう。ロッカールームでは「漏れてもモチベーションを落とさずに」と選手たちに声をかけたという。【辻中祐子】

 ○…GK川口が終始安定したプレーで勝ち点1に貢献した。スコットランドのクロスボールをタイミングの良い飛び出しでキャッチ。後半30分過ぎ、ゴール前で相手と交錯しピッチにうずくまったが、プレーを続ける闘志を見せた。けがは右腕の打撲程度で問題はないという。攻撃陣の決定力不足については「何かのきっかけで変わるはず。本大会に取っておきますよ」と最後は笑顔だった。
 得点力不足が常に指摘されている日本代表。野性味あふれるエースの本格的な復活が期待されている。
 ○…日本ベンチが肝を冷やしたのは、後半開始直後。相手選手と交錯した中沢が頭を強打し、そのままこん倒した。担架でピッチ外に運び出された後、立ち上がったものの、まだ足元がおぼつかない。結局、頭をタオルで押さえたまま退いた。9日のブルガリア戦では村井が左ひざのじん帯を断裂する重傷を負って離脱したばかり。相次ぐ選手の負傷に、ジーコ監督も心配そうだった。
 ○…左サイドバックに入った三都主は「得点できなかったのが残念。3点は取れないまでも1対0で勝ちたかった」と悔しさをのぞかせた。前半43分、強烈な左クロスをゴール前に入れ、小野の決定的なシュートにつなげたが、全体に守りを意識したプレーが目立ち消化不良気味だった。W杯に向けては「自信はあるが改善点もある。ちょっとの差が勝負の分かれ目になる」と表情を引き締めた。
 ○…ブルガリア戦で1ゴールを挙げた巻だったが、この日は不発。後半17分に久保に代わってピッチに立ったものの、残り28分間で1本のシュートも打てなかった。「ゴールを一番の目標でやっていたが、引いて守られてなかなか崩せなかった。でも、やれることはやった」。最後にアピールできなかった悔しさを押し殺し、15日のW杯代表発表に望みをつないでいた。
 ★中沢は軽傷 サッカー日本代表のDF中沢佑二(28)=横浜マ=は、13日のスコットランド戦の後半開始直後に相手選手との接触で右まぶたを切り、出血してそのまま退場した。1針縫ったが、脳しんとうなどの症状はないという。


日本、スコットランドとドロー…W杯前国内“集大成”は消化不良 [ 05月14日 08時05分 ] サンケイスポーツ
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 キリンカップサッカー2006(13日、日本0-0スコットランド、埼玉スタジアム)ジーコ任せた! サッカー日本代表がドイツW杯前の国内最終戦、キリン杯第2戦でスコットランドと0-0で引き分けた。ジーコ監督(53)は手応えを示したが、最下位フィニッシュで消化不良のファンも多かったはず。ただ、昨年のキリン杯も最下位で不安が渦巻く中、直後のW杯アジア最終予選に連勝してドイツ切符をつかんだ。そう、ここまできたら信じるしかない。ジーコ頼んだ!!
 霧雨の中、真っ青に染まったスタンドに渦巻いたのはタメ息ばかり。ドイツW杯前最後の国内試合は0-0ドロー。しかし、率いるジーコ監督は力強く口にした。
 「今まで自分がやってきたことに確信をもたらすいい内容だった。うちの強い意志と技術があいまった試合だった」
 W杯出場8度の古豪スコットランドとの対戦。2点差以内の負けで優勝が決まる相手は、5バックに近い超守備的布陣を敷き、日本は何度もゴールへ襲いかかった。前半24分、DF加地の左足ミドルは右ポスト直撃。同43分にはMF小野がゴール目前からシュートもGKに阻まれる。結局は相変わらずの決定力不足を露呈したが、ジーコ監督は相手8本の倍近い15本のシュートを評価した。
 「技術」でゴールへと進んだ。9日のブルガリア戦の20本と合わせ計35本のシュートを乱打。得点はブルガリア戦で決めたFW巻だけで「便秘のよう。出たいけど出ない…」ともどかしさを明かす一方で「うちの球回しでシュートには至った。欧州の強豪を相手に常にこれほどのチャンスを作れる代表は世界的に見ても少ない」と自信を明かした。
 そして選手たちは「強い意志」でゴールへ向かった。「あれだけ相手に引かれると厳しいがよく我慢した」とうなずく。日本の先発11人の平均体重73キロ。これを8キロも上回る同81キロのスコットランドに何度も行く手を阻まれたが必死に進んだ。4バックの守備陣も零封。W杯1次リーグで当たる豪州やクロアチアの強い肉体にも立ち向かえる感触を得た。
 もちろん、スタンドのタメ息は相当な消化不良を表す。キリン杯は1分け1敗で最下位…。W杯前の国内最終戦を飾れずドイツへの不安を感じた人もいたはずだ。だが昨年もこの大会で2連敗で最下位となり、その屈辱を糧に直後のW杯アジア最終予選突破へとつなげた。
 W杯メンバー23人発表前の最後の一戦で、W杯後に退任するジーコ監督にとっては日本国内での最終戦。「公平に選びたい」という苦悩に満ちた決断は15日に出る。試合後は選手を集め「選ばれる人も選ばれない人も4年間ありがとう。みんなに感謝している」と言葉を送った。
 いよいよ最終ステージへ。慢性的な決定力不足を「便秘」と表現した言葉には実は続きがある。
 「一瞬の何かによってバーッと出ることもある。それを期待したい」
 日本列島に向けたメッセージ。ここまできたら神様を信じよう。ジーコ監督の瞳には、霧の向こうにドイツでの栄光が見えている。


<サッカーW杯>ジーコ監督一問一答 久保が外れた理由は? [ 05月15日 15時27分 ]

 15日にサッカーW杯日本代表の登録23選手を発表したジーコ監督の一問一答は以下の通り。【デジタルメディア局】
 ――一番悩んだところは。
 すべてのポジションで悩んだ。欧州でプレーしている選手と国内組との融合が難しく、練習量も少なかった。そんな中で国内組が技術、精神面で非常にレベルアップし、最終的には1つのポジションで2人以上が同じくらいのレベルに達した。その中から23名を選ばなければならなかったが、それは自分のプロとしての決断。メンバーから漏れてしまった選手も、サッカーを選んだ者の宿命と思い、強い気持ちで次につなげてほしい。
 ――FW5人の理由は。
 後ろの選手にするか前線の選手にするか悩む中、玉田が良さを発揮した。得点が必要な場面で3トップにした場合は、スピードを生かして2列目から飛び出す彼の特徴が生きる。松井もすばらしい選手だが、中盤に同じような能力を持った選手が多かった。
 ――久保が外れた理由は。
 久保はすばらしい選手で、彼のプレーは個人的にも大好きだった。しかし、いまはコンディションが悪く、能力を発揮できていなかった。最後まで考え抜いた結果、こうなった。それでは(骨折でリハビリ中の)柳沢はなぜ選んだかということになるが、周りの選手や自分の経験からもわかるが、骨折はしっかりとしたリハビリをすれば、復帰後すぐにいい動きができる。リハビリを見る限り動きがよく、本大会でも期待できると判断した。逆に中途半端なコンディションで臨むと、チームの足を引っ張るおそれがある。とくにフィジカル面はだましきれない。自分も選手時代に苦い経験をしたので、このチームでは起こってほしくないと思った。
 ――予備の選手は考えていないか。
 名をあげて準備してもらおうとは考えてない。もちろん、けがなどがあったら考える。前回大会で、ブラジル代表の中核だったエメルソンがけがをし、リカルジーニョが抜擢された例もある。
 ――監督として臨むのは、選手のときとどう違うか。
 3回出場した選手時代は、自分のコンディションだけを考えればよかった。(98年W杯の)テクニカルコーディネーターのときは、すべてのバランスを考え、代表が円滑に進む雰囲気作りを重視したが、これは監督をする上で非常に役立った。自分は4年前の就任当初から自由を掲げてきた。ときには理解を得られず、厳しい意見もあったが、物事を強いても日本サッカーはこれ以上伸びない。自分で考えない限り、選手の進歩はない。自分と同じ時期に他国で就任した監督の何人かは、結果出ずに辞任を余儀なくされた。だから、いまこの場で(W杯に臨む)23選手を発表できたことは幸せ。そして、多くの方に生中継でこの発表会見を見てもらえるほどの関心事にまでなった日本サッカーの発展がうれしい。


サッカー=日本代表23選手が決定 [ 05月15日 15時48分 ]

c0019485_1725555.jpg 5月15日、サッカーの日本代表ジーコ監督はW杯ドイツ大会に出場する代表23選手を発表(2006年 ロイター/Kimimasa Mayama)

 [東京 15日 ロイター] サッカーの日本代表ジーコ監督が15日、都内のホテルで6月9日に開幕するワールドカップ(W杯)ドイツ大会に出場する代表23選手を発表した。
 欧州組の中田英寿(ボルトン)や中村俊輔(セルティック)、高原直泰(ハンブルガーSV)らが順当に選ばれたほか、FW巻誠一郎(ジェフ千葉)が代表入りするサプライズもあった。
 日本は3大会連続でW杯に出場する。

日本代表登録メンバー23選手は以下の通り

GK
川口能活(ジュビロ磐田)
楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
土肥洋一(FC東京)
DF
宮本恒靖(ガンバ大阪)
加地亮(ガンバ大阪)
三都主アレサンドロ(浦和レッズ)
中澤佑二(横浜F・マリノス)
田中誠(ジュビロ磐田)
坪井慶介(浦和レッズ)
駒野友一(サンフレッチェ広島)
中田浩二(FCバーゼル)
MF
中田英寿(ボルトン)
中村俊輔(セルティック)
稲本潤一(ウェスト・ブロムウィッチ)
小野伸二(浦和レッズ)
遠藤保仁(ガンバ大阪)
福西崇史(ジュビロ磐田)
小笠原満男(鹿島アントラーズ)
FW
高原直泰(ハンブルガーSV)
柳沢敦(鹿島アントラーズ)
玉田圭司(名古屋グランパスエイト)
大黒将志(グルノーブル)
巻誠一郎(ジェフ千葉)


久保落選!巻代表入り…ドイツW杯23戦士決定 [ 05月15日 17時05分 ] 夕刊フジ

 ビッグ・サプライズはドイツで!! 日本サッカー協会が15日午後2時、ドイツW杯の登録メンバー23人を発表した。「私の信念を持って選んだ」というジーコ監督から読み上げられたメンバーは、大半はジーコチルドレンを抜擢。唯一のサプライズは当確とみられていたFW久保竜彦(横浜M)が落選し、巻誠一郎(千葉)が加わったことだった。登録メンバーは、17日から福島・Jヴィレッジで国内最終合宿を行う。日本代表にとって3度目のW杯はジーコ監督と中田英寿がカギを握る存在になった。
 詰めかけた報道陣は300人。会場となった東京・渋谷区内のホテル周辺は、テレビ全局の中継車が行列をつくり、交通渋滞を起こすほどだ。今やメンバー発表は、4年に1度の国民的な関心事。
 「サプライズはない」と再三、公言していたジーコ監督の言葉通りにメンバーは、久保が落選して、当落線上にいた巻が加わったことを除けば、ほぼ順当。
 ジーコ監督は巻の選出について、「去年の終わり頃から彼は必死に日本代表のためにプレーした。ドイツでは、日本のためにきっと素晴らしいプレーをしてくれると思う」と、その理由を語った。一方、久保の落選については、「足、ヒジ、腰に故障を抱えており、満足なプレーができない。わたしは彼のプレーが大好きだけど、ケガを治すことが先決だと思う」とサプライズの理由を明かした。
 02年7月22日に「日本代表監督の契約」を行った同じホテルでの会見は、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンが同席した。
 「私もメンバーは知らない。ジーコ監督の口から今、発表してもらいます」と川淵キャプテンが口を開いた後、淡々とジーコ監督の口からメンバーの名前が読みあげられる。
 日本にとって3度目となるW杯のメンバー発表は、初めて代表監督の口から告げられた。協会会長の同席も史上初というセレモニーとなった。契約会見と同じホテルを使うことにしたのも、ジーコ監督のゲン担ぎだという。
 初出場となった98年フランス大会では、岡田武史監督の口からカズや北沢など、落選者だけが告げられただけ。02年日韓大会では、トルシエ監督が、中村俊輔を落選にしたことのファンの過剰反応を恐れ、直前になって「自分は同席しない」と急遽(きゆうきよ)、協会幹部の口から発表されている。
 さて、今回のドイツW杯。ジーコ監督と中田英寿の2人が紛れもないキーマンとなった。実は中田英は、02年W杯終了後、トルシエ監督との確執が引き金となり「日本代表の引退」を決意。同年10月のジーコジャパン初招集の際も「辞退」するつもりでいた。
 しかし、代表スタッフの説得もあり中田英が帰国して、ジーコ監督と会談。このとき、2人の間に生まれた「信頼」で、この4年間は日本代表は編成され続けた。
 最近のチームの状態はいまひとつだが、チーム浮沈のポイントも『一致』している。それが、ドイツでの直前合宿にあるという。ジーコジャパンは17日から福島・Jヴィレッジで合宿を行う。ただし、これは陸上部と思わせるようなランニング中心の練習メニューが決まっている。
 注目の中田英を含む「海外組」は17日からではなく、20日以降の合流を予定。その後、ジーコジャパンはドイツへ向け26日に出発する。そこから「勝負だ」とジーコ監督も中田英も話しているという。
 メンバー発表の直前に行われたキリン杯では、不完全燃焼の2試合が続いていた。が、川淵キャプテンは「本大会では大丈夫」と太鼓判を押す。その自信の裏には、「これまでのチームとは違う。ドイツ大会はジーコがカリスマを発揮して、ヒデが軸になる。試合に出ていなくても、彼なら心配はない」と全幅の信頼をおいている。
 ジーコ監督は、「ドイツで世界を驚かせたい」ということが就任した時の公約だった。きょうのメンバー発表では、いつ爆発するかわからない腰痛が持病の久保が落選。今が伸び盛りで今年に入ってアピールを続けていた巻を選んだが、日本中が歓喜するようなビッグ・サプライズは、本番で、ぜひ-。
■巻誠一郎 ジェフ千葉。熊本県出身。05年7月東アジア選手権対北朝鮮戦で代表デビュー。国際Aマッチ9試合に出場3得点。「利き足は頭」が口ぐせ。長身を生かしたポストプレーと、前線での泥臭い仕事を厭わず、守備でも貢献する。代役で初招集されてチャンスをつかみ、今月のキリン杯ブルガリア戦では交代直前にゴールを決めて、代表入りをアピールした。高校までサッカーとアイスホッケーを両立していた変わり種。

<サッカーW杯>落選の久保「仕方ない」 主な選手談話 [ 05月15日 17時42分 ]

 日本代表に選出された巻誠一郎ら主な選手と、落選した久保竜彦のコメントは以下の通り。【デジタルメディア局】

久保竜彦(横浜マ)=落選
 今まで練習も試合もしてきた仲間なので、(代表に選ばれた選手には)頑張ってほしい。いいチャンスだったけれど、仕方ない。(所属する)マリノスの試合があるのでそこで頑張りたい。
巻誠一郎(千葉)
 会見は、期待せず客観的に見ていた。まさか選ばれると思っていなかった。かなりビックリしたが、落選した人、応援してくれた人のために僕らしく、日本のために戦いたい。
玉田圭司(名古屋)
 すごいドキドキしていたので、素直にうれしい。メンバーが発表されるまでずっとFW争いと言われていたが、自分に自信は持っていた。ドイツで頑張りたい。
大黒将志(グルノーブル)
 名前が呼ばれた瞬間うれしかったが、これで終わりじゃない。試合に出られたら点を入れられるようベストを尽くしたい。
高原直泰(フランクフルト)
 まずはメンバーに選ばれて良かったと思います。ようやくワールドカップへのスタートラインに立てました。できるだけ遠くのゴールまでたどり着ける様に、いい準備をして今自分にできる最大限のプレーをだせる状態まで持っていけるようにやっていければ良いと思います。良い結果を得られるようにがんばりますので、皆さん応援を宜しくお願いします。(高原公式HPから原文のまま)
川口能活(磐田)
 今までやってきたことをしっかり出し、ドイツのピッチで日本の勝利に貢献したい。出るからには優勝を目指して頑張りたい。
小野伸二(浦和)
 チームを明るくする役割を求められていると思う。ピッチではリーダーシップを取り、自分に負けないように頑張りたい。
三都主アレサンドロ(浦和)
 日本の強さを見せて行きたい。自分の良いプレーをドイツで見せたい。
中村俊輔(セルティック)
 4年前、ああいう結果だっただけに素直にうれしい。選ばれなかった選手のためにも一瞬たりとも気の抜いたプレーできない。精一杯頑張りたい。
中沢佑二(横浜)
 前回は選ばれなくて、くやしくて会見も開けなかったが、今回はこの場(会見の場)を迎えられてうれしい。
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by azatsu0422 | 2006-05-15 13:59 | スポーツ
2006年 03月 15日

シナリオ通りに勝てて良かった!

さすがのイチロー御用達の焼肉屋さんでも、わざわざ日本の牛肉を調達しているとは思えず、おそらくチームの皆さんが食べた焼肉はBSE本場の米国産だと思います。日本国内で米国牛を怖がって毛嫌いしている人達の代わりに、皆さんのご無事をお祈り申し上げます。ちなみに私は全然、気にしてない立場で、「よしブタ」でなく「よしギュー」と呼べる日を待っています。


連勝しかない!イチローが決起集会 [ 03月15日 06時12分 ]
Excite エキサイト : スポーツニュース

 勝つしかない。初の国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」に出場している日本代表は14日(日本時間15日午前9時)、エンゼルスタジアムでメキシコ代表と対戦する。13日に同組の韓国代表が米国代表を破ったことで、王ジャパンはメキシコに敗れると準決勝進出への道が断たれる。この日、アナハイム近郊の大学施設で練習。夜にはイチロー外野手(32=マリナーズ)が決起集会を呼びかけ、チームの結束を固めた。
 このまま終わるわけにはいかない。米国戦の敗戦から約25時間。イチローはナインと、自ら予約したロサンゼルス市内の焼き肉店にいた。メジャーでのシーズン中に、何度も足を運ぶ同店で開かれた野手会。それは準決勝進出へ向けての“決起集会”でもあった。
 「言葉で何かを伝えるよりも行動が大事だと気がついた。(日本は)いいチームになってきたよね。アメリカ戦で自信を得たこともあったし、チームとして1つ上のステップを踏む大きなきっかけになったと思う」
 判定が覆るという歴史的な“誤審”で敗れた運命の米国戦。前日の試合後に「消化するのが難しい。あす(13日)試合がなくてよかった」と話していたが、悔しさは勝って晴らすしかないことをナインの誰もが感じ取っていた。その「チームの意志」を確認するための集い。焼き肉に舌鼓を打ちながら、思いは確実に1つになっていた。
 もちろん、野手だけではない。午前10時から行われた練習。真っ先にグラウンドに飛び出したイチローは練習中、米国戦に先発した上原と右翼付近で30分近く話し合った。5回1失点の力投が報われなかった先発投手へのフォロー。練習を終えた上原は「惜しかったなあ、きのうの金星」と笑っていた。
 ちばあきお氏の人気野球漫画「キャプテン」を何十回と繰り返し読んでいるイチロー。好きな登場人物は厳しい主将の「イガラシ」だという。野球発祥の地で、日の丸を背負って、まさに主将の働きを見せている。その姿に感化され、左足を負傷した松中が欠場した場合は、代役の4番を打つ可能性がある多村も「みんなの気持ちが1つになって、また大きな力が出せると思う」と言った。
 決起集会を終え、宿舎に戻ったナインが見たのは韓国の歴史的な米国戦の勝利。これで2次リーグ突破には残り2戦全勝するしかない。王監督は「1つ負けているからね。もう勝つしかないんだ」と言った。その第一関門、メキシコの先発はロアイザ(アスレチックス)。イチローは過去の対戦で19打数7安打とカモにしている。「(前日のことを)みんなは消化して、晴れやかだと感じた」。負けられない。すべてを背負って、イチローが王ジャパンを導く。
 ≪先発松坂ピリピリ≫松坂の引き締まった表情が14日のメキシコ戦の重要性を物語る。負ければ2次リーグ敗退。「試合前日は話しません」。キャッチボールを中心とした軽めの調整を行った後は報道陣を寄せ付けなかった。前日にはエンゼルスタジアムのマウンドをチェック。米国戦に先発した上原から乾燥した空気やマウンドの感覚などの情報も得た。「硬いマウンドは自分に合っている。2次リーグで終わるわけにはいかない」
 9日のレンジャーズ戦は4回を2安打1失点、最速150キロを記録した。王監督も「走者を出してもゼロに抑えるのが彼の持ち味。本番でも良いものを出してくれると思っている」と期待した。
 松坂はシドニー五輪で4位に終わり泣いた。アテネ五輪では銅メダル。もう悔しい思いのまま日本に帰るわけにはいかない。
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by azatsu0422 | 2006-03-15 12:58 | スポーツ