ボロは着れども心は錦。

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2007年 12月 18日

全てにつながる重大で深刻なニュース。

最近、たまたま下記の「NHKスペシャル」を観ており、食料自給の必要性を痛感する一方、その実現性が極めて困難である状況に暗澹たる気分になっていました。

NHKスペシャル「ライスショック あなたの主食は誰が作る 第1回 世界がコシヒカリを作り始めた
(2007年10月14日放送)

NHKスペシャル「ライスショック あなたの主食は誰が作る 第2回 危機に立つコメ産地
(2007年10月15日放送)

NHKスペシャル「ファンドマネーが食を操る ~穀物高騰の裏で~
(2007年11月19日放送)

番組の中で、確か東大の先生だったが、日本は経済合理性が無い農業などやめて、国の経営資源を国際競争力の強い産業分野に集中させて外貨を稼ぎ、輸入米など農産物は完全自由化して海外から買えば良い、という割り切った話を強く主張をしていました。

目先の経済合理性で言えばそうでしょうし、どのみち日本は今の食糧事情を自給するなんて不可能だし、中途半端なことをするから産業の国際競争力が退化するのだ…という発想なのだろうと受け止めました。

石油や鉱物資源だって、ほぼ全てを輸入で賄って来たからこそ、ここまで経済成長して今の豊かな生活を享受しているんでしょ?石油と同じだと割り切れば、田畑や森林の土地を使って、何か国際競争力のある稼げる産業を育成する方がいいでしょ?という事なのかも知れません。

でも、私には、そこまで割り切る気持ちにはなれません。

記事の趣旨を下記に箇条書きにしましたが、今後、地球温暖化やエネルギー危機、途上国の人口爆発を踏まえて、「食料の取り合い」が世界的に起きるはずです。気候や天変地異の影響を受けて供給が読み切れない分、石油よりも深刻かも知れません。金持ちは食べるに困らない場所へ移住すれば良いかも知れませんが、国全体の需要を賄うためにはカネで済ませるにも限界があります。

「戦争が無い、世界の平和」を本気で願うなら、国内で完結できるような自給自足のモデルを考えないといけないのではないかと思いました。それは、「自給」もさることながら、「自足」のために、食料の量と選択肢が収縮する皆の覚悟が本質だろうと考えます。


【食料環境の予想】
世界の食料需給は、途上国の人口増やバイオ燃料の増産などで逼迫の傾向が強まるとみられている。

【シナリオ1】
日本の経済力が人口減などで低下した場合は、経済力に勝る国との食料奪い合いに敗れて輸入が激減する。

【シナリオ2】
経済力を維持できた場合も、食料輸出国が自国への供給を優先し輸出規制をすれば、日本への輸入が減る。

【シナリオ3】
経済力に頼って日本が大量の輸入を続けると、貧困国への食料供給減少につながる。


<食料戦略会議>どう転んでも食料不足 悲観の3シナリオ [ 12月17日 23時39分 ]

 農林水産省は17日開いた「食料の未来を描く戦略会議」(座長、生源寺真一・東大農学部長)で、世界の食料需給の逼迫(ひっぱく)が日本に与える影響について、このままでは食料不足で食生活が一変したり貧困国の飢餓拡大を招くとした、いずれも悲観的な三つのシナリオを明らかにした。
 世界の食料需給は、途上国の人口増やバイオ燃料の増産などで逼迫の傾向が強まるとみられている。同省はまず、日本の経済力が人口減などで低下した場合は、経済力に勝る国との食料奪い合いに敗れて輸入が激減する(シナリオ(1))と予測。
 経済力を維持できた場合も、食料輸出国が自国への供給を優先し輸出規制をすれば、日本への輸入が減る(シナリオ(2))。経済力に頼って日本が大量の輸入を続けると、貧困国への食料供給減少につながる(シナリオ(3))とした。
 委員からは「大きな危機に直面している」といった意見や、自給率向上の重要性を指摘する意見が出た。同会議は農相の主催で7月に設置され、消費者、経済界など各界の代表が食料の安定供給について議論している。【位川一郎】
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by azatsu0422 | 2007-12-18 13:36 | 経済
2007年 12月 11日

「怖い」と思うことが安全確保の第一歩。

社会が物やサービスを提供する側に「絶対安全」を保証させて、提供する側が最善を尽くすのは当然ですが、その前に「絶対安全」という言葉が蜃気楼のような存在である、というのが世の前提と考えています。

私は「自己責任・絶対論者」ではありませんが、サービスを提供される側、あるいは物を扱うユーザー側としての「目利き」は必要だと思うのです。

そのために必要なことは、「怖さを知る」ということに尽きると思います。人は、恐れを抱くから自分事として注意を払うはずです。そして、怖さを知るためには、若干の失敗を経験する「試行錯誤」と「勇気」、それから「一を知って十を知る」だけの「想像力」と「知性」が必要だと思います。

それから、「怖さ」とは与えられる知識や情報だけでは不十分で、自ら最悪のケースを考えて情報を集め、知識を深めて判断する「感性」だと思います。今や基礎教育の意義を、そのような感性を研ぎ澄ませることに求めても良いのではないかと思うほどです。

ところが、今は絶対安全の名の下に、失敗を許さない雰囲気があります。一度もコケずにスキーやスノーボードが上達した人がいるでしょうか?一度も失敗や敗退を経験しないで達人になれと願う方がおかしいと思うのです。

それから、世の中には不安や恐怖に対する過剰反応が却って混乱を招くという考えがありますし、あるいは商売の妨げになるという考えもあります。身の周りの人間関係では、明るく振る舞う空騒ぎ好きな楽観論者から「杞憂」を「ネクラな心配性」とバカにされ、イジられてしまう社会生活の現実もあります。悲観論・楽観論の両極端にイジって喜ぶ人の存在は、今も昔も変わらないでしょうが、ネット社会になって速く広く大きく伝わるようになりました。

イジる人の存在は決してなくならないので非難しても現実は変わりませんが、自分自身が右往左往しないようにするだけの、独自の視点と主体性が今後ますます重要になるだろうと思います。


それにしても、「日本人は水と安全がタダと思っている。」と揶揄されて久しくなりましたが、近年は水も安全もタダでなくなりました。

治安や交通、医療をはじめ、食品、住宅、IT、玩具…と、今は世のなか何でも「安心・安全」がキーワード。多くの人がカネを払って水を飲み(水に付加価値をつけたお茶やドリンク並みの価格)、高いカネを払って防犯サービスを受け、高い無農薬の食材を買うのが普通になりました。
売る側も付加価値をつけて高く売る方が商売になるので、不安を煽っては安全性の高いモノやサービスを高く売っています。

世の中が便利になるほど、豊かになるほど、安全に払うカネが膨らんで、豊かな気持ちよりも不安感がつのり、誰もがお互い疑心暗鬼になっているようで、何とも皮肉な結果です。

どれもこれも、戦後から昭和40年代までの方が、今よりずーっとレベルが低くて危なかったのに、どうして「あの頃」はのんびりしてたのでしょうか。今はこんなに技術が向上してるのに、どうしてこんなに不安感を煽られるのでしょうか。

「無い」→「有る」の期待感は「ボロは着れども心は錦」かも知れませんが、
「有る」→「無い」という不安感や恐怖感に幸福感は生じないでしょう。

「無い」のに希望に満ちた幸福感を持つ人と、「有る」のに不安や恐怖の感情に苛まれて醜く争う不幸な人。「幸せって何だろう?」と考えさせられます。きっと、「有る」ことを「当たり前」と思わずに、「有難い」と感謝できるだけで、幸せな気持ちになれるのでしょうね。でも、それが出来ないのが平和ボケした私のごとき凡人の悲しさです。

「生きてるだけで、丸儲け」という台詞や、生死の境を乗り越えた人が生きてる事の有難味を思い知らされた、という話はありがちですが、極限の状況を経験していない平々凡々に生きて来た人には興味が湧かないでしょうし、たとえ頭で解っても実感が沸かないのが実情かも知れません。少なくとも極限を経験した当事者と同じ実感を持つのは不可能ですし、解ったような言い方をするのは当事者に対して失礼です。

敢えて好んで極限の状況に身を投じる勇気は持てませんが、少なくとも快適でラクな生き方ばかり選んで行くほど、後で大きなツケを払うことになるのだろうと感じる今日この頃です。。。


「ネット怖い」が8割 インターネットコム調べ [ 12月10日 12時54分 ]
J-CASTニュース

インターネットコムとクロス・マーケティングは、「ネットの怖さに関する調査」の結果を2007年12月6日に発表した。それによると、「現在、インターネットは怖いものだと思いますか」という質問について、「とても怖い」とした人は8.0%で、「ある程度怖い」の69.3%と合わせると8割に近い回答者が、インターネットに怖さを感じているとの結果が得られた。このうち、「ウイルスやハッキングなどの攻撃」と「情報流出」を挙げる人がそれぞれ81.0%に上り、「誹謗中傷」51.3%、「中毒性」19.0%と続いた。調査は、20代~50代のインターネットユーザー300人を対象に行った。
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by azatsu0422 | 2007-12-11 11:32 | 社会