2010年 01月 12日
昭和40年代、私の憧れの原体験はクルマでした。 小3になるまで家にクルマは無かったけれど、親戚のクルマに乗せてもらうと御機嫌でした。今にして思えば非効率で不健康の極みですが、車内に漂う生ガスの匂い、排気ガスの匂いが好きでした。 日本GPでポルシェ904と生沢スカイライン2000GT-Bの対決、プリンスのR38シリーズ、TNT対決、トヨタ200GT、ベレG、コスモスポーツ、エスハチ、ヨタハチ・・・。田舎暮らしで実際に見る機会は無かったけれど、本や雑誌、プラモデルで見かけて妄想を膨らませ胸を躍らせていました。それでも、子供のころ遠い親戚の人にヨタハチに乗せてもらった事がありました。タイトでスポーティな運転席、短いシフトレバーが何ともカッコ良く思えました。 小学校の高学年になった頃、週刊少年ジャンプで「サーキットの狼」の連載が始まるのと共に、スーパーカー・ブームに。私はカネとヒマと根性が乏しくてカメラ小僧にはなりませんでしたが、毎週ジャンプでサーキットの狼を読んでは胸を躍らせ、最高出力や最高速のスペックを見ては、スーパーカーのパフォーマンスを妄想しました。 中学・高校と、図書室にあるCGやモーターファンを見ては、外車の洗練された雰囲気と高性能にため息をつき、BMWのアルピナ・チューニング車には、写真と仕様を見ただけで衝撃を受けました。自動車ジャーナリストを率直に羨ましく思いました。そんな中、スカイライン・ジャパンと呼ばれた5代目(C210)から6代目(R30)になり、櫻井眞一郎氏のメディア露出や関連書籍に影響されて、漠然と自動車メーカーで開発に携わりたいと考えるようになりました。 一方では、ベストカーガイド(現・ベストカー)を愛読するようになり、徳大寺有恒氏の「間違いだれけのクルマ選び」に少なからぬ影響を受けました。 高校を卒業した春休みに免許を取り、家のクルマでヨタヨタと運転するようになりました。ATだったのでヒール&トウは出来ませんが、本を通じて妄想を重ねていた色々な運転を試していました。大学4年間で10万キロ走りました。櫻井氏が何か雑誌のインタビューで「10万キロ走れば、ドライバーとして一通りの経験をすると思います。」という趣旨のコメントをしていたのが頭の片隅にあったからでした。大事故や赤キップの御用もなく無事に済んだのは本当に奇跡でした。今にして思えばいつ死んでもおかしくないような、赤面というより青くなってしまう、ゾッとするような酷い運転でした。 大学時代、NAVIが創刊されました。創刊当時の内容が硬派だったこともあり、正直なところ学生の私にとってNAVIは高尚で理屈っぽくて意味不明でした。進路を考え始めた頃、ベストカー誌へ出した手紙に徳大寺氏が誌上で応えるコーナーがあり、どのような書き方をしたのか忘れてしまいましたが投稿が掲載されて、徳大寺氏が私の背中を押してくれるコメントをして下さいました。私の中では、あの出来事で気持ちが固まりました。 その後、夢が叶って私は自動車技術者の端くれになり、ボディ・シャシーの開発育成に携わりました。近年、徳大寺巨匠が回顧録的な書籍で「あの頃、日本車は瞬間最大風速を迎えた」と仰っていた頃、すなわちセルシオ、NSX、ロードスターが登場し、ホンダエンジンのF1が黄金期の頃でした。 私にしてみれば、恩返しを兼ねて徳大寺氏から「いいクルマ創ったね!」と微笑んでいただきたい一心で修行を始めましたが、自動車メーカーで開発の立場になってみると、自動車ジャーナリストやNAVIの毒舌に心が痛み、葛藤して、苦しむようになりました。悔しいと思いながらも、駆け出しの私にはどうにもならない状況でした。毎号「NAVI TALK」を読む度に、先々の課題が次々と積み上がり、足元の実務の困難さとのギャップで暗澹たる気持ちになりました。時にNAVIトークが軟派になり、次々とリリースされるクルマに梯子を外すような論評をする事にも疲れました。蜃気楼を追うような徒労感に絶望して何もかもイヤになる事もありました。 その後、私は紆余曲折を経て自動車業界を去り、ただの素人に戻りました。クルマに対する強い思いも薄れ、今は白物家電のように多種多様なクルマの形も名前も覚えられず、今どきのヒット曲を何を聴いても同じように聴こえてしまうのと同じような状況になりました。 クルマの仕事を辞める前、抱えていた仕事で技術的に気になる事があり、会社を休み自費で渡米してデトロイトと近郊をクルマで走りました。技術的な話はさておき、デトロイトの自動車産業の巨大さ、歴史の重みに圧倒されました。あの頃から傍目に観てビッグ3の技術的な怠慢や慢心を感じてはいましたが、まさか今のように凋落するなど、とても想像できませんでした。 それから、クルマの開発でボディ・シャシーの育成を志望したのは、将来、内燃機関がモーターに変わる可能性を漠然と感じていたからですが、まさか現実的になるとは思いませんでした。 そして、私だけでなく、恐らくバブル絶頂期の日本の自動車開発に多大な影響を与えたNAVI誌が休刊するなんて・・・。 ひとつの時代が終わり、明らかに時代が変わるんだな・・・と思いました。 巨大な組織や社会の空気を、最下層で目前の実務にあくせく追われていた私が一人の力で変える事は出来ませんが、磐石で普遍的存在と思えた組織や強力な影響力を与えたメディアでさえも、環境変化に対応できないと恐竜のように滅んでしまう事実を目の当たりにして、呆然とするばかりです。 それでも、人は、今日も人それぞれ生きています。 NAVIの編集に携わった「社会派」の知的でハイセンスな人達にとって、「現実の生活、現実のビジネス」とは相反していたのでしょうか。NAVIを存続させるために「NAVIらしさ」を曲げて社会の現実に迎合するなら、潔く終えてしまうべきでしょう。NAVIが無くなっても、関係した人達は生きて行けるから、センチメンタルな気持ち以上の切実な現実を考えなくても済むからです。編集者やライターは他のステージでそれぞれ生きて行くのでしょうし、NAVIに関係したフリーライターだって、誰もが高名で実力もあるから食いっぱぐれないと思います。 結果論で言えば、NAVIの論点と現実の自動車ビジネスは、「良い時代」にしか共存が許されないものでした。でも、NAVIに創刊以来の志があったとすれば、両者共存の模索が欲しいものでした。片や自動車業界は内燃機関を捨ててでも生き残ろうとするでしょう。 それにしても、NAVI誌は最後の最期まで私にとって「本当に悔しい存在」でした。 自ら業界を去った立場とはいえ、言いたい放題言った相手に一矢報いる機会さえ、これで永遠に失ったのですから。 自動車雑誌「NAVI」、4月号で休刊へ 2010年1月6日 16時57分 ( 2010年1月6日 16時57分更新 ) 月間の自動車雑誌「NAVI(ナビ)」(二玄社)が2010年2月26日発売の4 月号を最後に休刊することが10年1月6日、明らかになった。同誌は1984年2月創刊。作家の田中康夫さん、テレビプロデューサーのテリー伊藤さんなど多彩な執筆陣で話題を呼んだが、部数・広告ともに低迷が続いていたという。 自動車誌「NAVI」休刊 月刊自動車誌「NAVI」が2月26日発売の4月号を最後に休刊することが6日分かった。発行元の二玄社は「売り上げと広告収入の減少で発行が立ちゆかなくなった」としている。同誌は1984年2月創刊。発行部数は公表していない。 隔月刊のバイク誌「MOTO NAVI」と自転車誌「BICYCLE NAVI」もそれぞれ2月26日発売号と3月26日発売号で休刊する。(2010/01/06-11:24) 車雑誌「NAVI」休刊へ 2010年1月5日22時6分 車雑誌「NAVI(ナビ)」を2月26日発売の4月号で休刊すると、発行元の二玄社が5日発表した。同誌は1984年2月創刊。作家田中康夫さん、矢作俊彦さんの連載など車雑誌の枠を超えた多彩な企画・執筆陣で人気を呼んだが、最近は部数、広告ともに低迷、採算が合わなくなったため休刊を決めたという。発行部数は公表していない。 その広告宣伝費が「仕分け」されないために 「調達担当役員」の管轄下で広告が戦っていくために必要なこと 須田 伸 新年早々、老舗クルマ雑誌『NAVI』の休刊が発表されるなど、2010年もメディア、広告業界は厳しい状況が続いています。アメリカ最大の広告業界誌Advertising Ageは、広告業界を取り巻く変化のひとつとして、クライアントサイドの広告キャンペーンに関する意思決定のキーマンが、従来のCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー=マーケティング担当役員)から、調達担当役員(Procurement Officer)になりつつあり、この傾向は2010年も続くであろうとレポートしています。 広告も、文房具の調達と同列? 広告予算に関しても企業の他の支出と同様にROI(Return on Investment=投資回収率)が厳しく精査される中で、より効率的なマーケテイングプランを判断する際に、調達担当役員の采配がマーケテイング担当役員のそれよりも重視される流れは、たしかに理にかなっている、と見ることもできるでしょう。しかし一方で、ブランドと消費者を結ぶコミュニケーション回路をつくりだす作業が、オフィスで使う文房具の調達と同列に、効率性だけで判断されていいものか、といった疑問の声も上がっています。 広告代理店へのオリエンテーションの際の文書が、製造原料のメーカーに使われるのと同じフォーマットで作成する広告主が2009年は増えた、という話が、アメリカ広告業協会のレポートに「不快なトレンド」として紹介されていたそうです。 広告プランの価値は、他の調達物資とは異なり、単なる数字だけでは測りきれないものなのに、といった広告代理店側の不満が溜まっているのは容易に想像できます。 しかし、広告主にとっての本当の利益に果たしてなるのか否かは別として、目に見える数字で効果を示していかないとマーケティング予算の継続的な獲得は厳しくなっています。 アメリカ同様に景気後退に苦しむ日本でも、同じ流れを見ることが増えています。昨年末に実施され、話題となった行政刷新会議の「事業仕分け」。この中での、仕分け人と役人のやりとりを見ていて、アメリカの広告業界のさらされている「ルールの変更」と同じだなと感じました。 「具体的な数字の根拠を示してください」 「大勢の人から感謝の声が寄せられる非常に意義深い事業です」 「ですから、具体的に、どういう指標で、どのような効果があったのか、数値で示してください。意義深いといった言葉ではなく。この事業の理念はよくわかっています」 こうしたチグハグな議論の末に「事業廃止」「予算の大幅な縮小」などとズバズバ斬られていきました。これは、広告宣伝費の明日の姿、という気がしてなりません。 「事実やデータに基づく選挙戦をやりたい」と言ったオバマ 昨年12月にアメリカ、シカゴで開催されたSearch Engine Strategies(SES)に参加してきたサイバーエージェント社員から、興味深い話を教えてもらいました。 それは、オバマ大統領の選挙戦における、広告キャンペーンのマネージメントについてです。 オバマ大統領は、本格的な選挙戦に突入する前に、カリフォルニアのグーグル本社で講演して、その際に「私は、感覚に頼る大統領選挙をやりたくない。事実やデータに基づく選挙戦をやりたい。だから、エンジニアの皆さんの助けが必要だ」と呼びかけたのだそうです。そして、それに応じてオバマ候補の選挙チームに参加したのが、ダン・シロカー氏であり、彼はグーグルではブラウザのクロームのプロダクトマネージャーをしていた人物です。彼が、シカゴでの SESカンファレンスでキーノートスピーチを行い、その中で、オバマの選挙戦におけるデータ解析の役割について細かく話したのです。 「感覚に頼るのではなく、事実やデータに基づいてやりたい」というのは、まさに、現在、多くの広告主が感じていることであり、それが、AdAge誌の伝えている調達担当役員がCMOに変わってキーパーソンになっている背景にあることはご理解いただけると思います。 では、具体的にどのようにして、感覚に頼るのではなく、事実やデータに基づいた選挙キャンペーンを実施したのでしょうか。そこには、現在の広告会社や広告主にとってのヒントが隠されているはずです。 計測可能な成功を定義し、常にテストを行い、セグメントごとに評価する 大統領選挙の究極のゴール、コンバージョン指標は「選挙に勝利する」ということです。しかし、当たり前ですが、それをモノサシにしたのでは、キャンペーンのチェックになりません。途中のプロセスを計測していくことができず、実施している施策が有効かどうかわからないからです。通常の広告キャンペーンにおいても、「商品が売れたかどうか」という最終コンバージョン以外のモノサシをきちんと設定しておく必要があります。 シロカー氏のチームは、キャンペーンを評価する中間チェックポイントを、「Webサイトへの訪問者を増やす」→「メールマガジンの登録者を増やす」→「寄付金を増やす」といったように、さまざまなフェーズに分けて設定していました。 こうした中間チェックポイントをデイリーで追うことによって、適宜キャンペーン施策を見直していったのです。 また、従来の広告のクリエイティブは、最終的に「このコピーで、このビジュアルで行こう」と決定したら、その1案と心中するような覚悟が求められてきました。しかし、デジタルの世界においては、広告クリエイティブを差し替えていくことが比較的容易です。複数パターンのWebページを用意して、実際のユーザーが使用しての効果を比較する「A/B test」と呼ばれる手法が、広告においても使われています。 オバマキャンペーンにおいて、寄付を募るための文言を、「Please Done(お願いです。寄付してください)」「Why Donate?(あなたが寄付をすべき理由を説明します)」「Donate and get a gift(寄付をしてプレゼントをもらおう)」「Contribute(貢献しよう!)」と4パターン用意し、さらに訪問ユーザーを「メールマガジンの登録をしていない人」「メールマガジンの登録はしているが、寄付はしたことがない人」「過去に寄付をしたことがある人」の3グループに分けて、4つの寄付を訴える文言を「A/B test」の手法で提示しました。 そして、「メールマガジンの登録をしていない人」には「Donate and get a gift(寄付をしてプレゼントをもらおう)」が一番有効であり、「メールマガジンの登録はしているが、寄付はしたことがない人」には「Please Done(お願いです。寄付してください)」という訴えが最も効果があり、「過去に寄付をしたことがある人」には「Contribute(貢献しよう!)」という呼び掛けが効く、という、実に興味深い結果になったのです。そして、この結果に応じて、それぞれの層に最適のコピーを集中的に提示した、というわけです。 後出しジャンケン的に考えれば、既に過去に寄付をしたことのある人に、「寄付をしてプレゼントをもらおう」というコピーはありえないじゃないか、と思ってしまいますが、「感覚に頼るのではなく、事実やデータに基づいてやる」というのは、こういうことなのでしょう。 それは、これまでのクリエイティブ知識がある人の判断というよりは、データ解析チームのリーダーならではの判断、と言えるでしょう。 2010年、広告は説明責任から逃げずにやるしかない 2010年の広告は、調達担当役員や、ITサービスのプロダクトマネージャーといった、従来の宣伝部長とは違った経歴の意思決定者からのチャレンジにさらされていくことになりそうです。 そして、この流れは一過性のものではなく、今後、長く続いていくことになりそうです。そうであるならば「俺の珠玉の一行を、A/B testなんぞで秤にかけられてたまるか!」とかたくなになるよりも、「おもしろそうだ。だったら、これと、これと、これで、テストしてみたらどうだ」と、新しいツールをチャンスととらえて、楽しんでやってみるべきでしょう。 中間チェックポイントにしても、これまでブラックボックスだったことが、いろいろと明らかになることで、新しいクリエイティブをつくっていくことが可能になるはずです。「寄付をしてプレセントをゲットしよう」という言葉を、大統領選挙戦で使うというのは、考えてみればなかなか面白いクリエイティブだと思います。 その結果が、マケイン候補の2億ドルに対して3倍以上の6.5億ドルという寄付金(そのうち5億ドルはオンラインで獲得)を集めて、選挙戦にも勝利したわけですから、「寄付をしてプレセントをゲットしよう」を笑うことはできません。 考えてみれば、宣伝部長さんの「私にはピンとこないな」という曖昧な言葉で涙を飲んできた広告制作者にとっては、案外、「数字で納得させてもらえれば、あとは任せます」という調達担当役員のほうが、理想のクライアントになる…かもしれないのですから。 【新聞ウォッチ】新春スペシャル版…「最悪は脱した」自動車業界だが 2010年1月6日(水) 10時28分 気になるニュース・気になる内幕---朝刊(朝日、読売、毎日、産経、東京、日経の各紙・東京本社発行最終版)から注目の自動車関連記事をピックアップし、その内幕を分析するマスコミパトロール。 ★「EV普及元年」、インド「デフレ車対決」、沈黙のトヨタとホンダ首脳 2010年最初の取引となる4日の東京証券取引所の「大発会」は日経平均株価が昨年来の高値水準を付けて、翌5日も続伸、まずは幸先よい幕開けとなった。自動車業界にとっては事実上の仕事始めとなる5日の自動車工業団体新春賀詞交歓会で日本自動車工業会の青木哲会長も「最悪は脱した」などと抱負を述べたが、残念ながら年末年始の各紙を読む限りではどうも本格回復に向けての力強さは感じられない。 その象徴は元旦の紙面構成。例年、各紙は、別刷りの新年特集を含めてボリュームたっぷりだが、総ページ数で読売,朝日、日経はかろうじて100ページを超えたものの、毎日が76ページ、産経が72ページ、東京が62ページにとどまった。 経費削減からホンダや日産自動車などの大手企業が軒並み広告出稿を自粛したためで、自動車業界では元旦から5日までに全面広告を掲載したのは「こども店長」のトヨタ自動車とCMキャラクターである香取慎吾がモデルの「初売りにエグゼよ」というダイハツ工業の2社だけだった。 “自粛”は広告ばかりでない。編集面でも自動車関連の話題が極端に少なかった。日経が元旦の準トップに「環境車の安全に日本案、国連採用、世界標準に」と掲載。東京は「電気自動車量産本格化へ、『普及元年』になるか」という内容の企画記事を取り上げたが、それ以外は、紙面で自動車メーカーの活字を探してもほとんど見当たらなかった。 さらに、3日以降の紙面でも、読売が4日付朝刊で「EVで暮らし革命」として、慶応大の清水浩教授への取材を中心に日本がエコカー開発で先行していることを紹介。日経は5付朝刊で「ホンダが低価格の現地車向けにインド製鋼板を初めて採用」と報じたが、1面トップの記事としてはパンチ力にやや欠けていた。 さすがに、きょう6日になると、2009年の国内新車販売台数が発表されたほか、インドではモーターショーが開幕したことで、各紙とも「新車販売31年ぶり500万台割れ」(東京)、「低価格車インド主戦場、トヨタとホンダ新型披露」(朝日)など自動車関連のニュースが目立つようになった。 そんな中、産経は「HV売れても薄利」というタイトルで、「今年の自動車業界は、エコカー特需の反動と値下げ合戦によるデフレに脅かされそうだ」と指摘、中でも「トヨタの“プリウス依存症”は深刻だ」と警鐘を鳴らす。きょうの朝日などが報じたが、車雑誌『NAVI』(ナビ。二玄社)が2月26日発売の4月号で休刊するという小さな記事も自動車関係者にとっては見逃せないニュースである。 また、新年恒例の経営者による「景気・株価見通し」(3日付日経)によると、自動車業界を代表してスズキの鈴木修会長兼社長は今年の景気を「海外経済の改善を背景に景気は持ち直すが、回復ベースは極めて緩やか」と答えている。株価では自動車業界からの経営者の回答はなかった。 一方、同様の経営者アンケートを3日付の読売も掲載しているが、ここでは、日産自動車の志賀俊之COOが登場。しかし、株価や為替相場については「無回答」だった。30人の経営者の中で「無回答」は志賀氏だけだが、「社長」の肩書きを持たない「COO」では無理もない。 その志賀氏は、今春、自工会の会長に就任する予定だが、その“予行練習”も兼ねてなのか、きょうの毎日には景気見通しについて「天気に例えるなら曇りのち薄日。エコカー補助金の延長などで消費に勢いが付けば回復の兆しも見える」とコメント。東京には「2010年キーワード」として「成長シナリオへの着手」、日経には「雇用や円高是正をしっかり。日本の強みを認識した政策も」などと、鳩山政権への注文と期待を語っている。 スズキの鈴木会長や三菱自動車の益子修社長とともに、志賀氏も顔の見える経営者の1人だが、昨年社長交代して話題を集めたトヨタとホンダの経営トップは相変わらず沈黙を守っており、新年早々から何となく不気味でもある。 《福田俊之》
by azatsu0422
| 2010-01-12 17:59
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